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結局、われらが編集長は館に閉じ込められ、いくつもの眠れぬ夜を過ごしていた。それは心理的な不安のせいもあったが、なにより夜な夜な聞こえる力天使の唸り声が原因だった。《悪魔にせよ、天使にせよ、同居するにはよくない相手だな》彼は思った。《恐ろしいことには変わりがない!》
パワーの叫びを聞き、怪しんだ人々が、館に訪れることもあった。しかし智天使――例の少女の名前である――の呪いによって、彼らはものの見事に誑かされ、煙に巻かれた。彼らが見たのは古びた幽霊屋敷(それはあながち間違いでもなかったのだが)だけであった。
そうだ、少女の名はケルビムというのだ。禿頭はふとした拍子にそれを彼女から聞き出したのだった。「あだ名じゃなくて、本当の名前を教えてくれよ!」というと、彼女はもう一度くりかえした。「智天使といいますのよ、それ以外に呼び名はありませんわ」にわかに信じがたかったが、まじめな顔でそう言われてしまっては、彼もそれを信じるほかなかった。
館の日々は憂鬱だった。毎日の食事は豚肉や鶏肉をつかった大味なものがほとんどだったし、寝るときはただっぴろい部屋の中、用意された小さく汚い布切れ一枚にくるまった。おまけに始終、生活を誰かに見られている気さえした。
「もううんざりだ! こんな暮らしは……俺は一体いつまで軟禁されていればいいんだ? そろそろ自由にしてもらえないかな? この館の秘密や、君たちの存在、悪魔どもの話、そういったことみな誰にも言わないから……それがだめなら、せめてなにか時を忘れさせてくれるような慰めをくれ! どうしようもなく暇で、暇で、仕方ないんだ」哀れな編集長はある日の午後、何かが心の中ではじけ、少女に嘆願した。
「そうですわね、さすがに気の毒ですから、心の慰めに、こちらの『乏しい収穫』をお渡ししましょう」
そう言った少女の手にはいつの間にか、ホチキスで留められた数枚のA4紙があった。
「それはなんだね?」
「わたくしがAの家におじゃましたことはお話ししたでしょう。その時に、書斎で見つけたものですわ。このままの形で、机の上にありましたの。他にもいくつかありますわ。なぜかわからないけれど、これらは手書きで書かれていました。つまり、『作家Aの書き溜めた手書きメモ』ですわね」
「それは」禿頭を興奮のあまりの急激な発汗でひからせて男はいった。「是非とも読みたいな! 事件の手がかりになり得るかもしれない希望と、編集者としての興味と、個人的な関心と……とにかく暇つぶし以上の作業になりそうだ、貸してくれ!」
「手始めに、これを」といって彼が少女から手渡された文章は、以下のようなものだったのである。
……ところが彼ったら、感想を書かせるとこんな具合なのだ。曰く――「ああ! なんと悲しい、つらい物語だろう! 読者諸君にあらためていうことではないのだが。――しかしそれでも伝えたいこの心! 言うまでもなく、この「話」(そう、まったくただの『話』なのだ!)のキモは、ああ、まさに、「あの部分」である(断腸の思い!)。しかしながら、少し待って欲しい――この部分にこそ、この物語の、いや、一つの悲劇のたったほんの少しのエッセンスのうち、もっとも偉大で傲慢なおかつ不遜なテーマ(笑)が隠されてはいないだろうか?? そう、あの場所で彼が、彼女が下した決断、それは何物にも代えがたいものであったに違いない。しかし、それでも、やはり考えてしまうそう……『IF』を。『IF』! なんと珍妙な話であろう! まったく、このせいで台無しになることもあるのだ……まったく、多弁は無知の証しという。先を急ごう。ぶっちゃけて言えば、私はこの結末が気に入らないのだ。あの愚かな決断。なにが倫理だ、なにが道徳だ、なにが世間だ! 最後の決意を促すのは内的因子であって、外的因子ではない。そのことは作者だって重々承知のハズだ、にもかかわらず――ああ! これは皮肉だ! とてつもない皮肉! しかも、笑えぬ皮肉だ!」
「こんな風に、なにやら長々と書いてありますわ」
「……おそらく、というより確実に、いわゆる習作だろうな、これは」と読み終わった編集長は禿頭を掻きながら呟いた。「いろいろ実験したり、思いついたことを書き留めていたりしていたんだろう! それはわかった」
「そうですわね。でもそれだけですの?」と少女は訊ねる。「他になにかわかりませんこと?」
「書きあぐねているところもあるし、意味がくみ取りにくいところもあるし、作者が途中で飽きているところもあるし、まったくデタラメなところさえあるが、よく読むと背後には作者なりの大真面目な主張も隠れているような気がする。……直接事件には関りがないかもしれないが、間接的な関りはあるかもしれない」
「わたくしも同じ意見ですわ。こういった断片が、他にもいくつかこちらの手の内にありましてよ」
「なかなかの収穫じゃないかい? それは」男は機嫌よさげに微笑んだ。「なにかの手がかりになるかもしれん、どうか他のも読ませてくれ!」
こうして哀れな禿頭の編集長にも「慰みの暇つぶし」ができたのである。




