表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ヴェクサシオン  作者: 杜若表六
第四章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
32/52

「……それにしても、俺を退治する、だって? へっ! よくぞ言ってくれたな、神様よ! まったく、そこまで馬鹿にされちゃあ、こっちだって黙っちゃいられないってもんだ、なあ、そうじゃないか?」

 そう毒づいたのは、奇妙に盛り上がった髪型に、とがった耳と鼻、鋭い眼、そしてすらりとした体格で、黒い外套姿の男――宮田望その人だった。

 こいつ、こんな顔してたっけ。メリーゴーラウンドのような距離感で対峙した、神――そしてまたの名を小説家A――は再びそう考えた。

《最初に見たときと、随分印象が違うような。……おかしな話だ、私が奴を創ったんだから、私のイメージ通りの顔をしているはずだ。ならば宮田の顔は、多少の誤差もなく、頭の中の像と瓜二つのはず……なんだか、以前より、存在から発する威圧感のようなものが、増してきているような……まさか、時間が経つごとに、どんどんその存在が現実味を帯びてくるとでもいうのか? その一方で、、この私の記憶はだんだんと薄れていく――まるでこの男に記憶を食われているかのようだ。……もうこれ以上、記憶は失いたくない。今の私にとって、記憶こそ最大の宝、時間こそ最大の敵なのだ……》

「まあ、まずは久しぶりの再会を祝おうじゃないか、宮田。元気そうで何よりだよ。……だって、そのほうが、懲らしめ甲斐があるってものだ。なあ、そうじゃないか?」

神はそう言って挑発した。だがこの男をどうやって懲らしめようというのか、彼自身もわかっていなかった。

「ふん、そうやって、俺を怒らせる気だな? 神よ! 残念ながら、その手は効かないぜ、俺にはな! いいかい、いつも俺が怒っているように見えるかもしれないが、それはそう見えるだけさ。実際、怒ってることなんざ、滅多にないからね!……ただただ、怒ったふりをするのが、楽しいのさ。それだけのことよ!」宮田はにやつきながら言った。

「なるほど、やはり君は相当の天邪鬼だね、宮田」神は盥屋を真似て言った。「君ほどの天邪鬼は、ロシアかアフリカに一人か二人しかおるまいよ!」

「なんだって? ……こいつは面白くないな。盥屋のことを思い出しちまったじゃないか」と宮田は苦々しげに言った。

「彼はどうしたんだ?」

「奴か。……俺の方から、いったん二手に分かれようと提案したのさ。なんせ、お前とは一度、サシで話したかったからな」

「では、彼もこの世界のどこかにいるのか?」

「ああ、そうだよ、ふん、どこでなにをしているか――今頃、呑気に考え事でもしているんだろう、それが奴の趣味だからな」

「まあ、なんにせよ、好都合だな。俺もお前と二人で話をしたかった。……一言いいたかったんだ」神は大きく息を吐いて落ち着いてから、続けた。「言いたいのはこういうことだ、俺たちを追いかけるのはいい、勝手にしろ。だが、見境なく大暴れして、関係のない人々まで巻き込むのはやめるんだ。これはお前と盥屋、そして私だけの間の問題だ。あと、燃えた家の弁償はしてもらう」神は力強く、拳を握りしめながら言った。

 しかし、宮田はポカンと気の抜けた表情になり、呟いた。「なんのことだ?」

「説明しないとわからないのか? お前、自分のやっていることがわかってないのか?」

「違う、違う! そうじゃないってば。むしろ、お前の言っていることの意味が、ちっともわからないのさ!……お前を追いかけているというのは、確かにそうだ。例のものを返してもらうためにな。まあ、ちょっとくらい痛い目にあわせてやってもいいが……だが、次がわからないな、俺が赤の他人に、どれだけ迷惑をかけた? なにをしたっていうんだ? まあ、この宮田さまも、いたずら心は大いに持っているが、今はそれどころじゃない、そうじゃなけりゃあ、こんな訳のわからないところまであんたを追いかけたりはしませんぜ!」

