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Aの遺したノートがあんまり訳のわからない内容だったので、読んでいるうちに頭が痛くなってきた。少しクールダウンするために外へ出る。まあ、外の方がむし暑いんだが……。
霧深いなかを、適当にうろつく。そういえば、駅の方とか、今はどうなってるんだ? ちょっくら行ってみるか。
広い通りをしばらく歩くと、公園が見えてくる。俺と小松が会った公園だ。その近くには以前、中規模のデパートが建っていて、俺もたまに使っていた。でも、(今回の騒ぎの前に)もう閉店した。今はもう何もない、ぽっかり空いた更地だ。今度はその跡に複合商業施設とかいうのが造られるらしい。フクゴウショウギョウシセツ? けったいな呼び方だ。
その跡地を左にみながらゆくと、公園の終わるところに交差点がある。歩行者信号が青のとき「パッポー・パパポー」とか「チュンチュン」とか鳴くタイプのやつだ。
そこを渡れば繁華街。オキニのラーメン屋、新しい古着屋、古い古本屋、普通のコンビニ、しゃれた美容室、困ったときの質屋、とか、ごたっと、いろいろある。賑やかな時は、イカした兄ちゃんやら姉ちゃんがブイブイしわしてたが、いまじゃ誰も歩いてない。特にイカした人種にシンパシーがあるわけじゃないが、なんだか寂しい気もする。
長い繁華街を過ぎて、駅への道に入るんだが、なぜだかここら一帯は狭く、ごちゃっとしていて、なんともイカガワシイ雰囲気になっている。流しやら、ホームレスなんかも多い。たまにここらで百円の「お古」の週刊誌を買うぜ。といっても、やっぱりここも、いまは人っ子一人いないけどな……。
で、そこを通り抜ければ駅だ。最近改築したばかりで、けっこう近代的な、魚みたいな形のつくりになっている。大手百貨店が近接していたりして、なかなか利用者は多い。本当ならナ。いまはそこかしこガランとしていて、霧の中で魚がむなしくくたばってるって感じだ。
駅に着いた俺は、階段を上って、構内をのぞいてみる。案の定、「全車両運行停止中。運転再開の目途は立っておりません」の看板。まあ、そうだろうと思ったけど、これじゃあ、いったいどうやっていまの世の中回ってるんだ? 細かいことはどうでもいいか、気にしない、気にしない。
さて、駅の様子も見たし、やることもなくなったぞ。どうするか?
そういえば、さっき来た道、交差点の角に、知り合いのやってる画廊があったな。のぞいてみるか?
画商といっても、怪しいもんだった。最初は絵描き志望で、美大を出て、数年間外国で修行して、勇んで帰ってきたが、まったく絵は評価されず、おまけに身内の不幸が続き、とうとう画商の道へ。ところが絵を見る目はからっきしで、変な絵をつかまされては大損、でかい借金をこしらえるしまつ。数年前、俺がとあるバーで出会ったとき、やつはそんなひどい状況に陥っていた。泣きながら愚痴を言う鳥川――そいつの名前だ――に俺はこう助言してやった。
「俺のきいた話じゃあ、なんでも、そういう絵とかなんとか価値のうつろいやすいもんを扱う店は、繁華街の近くの四つ辻に出すといいとよ。まあ、聞いた話だけどな」
「へえ、本当ですか? 知らなかった。たしかに今の店は、袋小路にあって、なかなか人が来ないんですよね。そうですね、きっと店の位置が悪いんでしょう。よし! 画廊の場所を変えます。ぜひあなたも来てください、新しい店に」
「ああ、きっとお邪魔するよ」
結局それから一か月後、俺のところへ便りが来た。鳥川からだった。ああそういえば、別れ際に名刺を交換したなと思いつつ、読んでみると本当に四つ辻に画廊を移転したとのこと。俺は喜んでいいのやら悲しんでいいのやらわからなかった。だって酒の席での話は、ほとんどデタラメだったからな。あっちも冗談で受けているのかと思っていたんだ。
画廊は当然、新しくて清潔だった。ピカピカの店内に入ると、妙な匂いがした。
「これ、なんの匂い」
「来てくださる方の気分を和らげるために、アロマを焚いているんです。いい香りでしょう」
「絵に匂いがつくんじゃないか?」
「それは考えていませんでしたね」
店の一番目立つところにあったのは「孤高の石」という作品で、白くて一面にぶつぶつ穴のあいた石がでっかく描かれていた。
「おそらく石と意志をかけてるんじゃないか」
「さすがお目が高い。そうです、石と意志……素晴らしいでしょう」
「これはいくらなの」
「これくらいで」
「あっそう」
東側の壁には、「木曜日の淑女」というあっさりした水彩画が架けられていた。これはまあまあ、少なくとも「孤高の石」よりは理解できた。
「これは誰が描いたの」
「わかりません。作者不詳です」
「なんで買ったんだ」
「この印象派とロマン派のアイノコみたいな感じがたまらないでしょう」
「そういうものかね」
西側の壁で一番気になったのは、「冬」という絵だった。白、青、そしてほのかな黄色、それとなく冬っぽい色で構成された、ぼんやりとした抽象画。
「これの作者はなんて言うの」
「笹村貞吉さんです。御年八九歳の抽象画の大家です」
「なかなかいい感じがするな。抽象画なのに意味が伝わるというか」
「そこが気に入らないんですよね」
「え?」
「抽象画なのに、なんとなくでもメッセージ性をもってしまう。そういうのって、本当の抽象画とは言わない感じがするんですよ。ああ、「孤高の石」なんかは違いますよ。はっきりとした具象画ですから。「木曜日の淑女」も、曖昧ですが、まあいいでしょう。問題は、この作品のように、せっかく事物の形から自由になっておきながら、その表そうとしていることが読み取れてしまうもの、もっといえば作者の意図が見え透いてしまうものです。これはもったいない。非常に惜しいことです。だってそう思いませんか、木安さん? 現実に形があるから意味を持っているんです、それを、現実から自由にした形のないものに意味を持たせるというのは、明らかな矛盾ではないですか?」
俺はこんな質問をされるとは思ってなかったから、少しうろたえたが、
「さあ、どうかな。でも、世の中には、形のないものに形を与えて、それに意味を与えようとする人種もいるんじゃないか」
「たとえば?」
「文筆家とか」
「文筆家! もっとも唾棄すべき人種ですよ。あいつらが適当な観念だとか精神だとか道徳だとかもちだすから、絵描きもそれに呼応して作品なんか描くじゃないですか、そのひどいことときたら! ああ、その「冬」も、笹村さんがあの古典的名作とやらを読んでインスピレーションを受けた作品らしいですよ」
鳥川はそこで有名な(俺でも知っている)ある人物の名作といわれる作品の名前を口にした。
「意味が付いちゃっていますよね、作品に。だめですよそんなのは。むしろ「孤高の石」の方が素晴らしい。くだらない洒落ですが」
「あ、やっぱりくだらないんだ」俺はついついそう言った。
「ええ、でも芸術的にくだらないですからね! いいんですよ、そういうのは。芸術的にくだらない、そういう新しい価値を、作品に付与する、それが画商の真の使命だとは思いませんか」
なんだか、「芸術的」「新しい価値」「真の使命」といった言葉に気圧されてしまった俺は、適当に答える。
「そうやって考えてみると、鳥川さんも作品に意味を付与してないか。だって、価値って意味ってことだろ。なんの意味もないものに価値は存在しないよな、普通」
「なんの意味もないものにこそ価値があるという言葉が……」
「でもさ、それ言った人は絶対に価値を信じてないよね、意味のないものの。価値があると思っていたら、意味がないなんてわざわざ言わないだろ」
鳥川は、首をかしげてちょっと考えた。考えないでくれ、こっちはあんたを煙に巻こうと思ってるんだから!
「とにかく、僕の言いたいのは」とやっと口を開き、「作品の価値よりも、作品を見る人の価値観を変えたい、ということなんです。純粋な作品の価値なんて誰にもわかりません。でも鑑賞者の価値観というものは明らかにそこに存在する。僕はこれを転覆させたいんです。そして道端の石ころを美しいと思う人々を少しでも増やしたい」
「石ころを美しく、か! 名言だね。覚えておくかな」
そのあとは、鳥川の描いた絵なんかも見せてもらった。たしかに、俺のような凡人には理解できない、「意味のない」抽象画だった。あんまり訳がわからなくて、夢に出てきそうだ。
ところで、やっぱり画廊は閉まっていた。人のいる気配もない。捜査の行き詰っているときは、気分転換が必要だ。鳥川みたいな面白い人間に会えないのは残念だが、しかたない。扉の隙間に名刺を差し込んどいた。




