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マネージャーのアパートからの帰り道、誰かにつけられているような気がして、わざと遠回りに歩く。こんなサエないカストリ探偵を尾行するなんて、どれだけ倒錯した趣味の持ち主なんだ?……まあ、本当につけられているとして、たぶんそれは、俺の追ってる事件と関係があるんだろうが……。ここはいっそ、逆にとっちめてやろうか?
霧深い中、追跡者の気配を背中に感じながら、俺はゆっくりと歩いた。そりゃあもう、蝸牛並みにゆっくりと。相手がしびれを切らして、距離を縮めてくるのを待つ。だがそいつが不用意に近づいてくる気配はなかった。
俺は街の中心から少し外れたところにある市民公園の方へ足を向けた。さすがにこれだけ方向転換すると、やつも訝るだろうか?……だがそいつは予想通り、俺についてきた。わかった、よっぽどの用があるんだな! 望むところだ……。
公園付近まで来たところで、一気に走って園内に入る。そいつも不意を突かれて、少しの間の後、俺を追って駆けてくる。
俺はちょうどいいところにあった土台に身を隠す。なんの土台かって? いや、土台なのは間違いないんだが、今は何にも乗っかってない、岩を四角く削って作られた土台だ。結構な大きさで、俺の身を隠すには十分だった。土台の裏にはこう刻んである……『秩序と調和の象徴、×××……』だが表面にはびっしりと苔が生えていて、途中から読めない。気になるな……。
おっといけねえ、そんなことはどうでもいいか。
やつはまんまと公園まで入ってきた。霧のせいでその姿はよく見えないが、それはこちらも同じだ。完全に俺を見失っている。あとは待つだけ……。
ついにやつは土台の反対側まで歩いてきた。どこかで見たような背格好だが、かまわず後ろから近づく。
「動くな」俺はそいつの背中に銃口をつけた。「背中に当たってるのがなんだかわかるな?」
やつはびくっと身を震わせたが、妙な動きはせず、大人しくその場に静止した。
「賢明な判断だな。じゃあゆっくりとこっちを向け……」
そう言いながら俺は、少し馬鹿らしくなっていた。相手の反応を見て、そいつの正体が何となくわかったからだ。
小松はおびえた表情でこちらを見ている。
「……やっぱりあんたか。どうしてつけてきた?」
「いえ……べべっ、別に、尾行する気はなかったんです。ただ、たまたま、木安さんのような人影を見かけて、後をつけていって……気づいたら公園で、物騒なものを押し付けられていた、というわけです」
「それなら、俺がゆっくりと歩いたとき、どうして近づいてこなかったんだ?」
「それは……むしろ、なんとなく木安さんじゃない気がしたからですよ。でも、こんな時に外を出歩いているなんて、怪しい人物なのは間違いないですから、ネタになるかと思って、それからは慎重についていったんです」
「ずいぶん仕事熱心だな!」俺はとってつけたような笑顔を見せてやった。
「ええ、まあ……」
「まあいいや、そこらで話そうぜ……なに、調査結果、中途報告だ」
俺はぼんやりと見えるベンチを指さした。
「まず、編集長の行方だが……今はまだ、まったくわからない。後述する、Aの件とも直接的な関係があるかわからない。手がかりがあんたの『牛頭』しかない状況だ……」
「そうですか」小松は俯きながら呟いた。「他の方は?」
「ああ、マネージャーとAだな……二人は今、一緒に行動している可能性が高い。そして二人とも同じ存在に狙われているようだ……」
「それはいったい何者です?」
「『悪魔』と呼ばれている者たちだ」
小松は少し青ざめて、「木安さん、あなた……」
「正気だよ、正気! 俺だって信じたくないんだが、どうやら悪魔みたいに恐ろしい奴ららしい。明確な目的は現在不明……」ここは適当にごまかす。