 今度は神がポカンとする番だった。

「例のもの? なんのことだ?」

 宮田の顔が少し蒼ざめた。

「冗談はよした方がいい、そのことについては俺も真面目になるしかないからな!……これは多分、本能的なものなのさ」

「いや、いや! 本当に、心当たりがない。お前からは、煙草一本、受け取ってないぞ」神はなだめるように、ゆっくりと静かに言った。

「そはまことか?」宮田は眼を細めて、まるで公家のような、とぼけた口調で言った。だがその道化っぷりとは裏腹に、全身がわなわなと震えている。

「まことだ」神もなんとなく、それにのって答えた。

「ふざけるな! じゃあ、いったい、誰が盗んだっていうんだ? 他に俺の住処の場所を知ってるやつがいるかよ? お前さん以外に、誰がいるっていうんだ?」宮田の感情は爆発した。これが彼の怒りだった。彼は自分の思っている以上に怒りやすかったのである。

「なにが盗まれたっていうんだ?」と神は眉をひそめて訊ねた。

「へっ! とぼけるのもいい加減にしやがれ! お前は俺以上の悪漢だな、まったく! いいか、お前は、俺の命の次に大切な、いや、命に等しい、いや、命以上の価値を持つ、あの砂時計を盗んだんだよ! 覚えてないとは言わせんぞ、盗人が!」

「あの砂時計が盗まれたのか?……そうか、あの砂時計が……宮田、それはいつのことだ?」

「……俺たちが挨拶から帰ると、部屋が荒らされていた。ひどいもんだった……だがそれはいい。よくないのは、砂時計がどこにもないということさ。鍵は閉めてあったはずなんだがね!」

「それなら、やはり俺にはどうやっても無理な話じゃないか? 考えてもみろ、あの後、俺が君たちの先回りをして、正確な場所を知りもしない住居に忍び込んで、なおかつ何らかの方法で扉の鍵を開けて、短時間のうちに部屋を荒らしまわって、砂時計を盗む……こんなことをする理由、技術、時間、すべてが俺には無かった! 俺はあのあと、パソコンに向かってちょっとした作業をしていたんだからな……なにをしてたか、君に言う義理はないが。もっとも、そのパソコンも、お前たちによって家ごと燃やされてしまったがね! 証拠隠滅って奴か? それとも、見せしめか? なんにせよ、弁償はしてもらう。何年かかろうとも……」

「まて、まて、わかった、あんたがやったんじゃないってことはな。そんな荒業、確かにどう考えても、不可能だ。たとえ神にでもな……あとな、あんたの立派なマイホームのことだが……俺たちがやったんじゃない。そこを勘違いされると困るな!」

「なに? お前たちじゃない? なら誰が燃やしたんだ?」

「さっきまで、ここらを飛び回っていた奴の、仲間さ。ことによると、さっきのが張本人かもしれないが! 火の扱いには慣れてるみたいだったからな!」宮田はまたにやにやした表情になり、得意げに言った。

「……すると、あの、天使みたいなやつがやったっていうのか?」

 宮田は神妙に頷いた。

「そうだ。犯人の正体は、天使だ。自分でそう言っていた……」

 神は呻った。

「……にわかに信じられないが、嘘だと言い切れもしないはなしだな、それは。だって、君みたいな悪魔的な男が、よりによって天使に罪をなすり付けるだなんて、出来過ぎてるし、滑稽だし、なにより、君はそういう男じゃない。露悪的だが、偽善的ではない。まあ、あまり評価できないがね……とにかく、家の件については、保留だ。盥屋や、その天使とやらにも話を聞いてみなければ……重要なのは、お互いの認識に、かなりのずれがあるということだ」

「認識、にんしき、ニンシキ! そう、それ、それなんですよ、神様!」宮田は嬉しそうに言った。「どうやら、俺たちは、お互いドツボにはまっていたらしいぜ。あるいは、誰かにはめられたのかもしれないが……そんな奴には、盥屋特製のダイナマイトをお見舞いしてやりたいね!……まあ、自分で自分を騙していたにせよ、誰かに騙されていたにせよ、同じこと。つまりは、創造主と造物主、そろいもそろって大マヌケ! この世を創ったのは偽の神で、その子供達もすべて偽物だという考え方が巷にはあるが、まさに俺たちのことじゃないか? まったく、ばかばかしいよ」宮田は舌をペロリと出して、「一体、俺たちは車輪の中のハムスターさ!」

 これには神もたまらず笑って、寂寥たる荒野に二人の哄笑が響いた。


 さんざんぱら笑いあった後、そこらへんにあったちょうどいい高さの岩に、それぞれ腰を下ろして向かい合った二人の距離は、だいたい二メートルほどである。神は膝の上に手を置き、しっかりと前を見た。宮田は足を組み、右足のその黒い靴の裏を神に見せている。泥の下に砂や枯草が付着して、厚い層を成していた。胸の前で掌を水平に重ね、手相でも見ているような神妙な顔をしている。やがて指を昆虫の脚のように動かし、疲れのためか、安堵のためか、ほおうとため息を一つついた。神はその様子になにとなく懐かしさを覚えた。

「さて、取っ組み合いでもしようと思っていたが、どうやらその必要もなくなったようだね? お互い、誤解は解けた。これは、この上なく素晴らしいことだ! あるいは、とんでもなく馬鹿馬鹿しいことだ……」宮田はうつむいたまま言った。

「そうだな。握手をする気にはなれないが、平手打ちをする気にもならない、そんな感じだ」神は宮田の燃えるような頭髪を眺めながら言った。

「同感だ!」宮田は顔をあげた。「俺たちはなにか、蟻んこに似ている。お互い餌を奪い合って、気づかぬうちに二匹とも蟻地獄に囚われてる蟻んこだ」指はまだもぞもぞと動いている。

「そうだな。なにか罠にかけられている。そんな気がするよ。大きな罠に!」

「まったく滑稽だな。神様と、自分のことを神だと思っている奴が、同時に同じ網に絡めとられるなんて!」宮田は少し笑った。

「おや、すると、君は本当に自分が神だと思っているのかい?」

「いや、盥屋のやつがそう言ったことが忘れられないまでさ。もっと正確に言えば、お前さんが書いたんだがね……つまり、あんたがそう思ってるってことだろう?」

「どうかな。……そうかもしれないし、そうでないかもしれない」

「神様、俺は、そういう答えは嫌いだね!」

「いや、私は、書いているとき、なにか、自分の意志で書いているような気がしないんだ。この身体を借りて、なにかが降りてくるような……」

「それじゃあ、いわゆる『憑依型の書き手』、ということかね? こいつはすごい! そんなあんたは、まごうことなき天才だよ」と宮田は冷やかした。軽口だけはいつでも飛び出すのである。

「まあ、そういう風にしか書けないからね。なんでも好きに解釈してくれ」

「ほうほう! つまり、俺も盥屋も『降りてきた』ってわけか……どこから降りてきたものやら! ところで、じゃあ、しらふのお前さんはどう考えているのかな? 俺のことを」

「君のことを?……わからないな。少なくとも、今は」

「だから、そういうコンニャクみたいな答えは嫌いなんだってば!」

「そうだな……実際こうして話してみると、君には何か、近しいものを感じる……思ったより、ということだよ。たぶん、あの盥屋という男よりは、ずっと私たちは似ているんじゃないか?」

「続けてくれ」そう言う宮田は再びうつむいていたので、神に表情を読み取ることはできなかった。

「盥屋の指摘した、君は図太いということは私も同意するよ。君は『一本うどん』なみに図太かろう。だけど、君が自分を神だと思っているのかどうかは、わからないな。むしろ……君はそう信じていないかもしれないけど、盥屋の方がそう信じている、そんな気がするよ」

「盥屋が?」

「君が神であるという命題(テーゼ)、それは、君の無意識の確信というより、彼の無意識の願望なんじゃないかな。盥屋は君を神に祭り上げようとしている……そんな気がする。その目的は残念ながら作者の私にもわからないけどね」

