*
あれから、俺はいろいろな方法で二人の「悪魔」(と言われている男)……宮田と盥屋について調べていた。どんなことでもいいから、この曖昧な記憶を呼び起こしてくれる情報が欲しかった。
ところが、なかなか集まらないんだな、これが!……インターネットで検索しても、不思議に一件も引っかからない。昔の新聞記事をあたろうと、街の図書館(けっこう大きい)まで足を運んだが、『このたびの混乱により無期限休館』だってさ! まるで、二人の情報を誰かが隠蔽しようとしてるみたいだぜ……おっと、過度の陰謀論は禁物か、でも探偵は、疑うのが仕事だとも言うし……。まあ、どっちでもいいか。
肩を落として、図書館から家に帰る。それにしても、この霧はなんとかならないのか?
事務所に戻ると、扉の前に二人の男が立っていた。宮田と盥屋か?……いや、違う。話はそんなにうまくはなかった。
「木安さんですね?……少しお話をお伺いしたいのですが」
彼らは刑事だった。そのうちの一人の顔は知っている。Aの家の焼け跡で、捜査を仕切っていた男。いまはあの時よりさらに目つきが鋭くて、刑事じゃなければ犯罪者と間違えちまいそうだ。
「ええ、そうです……わかりました、とりあえず中へどうぞ。散らかっていますが……」俺は丁寧に言った。
どうしたっていうんだ? いったい俺に何の用が?……もしかして、俺がAや編集長(ともう一人)を探してるって聞いて、何か有益な情報を教えに来てくだすったのかなア? いや、いや、そんなことがあるはずがない……なんで警察が見ず知らずの私立探偵に情報をやるんだよ……それに、今回の依頼を知ってるのは、俺と小松くらいなもんじゃないか? 小松が警察に顔きくわきゃアない……。とすると、もしや……。
「もしかして、俺を逮捕しにきたんじゃありませんか?」
これぞ逆・単刀直入。ソファに腰かけて一息ついた二人にそう訊ねて、先手を取る。
「ええ、まあ、そうです」目つきの悪い刑事は落ち着いて答えた。「あなたに小松竹梅さん誘拐の容疑がかかっています」
あいつ、タケメって名前だったのか。少し、親の顔が見てみたいな。いや、それよりも、俺が小松を誘拐? 冗談じゃない、そんな事態をややこしくするようなこと、するもんかよ!
「しかし、ヨシさん。この人はモンタージュとずいぶん……」ともう一人の男が妙に甲高い声で言った。
「ああ、違う。全くの別人だ。少しも似ていない……」
「その写真をみせてもらえませんか」俺は咄嗟に聞いてみた。
「これです」ヨシさんは一葉の写真を懐から取り出して、机の上に置いてくれた。
写真を見た瞬間、俺はなぜか鳥肌が立った。……知らない男だ。モンタージュだから、完全に本物と同じ顔とはいかないだろうが、どこか冷酷で、残忍そうなその表情は、さっきヨシさんのことを犯罪者なんて思ってすみません、と謝りたくなるほどの悪人面だ。といって、その容姿が決して醜く歪んでいるわけじゃないところが、余計に恐ろしく、またなんとなく腹が立った。
「知らない顔ですね……少なくとも、木安四郎ではなさそうです」と軽口で恐怖と苛立ちを誤魔化す。
「そうですか。ありがとうございます」ヨシさんはそう言って、少し笑みを浮かべながら写真を受け取った。
「実は俺、小松さんから依頼を受けているんです」俺は正直に言った。
「本当ですか」甲高い声の男が叫ぶ。
「吃驚するじゃないか、レバー……」ヨシさんが言った。
「すみません、つい……」レバーと呼ばれた男はへこへこと詫びる。
「どういった依頼を受けているんですか?」とヨシさん。
「小説家のAさんと、出版社の編集長、それにAさんのマネージャーの青年。この三人の行方を追う……とまあ、そんなところです。そしてこの事件には、あの『芸術的テロリズム』を標榜した危険人物、宮田と盥屋が関係していると思っています。少なくともAさんは、この二人に捕まったか、まだ逃走し続けているものと思われます」この際だ、洗いざらいぶちまけよう。
ヨシさんの顔色が変わった。
「そうですか……そういうことなら、我々は協力できそうにありませんね……」
「どうしてです?」
「その三人……特にAさんについては、捜索願も出ています。我々も行方を追おうとしました……ですが、上層部から待ったがかかったのです」
「上の方から、ですか」
「私のような者には、その裏は知れませんが……とにかく、なにか大きな……それに、宮田と盥屋の名前まで出てきてしまうとは……私立探偵もなかなか侮れませんな……」と、そこまで言って、「これはいけませんな、しゃべりすぎました!」ヨシさんは笑う。
二人について聞きそびれた。くそ!
