表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ヴェクサシオン  作者: 杜若表六
第三章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
30/49


「なに、Aについてだと?……実のところ、やつのことは、俺もよく知らん」

編集長はぶっきらぼうに言った。

「……では、あのAという人物とは、いつ、どこで出会ったんですの?」

「それはだね……まあ、こうなっちゃどうしようもないし、話すとするか。嘘みたいな話に聞こえるかもしれないが、信じてくれよ(少女はこっくりと頷いた)。

 十年くらい前に、そう、あれは、俺がまだ今のポストには就いてなくて、ただの一編集者だった頃の話だ。会社のむかいに、広い空き地があったんだが、まあ、今じゃもうそこには新しいビルがいくつも建って跡形もないがね、なにか、俺の知らない理由で、その空き地の管理者が、はっきりとわからない時代が長く続いていてね、勝手に、子供が秘密基地をつくったり、野良犬が群れたり、誰かがゴミを不法投棄したりしていて、それはもうやりたい放題、滅茶苦茶な場所だったんだよ。

 たとえば、何か用事がある時、会社から出て、ふとその空き地を眺めるとするだろ、すると、とつぜん、石が飛んでくるんだよ! あるときなんか、頬をかすめて飛んでいったくらいさ。もちろん、やったのは近所の(あるいはどこかからやって来た住処を持たない)子供達だよ。こら! 出てこい! やったのは、どこのどいつだ! ってすごい剣幕で怒鳴ったって、広くて草ぼうぼうの空き地だから、目を凝らしてみても、なかなか正体がつかめないんだね。相手方もそれを知っているから、こっちを影から覗いて、クスクス、キャアキャアの忍び笑いさ。まったく、子供ほど陰険な存在もないよ! だから小心者の社員は、裏口から出入りしたりしていたくらいで、まったく、こまったもんだった。

 ある日のことだ。俺がいつも通り会社を出て、飛んでくる石を警戒しながら空き地をちょっとながめると、なんだか、いつもと様子が違うんだな。なんというか、ほら、わかるだろ? いつも見慣れている光景のほんのわずかな変化に、見慣れているからこそ、気がつくということが。

 まず、石が飛んでこない。これはおかしい。いや、本当は飛んでくる方がおかしいんだが、そう考えてしまうほど、その頃のがきんちょどものイタズラは増長していってたのさ。それに、なんだかでかい声で朗々と演説しているやつがいる。その声だけしか聞こえないんだが、明らかに子供の声じゃない。しかも、なんだか教師が授業をしているときのような、自信たっぷりの、堂々としたはなしぶりなんだよ。

 俺は不思議におもって、ふと、青空教室かな? なんて妙なことを考えてみたりもしたが、とにかく、道をわたって空き地に近づいたんだ。道と空き地の境界線には、申しわけ程度に細い鉄条網がはりめぐらされていて、誰でも入れる状態だった。でも、少し仕事着をひっかけちまったけどな、その鉄の縄に。よくおぼえているよ、大事な、お気に入りの服だったから! まあ、今着ているのと、少しも変っちゃいないんだが……それで、空き地に足を踏み入れたはいいが、まずおそってきたのは、強烈な悪臭さ。あらゆるものが腐りきった臭い。酸っぱい、苦い、それにこれが一番嫌なんだが、甘い臭いが混ざった空気。俺はその空き地に入ってから数メートルのところ早くもで吐き気をもよおした。小僧めら、よくもまあこんなところでごっこ遊びができるな! と思いながら。だが、それも、しばらくしたらずいぶん慣れた。俺は、演説の語り手が気になってしかたがなかった。それに、子供たちが石を投げてこないのも気になった。長いこと、背の高い雑草をかきわけかきわけ、声のする方にむかって、懸命に進んだよ。久しぶりの激しい運動に、もう汗だくで、なんでこんなことをやっているんだ、と自分で思いつつ、声の方に吸い寄せられるようにして歩いたんだな。

 ……どれくらい経っただろう、途中で方向転換をしたりしたから、ずいぶんと遠回りをしたんだろうが、やっとこさめざす演説台までたどり着いた。そこは、草が刈り取られた、というより、生えなくなった場所で、というのはゴミの大量投棄場所だったから、滲み出る毒素で雑草すら生えないんだな。空き地の中の空き地、といったところだった。けっこうな広さだ。へんに黒ずんだ土がむき出しになっていて、生ゴミ、粗大ゴミ、得体の知れないゴミ、いろんな種類のゴミがそこら中にうち捨てられている。異臭はもうすごいことになっているようだったが、すでに「鼻がもげて」いたからなんとか耐えられた。後で家に帰ったら、家内に、どこをほっつき歩いてたのよ! あんた、からだ中、くさくさ虫がついてるわよ! って言われたっけな。結局、下着から何から全部、捨てることになったよ。その家内も、五年前に死んじまった。

 ……そうそう、話の続きだな。その「空き地の中の空き地」の真ん中には、かつては立派だったんだろうと思わせる、みすぼらしい外車の残骸が置いてあった。紫色の、しゃれた車さ。いや、かつては立派な車だったんだろう。まず俺がおどろいたのは、その外車の前に、十数人の子供たちが、きちんと立膝ついてすわっているんだ。こいつらが「石投げ」の犯人にちがいないが、それよりも俺はまず、その状況が理解できなかった。さらにびっくらこいたのが、例の外車の天井に、髭や髪を伸ばすままに伸ばした、つぎはぎだらけの浮浪者然とした服装の、今時珍しいほどにみすぼらしい男を認めたことだ。そいつは、外車の天井を演説台にして、指揮者のように手を大げさに振って、目を輝かせながら(不思議なことにその目は宝石のような光を放っていたんだ)、子供らに向かって一演説ぶっているんだな。こいつが演説者の正体だったんだ!

 これはどういうことなんだ、と思ったよ。思ったとも! いったいなにを話せば、こんなみすぼらしい男が、いたずら小僧たちの注目を一身に浴びることができるんだ? ってね。いや、それ以前に、いろんな疑問が、この浮浪者は何者なのかだとか、どうしてこの場所に一同が会しているのかとか、十分考えたうえでだよ。もちろん、具合のいいちゃんとした答えは見いだせなかったがね! 俺は二、三歩下がって、また草むらにかくれた。いったい、あの男は何を話しているんだろう、そう思って様子をうかがうことにしたのさ……」

「それで? 彼は何を話していましたの?」少女は目を輝かせながら問うた。その目の光を、編集長はどこか懐かしいものを見る心地で眺めた。

「……そいつは、お堅い議題を題目のようにとなえていたんじゃなかった。ましてや、政治の話をして、『将来有望な若者』を秘密結社にひきずりこもうという魂胆でもなかった。やつが一生懸命に、そして滔々と語っていたのは、……ほかでもない、物語さ。それも自分の身の上話でも、ましてやおとぎ話でもない、いや、正確に言えばそういったものが混ざり合った話……現実と夢物語が、うまく調和した話……奇妙だが、けっして不快ではない、なんだか、途中から聴きはじめた俺でも、その物語の中にすんなりと入って、優しく抱きとめられる、そんな話……その浮浪者は、正真正銘の、語り部だったんだ」

「素晴らしいですわ!」と天使を名乗る少女は叫んだ。「あの方は、やはり変わらなかったのね、試練に遭っても。自らの役割を自覚していたんだわ……ああ! それが、どうしてあのような醜悪な悪魔を生み出すようなことに? あの人に一体なにが?」

「そう、あいつは語り部だった……まさしく。夜も更けて、子供たちが家に帰ったあと(家なしの子供でも、そのゴミためをねぐらにしているやつはさずがにいなかった)、俺は外車の上で満足そうに仰向けにねころぶ男に近づいた。男はすぐ俺に気づいて、横になったままこう言った。警察ですか? 警察だったら、どうか放っておいてください! おれはいまのままで、十分幸せですから。警察でないのなら、おれの話を聴きに来たんですか? だったら、明日、ここにきてください。疲れが取れたら、またいくらでもお話ししますから……。じっさい、男はずいぶんと疲れているようだった。

 俺は言った。俺はしがない出版社の編集者なんだがね(そこで男はぴくりと身を震わせた)、君の話を聴かせてもらった。君の話は大変面白い。君は人に物語を語って聞かせることが好きなようだが、俺はより多くの人に君の話を聞かせたい。それに、君は今定職に就いていないとみえる。どうだい、小説を書いてみる気はないかい? それがもしおもしろければ、うちから出版するよう打診してみてもいいんだが……。男の目が、あの物語っている最中のように、きらきらと輝きだした。そして言った。よろこんで! ああ、なんと幸運なことだろう! まさか、こんなことになるなんて! 夢が、こんな形で叶うなんて! 俺は男のそんな喜びように多少面喰いながらやさしく言った、まあ、期待しないでくれよ、一編集者の独断で決まるものじゃないんだから……それにしても、今になって思えば、あいつの才能を一番買っていたのは俺だったんだな」

「やはりパワーに厳しく言っておいて正解でしたわ」少女が言う。「決して食べないように、と。なんといっても、あなたはあの方にとっての、ひいては我々にとっての大恩人、……いや、救い主ですもの!」 

「……やっぱりあの牛頭は人すら食べるのか。そんな気はしていたがね」編集長は苦笑しながら言った。

「あら、でも滅多に食べなくてよ。万が一のためですわ」少女はそう言って微笑した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