「ところで、あんたを追って、この世界を放浪してるとき、珍妙な爺さんにあったんだが……」

 宮田は唐突にあの荒地の老人について語りだした。彼と宮田の会話の内容や、彼の風貌をことこまかに神に説明した。神は「ほうほう」とか「それで?」などと頻繁に相槌をうちながら、注意深く熱心にその老人についての話を聞いた。

「なるほど、興味深い話だいったい何者なんだろうか……つまり、その老人も、盥屋には気をつけろと忠告したんだね?」神は宮田が話し終わったあとしばらく考えて言った。

「そうさ、それでいま、なんとなく思い出してね……まさか盥屋本人に話すわけにもいかないから、ここで吐き出したのさ。王様の耳はロバの耳!」

「それで、君は盥屋をどう思っているのかい?」神は機を逃さず訊ねた。

「俺が?」

 神は頷いた。

「……奴はただの詭弁家さ。それ以上でも以下でもない」

「嘘だな。そういう答えは私も嫌いだ」

「ふん、こりゃあやられたな。まあ、正直に言って、兄弟、それも全然似ていない兄弟だな。あるいは同志!……なにか奴と俺には目の見えない繋がりがあることは間違いないが、だからといって似たところは全然ないな」

 あたりに冷たい風が吹いた。二人はそれに構わず会話を続ける。

「君たちは確かに兄弟だ。だけど本当の兄弟じゃない」

「だから、そういう答えは嫌いなんですがね……」

「とにかく、今はそうとしか言えない。私はまだ彼としっかり話せていないから。しかし彼は……なにか不思議な違和感があった……君たちが私の家に挨拶してきたときの話だが……やっぱり直接確かめてみないと……なにしろあの時は驚いていたから」

 宮田は笑った。「そうかい。それは結構、けっこう……ところで」

「誰かに見られている感じがしないか?」

 二人は辺りを見回した。広大無辺に感じられる荒野、人影はない……しかし神もまた、誰かに見られているような気配を感じていた。

「私もそんな気がしていた。気のせいにしては気が合うね」

「どうする? 念のため、場所を変えるか? 歩きながらでも話すか?」

「……いや。もう、疲れたよ。たとい移動したって、その『誰か』も、ついてくるだろうし……それに、べつにだれが聞いてたって、構わないさ。そうだろう? だって、お互い、類推を述べ合ってるに過ぎないんだから。なにか、秘密の企みを計画してるわけじゃないんだし……私たちはまだ『仲間』ではないだろう?」

「ほほう、なかなかどうして、あんたもけっこう、図太いな! まあ、それもそうだ。こんな話、だれが聞いてたってかまいやしない、そのとおり! 客観的にきけば、こんなに素っ頓狂な話もないものな。むしろ、誰かが聞いてくれていた方が、張り合いがあるってもんよ……そうさ、俺たちはまだ『仲間』じゃない……まったくのエネミー、ってわけでもないけどな。……それじゃあ、まあ、得体の知れない聞き手のために、話に花を咲かせるとしようぜ!」

 宮田はゲタゲタと笑って、ぽんと一つ、大きく手を叩いた。

 それからしばらくの間、二人はとりとめのないことを語りあった。お互いのこれまでの経緯や、盥屋やマネージャー、荒地の老人など、今ここにいない人物について、それからこの奇妙な世界についてのことなどを。それにも飽きてしまうと、無言で枯れ草などをいじっていたが、どちらともなく岩に寝転がり(それほどの大きさのある岩だったのである)、そのまま深い眠りに落ちていった。両者とも、しばらくまともな睡眠をとれていなかったのである(宮田の場合、本当に睡眠が必要なのかは議論の余地があるが)。――――と、誰かが呟いた。そして再び冷たい風が吹いた。それから、八咫烏が飛び去った方向、遥か遠方から、もくもくと黒煙があがった。かすかに鐘の音が聞こえる。神は静かな寝息を立てて、宮田は大きないびきをかいて夢の中にいる。物言うものは誰もいない。

 それからは辺りを沈黙が支配したのである。


 妙な夢を見た気がして、宮田が目を覚ましたとき、あたりはすでに薄暗くなっていた。

 彼は上半身だけ起こして、周りをきょろきょろ見回していたが、やがて何かに気づいたように岩の上に立ち上がった。そして大きく伸びをしてから、手足を念入りにストレッチし始めた。肩をぐるぐると回し、首を前後左右に振った後、満足したような表情を浮かべ、岩からぴょんと飛び降りると、まだ向こうの岩の上ですやすやと寝ている神を見やった。

 なにか大きな悩みがとれたような、安心しきった神の顔は宮田の初めて見るものだった。《今までは、驚いてたり、(いか)ってたりする顔ばっかり拝んできたからな!》と宮田は思った。《安心しきってらっしゃるぜ、神は! どうする宮田? このままこの幸せそうな寝顔を見守るか?……いやいや、おれはこいつの親じゃない、そんな気味の悪いことはすまい……では、文字通りこいつの『寝首を掻く』とするかな?……といってもこいつは(かたき)じゃないし、そんな卑劣な真似をしてまでも消したいほどの理由があるわけじゃなし……ああ! じゃあ、ひょっとして、あれかな? ここに寝てらっしゃる神様の起きるのを待って、起きたら、一緒に仲良く、このわけのわからない世界を歩いていくしかないのか? それだけは勘弁だ!……この男といたら、俺の『自由』ってやつは一体どうなっちまうんだ? なんせ、俺を創った存在なんだぞ? いろいろと厄介だし、なにより恐ろしいったらありゃしない! 俺のことを俺よりも知っていて、俺よりもそれを勝手にできる存在なんてな! うん、こりゃあ、まずいことになったかな? どうする宮田?……おや? あれはなんだ?》

 あれこれ考えながら視線をあちこちに巡らせていた宮田の目に留まったのは、彼から50m程の距離に立っている人影だった。どうやら宮田と似た背格好の人物のようだ。宮田はいくら人間離れした能力を持っているとはいえ、その人物の詳しい様子までは視認できなかったが、なぜか彼は微笑しているような気がした。

「誰だ?」と宮田は呟いた。当然むこうに聞こえるはずもなく、また聞こえたとしても無視されたのだろう、その人影は踵を返してすたすたと歩きだした。薄暗さが邪魔をして、このままでは見失ってしまいそうだった。

「待て……」宮田はまた呟いて、思わず人影を追い始めていた。この荒野に人とは、それだけで怪しいものだが、彼はなにかもっと切実な感情、ありえないことだが、懐かしさに胸を襲われて、その人物を追い始めたのである。もちろん、一度、神のことをちらと振り返った。《こいつはどうする?……まあ、猛獣すらいないようなところだし、一人でも大丈夫だろう、おそらく! それに、こいつと仲良く歩いていくのだけは嫌だと、今の今まで考えていたことじゃないか? こりゃあいいチャンスだ……じゃあな、あばよ神様! また会おうぜ!》と心の中で別れを告げて。

 宮田は人影と一定の距離を保ちつつ、荒野を歩き続けた。この世界は時間の経過が遅いらしく、長いこと同じ薄暗い空間の中を追い続けた。なにか懐かしい感じがするのは確かだったのだが、一気に近くまで走り寄って、「よう、久しぶり!」と挨拶をかわしつつその顔をみる、というところまでいくのは、なにか躊躇われた。今追っている人物の顔を見ることが躊躇われるとは、いかにも滑稽だが、しかしその躊躇いは恐れにも似ていた。《ああ、まったく、忌々しい! なんでこの宮田さまが怖がらなきゃならないんだ? そんな相手はこの世にいるのか?……まあ、けっこういてもおかしくはないか……なんせ、この世は魑魅魍魎!》彼はそう考えて一人微笑した。

と、突然、人影が消えた。

 宮田は慌てて消えた場所まで駆けた。地面に、ぽっかりと大きな穴が開いている。

《やれやれ、また穴か! ここに落ちたのかな? 案外、間抜けな奴だな……いや、これは罠か?……この世界まで来たのも、いってみれば、罠にはまったようなものだし……まあ、もう一度罠にはまってみるのもいいか!》

と宮田は思考を巡らしながら穴に飛び込んだ。

 しばらく、あの自分の感覚があいまいになる、不快な感覚。自分が徐々に細かく分解されてゆくような……。《相当深い穴だな、こりゃあ着地が難しそうだ……》

 しかし着地は楽にできた。宮田の体は重さを全く感じさせなかった。そして、降り立ったのは先ほどまでと同じ荒野だった。正確に言えば、先ほどまでの荒野と同じ要素を持っていた。もっと正確に言えば、世界はすべて3Dポリゴン化された図形空間だった。

 宮田は自分の凸凹した手を、胸を、足を見た。四角三角丸、様々な大きさの図形が簡単に組み合わさって巧妙に彼の体を構成している。色のグラデーションも粗くなっていた。あたりの枯草も、薄暗い空に浮かぶ雲もみな、図形化されている。「初期のプレステだな、こりゃ!」と宮田は悪態をついた。

 例の人影は、やはり五十メートル先にあった。彼もまた、幾何学的図形化している。そのためその風貌は余計にわかりにくくなった。

《こりゃあただ事じゃなくなってきたぞ》宮田の頭を思考が巡る。《一体どうなってる? 世界が一回りグレードダウンしたみたいだ。……あいつに聞いてみるしかないな》

 宮田は走り出した。人影も走り出した。宮田の追いかけるのと同じ速さで。「待て! おい! これは一体どうなってる?」宮田が叫ぶ。

 また人影が消えた。

 そこにはやはり穴があった。その形は、先ほどより多少凸凹していたが……「またか!」宮田はかまわず飛び込んだ。

 また単純になってゆく自分という感覚……。

 そこはすべてが無数の細かな色をもった点によって構成された世界だった。精緻な点描によって世界は先ほどまでより美しく表現されていたが、《つまりはファミコンの世界ってやつだ。また一回りグレードダウン! ああ! はたしてもとに戻れるんだろうか?》

 しかし、宮田にははるか遠いその人を追いかけるより道がなかった。ポップな絵画風にアレンジされた宮田とその人はひたすらに今までと同じ荒野を、しかし違う世界を追いかけ、追われていた。

 また消えるその人。そこには穴が。宮田は飛び込む。単純化する世界。そして追いかける。また消える。そこに穴。飛び込む。単純化。追いかける。消える。穴。飛ぶ。単純。追う……。

 何度目のグレードダウンだろう? 世界はもはや、二次元空間における黒い点で表現されていた。宮田は点だった。その人も点だった。枯草も、雲も、風も、光も、何もかもが点だった。天なる点にはふわふわと点が浮かび、点にそよぐ点の中、点が点を追いかけていた。

「……」宮田は点語でなにかを呟いた。

「……!」そしてなにか叫んだ。

「……」これは追われているその人のセリフ。もっとも、最初からなにも喋ってはいなかったが。

 突然、前を走っていた点がぴたりと止まった。今度は消えはしなかった。もう一つの点は間もなく追いついた。二つの点は向かい合った。

「……!」

「……」

「……?……!」

「……。……」

「……! ……」

「……」

「!」

「……。……。……。……。……」

「……………………………………………………」


 読者諸君、私は決してふざけているのではない。実際に、以上のようなやりとりが点と点との間で行われたのである。もちろん、その内容は、このような形でしか伝えることができないが。言葉というものは、原則として、その用いられている世界の方法で表すべきではないだろうか?……なんだって? そもそも、人が点になるなんて信じられない? 考えてみたまえ、はるか天空から見下ろせば、現実の我々だって単なる点に過ぎないではないか。観察する位置によって対象の形態は変化するのだから、存在する空間が変わってもまたその形態は大きく変わるだろう。私がまったくのでたらめを言っているわけではないことは、賢明な読者諸君にはすぐにおわかりいただけるはずである……。

 とにかく、それらの一連の『会話』のあと、沈黙が「点の世界」を支配したのである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