「つまり、警察の方では、三人の行方については追っていないと?」
「まあ、そういうことです」
「変な話ですね。俺の名前で別人が誘拐犯として指名手配されている。その被害者が他ならぬ俺の依頼主……。どうして俺の名前が挙がったんです」
「小松さん本人の証言です」と言って、ヨシさんは経緯を簡単に説明してくれた。
「そりゃおかしい! 小松さんはなにを考えてたんだ?」俺は思わず叫んだ。
「目撃者の話では、犯人は複数いたといいます。見たところあなたは、ずっと単独行動ばかりしている様子……」ヨシさんは部屋を見回して言った、「案外に綺麗な部屋ですね。あまり人も来ていないようだ」
少し心外だったが、事実だからしょうがない。我慢ガマン!
「誤解がとけてよかったです。聞きたいことはそれだけですか」俺は半ば安堵してお開きにかかった。
「実はもう一つあります。調査を進めたうえでわかったのですが……」レバーが答える。
「なんでしょう」
「あなたの名前……木安四郎、ですが……ないのです」レバーは慎重に喋っているようだった。「この街の戸籍謄本のどこを探しても、そんな名前、存在しない」
部屋に沈黙が訪れた。
「それは」俺はなにか言わなければ、と思って、でたらめを口にした。「なにかの間違いでしょう。たまたま事務上のミスかなんかで消えちゃったんじゃないですか」
「それはないですね。いろいろ確認しましたから」レバーは言う。
「だから、ここを探すのに手間取りました。……あなた一体、何者です?」
ヨシさんは俯いたままじっと俺たちの会話を聞いている。
「俺は……」唾をのむ。「俺は……私立探偵です」
「職業じゃなくて、あなたの正体です」
「だから……」
「おっと、こんな時間だ。レバー、そんな話、今はいい。木安さんは、誘拐とは関係ないようだ……もう行こう……帰ったら、事件が山積みだぞ!」助け舟を出してくれたのは、意外にもヨシさんだった。
「え?……わかりました。では木安さん、この件はまたの機会に」レバーは残念そうに言った。
「俺の方でも確認してみますよ」と一応言っておく。
「では、木安さん、失礼しました。捜査にご協力いただき、感謝します。小松さんの行方についてなにかわかったら、あなたにも連絡します。そちらも是非」
「もちろんです。なにかあったら連絡します。小松さんが訪ねてくるかもしれないし」
「本当にそうなったらいいのですが」ヨシさんは力なく笑った。
「やっぱり、なにか掴んでいるんですか?」
ヨシさんは立ち上がって、俺の目を正面から見た。
「探偵さん、私はなんとなく感じるんです……これはきっと、刑事の勘だな。つまり、この一連の事件は、裏ですべて繋がっていて、それを操っている何者かがいると……もっと言うと、たった今も、私ごときじゃ解決できない、なにか途轍もない、荒唐無稽な因果が巡っているんじゃないかってね……」
俺は暗に、「お前にはまだ役目がある」と言われているような気がした。
二人を見送ると、俺は「小綺麗な」事務所に戻り、大きく伸びをして、ぶらぶら揺れるシャンデリアを見上げた。A……あいつは一体なにをしているんだろう?……なにを俺に託したのだろう?
そして、足元の毛羽立つヴェルヴェットの赤い絨毯を見つめた。そこには、人の顔をしたけっこう大きい黒シミがある。……いったいなにをこぼしたら、こんな不気味な模様になるんだ? 考えがまとまらないときは、いつもこのシミと睨めっこしている……と、その黒シミの部分だけほんの僅か、生地が盛り上がっているのに気が付いた。まるで、それが本物の顔であるかのように……じゃなくて、まるで、その中になにか仕込んであるかのように……。
俺は直観的に動いた。机の引き出しから小型ナイフを取り出して、黒シミの上にしゃがみこんだ。シミを囲むよう、四方に切れ目を入れて、丁寧に引き剥がす。案の定、そこだけ布が縫い込んであって、その隙間に、なにか薄いものなら収納できるようになっている。
そこには一冊のノートが挟み込まれていた。
ノートを手に取ってみる。十年以上前のものだろうに、不思議とイタミは少なかった。
その表紙には花の絵と、柔らかで、慎ましく下手くそな字でこう書いてある。
『愛するKに捧ぐ。Aより』