「それで、二人は今どこに?」と小松。「それが一番の問題です!」
「正確な場所は、わからない。だが、すでにだいぶ遠くへ行ってしまった可能性がある。悪魔から必死で逃げているのだろう」
「それは大変だ」小松の顔はまた青くなる。「二人に何かあったら、編集長になんと言えば……その編集長も行方不明だし……いったい、誰に何と言えば」
「気をしっかり持つんだ」と小松を励ます。「自分まで行方不明になっちまわないように……」
「ところで、そんな物騒なもの、どこで手に入れたんです?」と小松は俺のポケットの膨らみを横目で見て言った。
「これか? 拾ったのさ」
「拾った? どこで?」
「マネージャー君の家だ」驚愕の表情を浮かべる彼にもう一言、「くりかえすが、気を付けた方がいい。この件は思ったよりもデカい。そして複雑だ……人を尾行するとか、記事のネタを探すとか、そういうことは止した方がいい。できれば、家に閉じこもっているんだ。なに、だれも文句は言わないさ」
「こんなことに巻き込んでしまって申し訳ありません!」小松はそう言って手を合わせた。
「気にしないでくれ、こういうのは好きなんだ、じゃなければ探偵なんてやってられないよ」余裕を見せるため、カラカラ笑う。
でも内心では二つの『俺』がまだ戦ってるんだよな。
「とにかく、中途報告は以上だ。なにか質問はあるか?」
「質問といいますか……これは聞いた話なんですが、街はずれの古びた洋館に、怪物が入っていったというんです。まったく、おとぎ話みたいですが、牛頭を見てしまった身としては、否定もできず……それが編集長を攫った怪物かどうかは、わからないんですが……」
「街はずれの洋館?……なんだか知ってるような気がするが、思い出せないな」
「思い出した!」小松が突然叫ぶ。
「驚いたな、どうしたんだ?」
「さっき木安さんが隠れていたあれ、あそこには昔、なにかありませんでしたか?」
「ああ、あったかもしれない」
「ずいぶん有名な話ですよね?」
「ああ、かなり有名な話だった……たしか、なにか事件が起きて……」
俺は違和感を覚えた。ひょっとして、記憶が曖昧になっている……? 小松にも同じ症状が起きているようだ。
だが同時に、複数の謎の欠片が繋ぎ合わさりそうな予感もしていた。思い出せ、思い出せ。名探偵木安の名推理だぞ……いや、思い出すだけでいいんだ……。
公園で何かがあった……事件が……ひどく荒唐無稽な事件が……荒唐無稽……そういえばAのやつ、悪魔に追われてるとか言ってたっけ……それこそ荒唐無稽だぜ……それで? そいつらの名前は何て言った? たしか、宮田に盥屋……。
宮田……?
盥屋……?
「思い出した!」今度は俺が大声を出す番だった。
「どうしました?」と、目を丸くして小松。
「宮田と盥屋! そうだ、あいつらだ、『芸術的テロリズム』だよ!」
「ああ……そういえば、そんな変人たちがいましたね……昔」
「ここだよ。奴らはここでやったんだ。それで……あの事件は闇に葬られたまま……」
「ああ、そうか……そうでしたね……でも、思い出したところで、別に捜査には関係ありませんよね……」
「実は、悪魔と呼ばれている男たち……そいつらの名前が、宮田と盥屋なんだ」
「えっ?」と喉になにか詰まらせたような声。「彼らが? 確かに悪魔的な奴らでしたが……まだ生きていたんですか?」
「そこだよ! そこなんだ!」と俺は小松の両肩を掴んでゆすぶった。
「あいつらは、地獄から戻ってきたんだ。なにが目的かはわからないが……」
小松はまた青くなり、「そんなことが……信じ難い……いや、もうすでに信じ難いことだらけですが……」
「ありがとう、小松さん」俺は立ち上がって言った。「あんたのおかげで、この事件の核心に一歩近づけたかもしれない。感謝するぜ!」
そして俺は、深い霧の中ベンチに佇む小松の、困惑した表情に見送られつつ、公園を後にした。




