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そこは、荒野である。
……Aが、見知らぬ男と向き合って、なにか激しく言い争いをしている。「おい! そんなところでなにをしているんだ! はやく記事を書くんだ!」必死に叫ぶが、Aにはまったく聞こえないようだ。向き合った相手の方がむしろ、怪訝な顔で辺りを見回した。「お前さんにはわかるのか? おい、この声が聞こえるのかい? ここだよ!」彼は、まるで鳥にでもなったかのように、上空から二人を俯瞰していた。「だれでもいい、こっちに気づいてくれ! ここにいるんだよ! ここに……」そのとき、彼は自分が鳥ではないことに気がついた。俺は鳥なんかじゃない。編集長様だ!
目が覚めた。
彼は牛男に片手で抱きかかえられていた。生臭い息が顔にかかる。体中が痛い。あばらの一本や二本はおれていそうだ。彼――編集長は、夢の酔いから醒め、ようやく今までのことを思い出した。「そうか、すると、牛男については夢じゃなかったんだな? くそっ! できればただの悪夢であってほしかったよ!」彼は苦々しく思った。なんとか自由を得たくて、体を必死に動かした。すると、牛男がそれに気づき、
「オキタナ。マア、アジトニツクマデ、オトナシクシテロ。サモナイト、クッチマウゾ」と例の奇妙な声で言った。
「クッチマウゾ、だ? 冗談じゃない! こんな奴に喰われてたまるか! それに、アジトだって? こいつには他にも、仲間がいるのか? ああ! ぞっとしない」哀れな編集長は心中で叫んだ。
それでもおとなしくすることにしたので、さしたる会話も出来事もなく、二人(一応そういっておく)は霧の中を進んでいった。この悪条件でも、牛男は「アジト」への道を容易に進んでいるらしかった。彼の嗅覚のなせる業なのか、それとも、人間には計り知れない化け物の勘なのだろうか?
とにかく長いこと、編集長は牛男に抱きかかえられたまま、霧の中を移動した。正確なことは何もわからない。視界は悪いし、体中が痛むし、なにより頭がひどく混乱していた。
「おい! いつになったら着くのかね? そのアジトとやらに」とうとうしびれを切らして禿頭が訊ねた。
「モウスコシダ、チョットマッテロ」牛頭がのろのろ答える。
やがて、二人の前に、もうだいぶ昔に持ち主がいなくなったとみられる、打ち捨てられた大きな洋館が姿を現した。立派なつくりだったが、だいぶガタがきているようだ。ときどき怪しく軋んでいる。その時代がかった不気味さは、まさに化物どもの巣窟というのにぴったりの雰囲気を醸し出していた。
「ツイタゾ。ココダ」と言うと、牛男は片手で大きな門を軽く叩いた。すると漆黒の門は音もなく左右に開く。
「けっこう古い建物みたいだけど、これは自動ドアみたいなものなのか?」編集長が不意に沸き起こった好奇心から聞いた。
「サア? オレモヨクシラナイ。オレ、ソウイウノニ、キョウミナイ」牛男が知性をまったく感じさせない声で答えた。
庭も広かった。植木のようなものはすでになく、雑草がぼうぼうと生えているだけなのだが、それが一層この庭の規模を大きくみせている。
洋館に入ると、禿頭はぎょっとした。建物の中にはなにも無い。家具も、絨毯も、シャンデリアも、こうした館にはつきものの調度品その他もろもろが一切存在しないのだ。エントランスはがらんどうで、化物屋敷のようだった。いや、実際にそうなのだ、ここは確かに化物屋敷には違いないのだ……。
「ずいぶん殺風景だな。ここがアジトか?」と編集長が聞くと、
「ソウダ。ココガアジトダ。ソシテ、ココガアジトダトイウコトニイミガアル」と牛男にしてはどこか思わせぶりな返事がかえって来た。
「いらっしゃい。お待ちしておりましたわ」エントランスの階段を下りながら、そう語りかけてくる者がある。
それは華奢な、不思議な雰囲気のする少女だった。長い栗色の髪の毛は炎のように渦巻いており、フリルのついた可憐な服を着ている。
「手荒な真似をしてすみません。あなたが神……いや、Aさんのお知り合いだということを聞いて、ここまでお越しいただいたのですわ」少女は言った。それを受けて禿頭は、
「お越しいただいた? 大層な物言いだね、まったく! こんな、体の自由を奪われて、そんな、丁寧な歓迎を受けるなんて、変な気分だよ!」と怒鳴った。
「申し訳ありません。……その人を楽にしておあげなさい」
楽にしておあげなさい? 意味を取り違えて、一瞬、殺されてしまうのではないか、と編集長は思ったが(無理もないことだ)、牛頭はすぐに彼を解放し、床に立たせた。長い間そうしていなかったので、ふらふらと眩暈がしたが、なんとかこらえ、すぐに体中を点検した。骨は折れていないようだ。彼は一安心した。
「それで?」編集長はあえて強気に出た。
「君たちはAの行方を知っているのかね?」
少女はしばらく沈黙した後、答えた。
「知っていますわ。でも、彼は遠いところに行ってしまった。遠い、遠い、ヴェクサシオンの世界に行ってしまいましたの」




