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ヴェクサシオン  作者: 杜若表六
第三章

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 ブウウウゥゥゥンンンンン……ブウウウゥゥゥン……。


「あっ!」

「アジャパー……またやっちまった……」

 つまらないミスから、またゲームオーバー。

 いや、これは違うんだ、周囲を飛びまわる蠅に気を取られた。

 まあ、といっても、テトリスの話なんだが……。 

 紹介が遅れた。俺は木安四朗。こう見えて「一応」私立探偵だ。

「一応」とアタマに付くのは……俺がまだ実際には依頼を一件も解決したことがないからだ。だから、ただの自称。

 今日も朝から依頼人を待っているものの、誰も来ない。まあ、この混沌とした状況で、わざわざ探偵に会いに来る奴などいない。ちょっと、探偵家業を始めるタイミングが悪かったかな……とにかく、することがないから、ただっぴろいこの事務所で、充電器がささったままの携帯をいじっている(きっと、バッテリーが弱ってきてるんだよな、たぶん。早めに取り替えなくちゃ)。

こんな現状の俺のことは、まあ、古臭い言い方だが、『カストリ探偵』といった方がいいかもしれないな。依頼料の安さだけが売りの、粗悪な探偵。

今は七月。記録的な猛暑に加え、謎の霧が街中を覆っている。うだるような暑さの中、蠅が一匹、さっきから俺の周りを飛び回っている。こんな風に。ブウウーン……。ブウウーン……。五月蠅(うるさ)くてたまらない。いや、七月蠅(うるさすぎ)て、か。俺はただテトリスがやりたいだけなのに。蠅は疲れも見せず飛び回っている。


 気まぐれに、俺は蠅の方へ意識を集中する。

 蠅の意識と俺の意識が入れ替わる感覚。 

 俺の意識は蠅の体に移った。


 ミラーボールのようなでっかい眼で、部屋を見回す。

 依頼人専用のドアはちょうど南にある。ドアの両脇には観葉植物の鉢植え。南洋から取り寄せた植物には、ちょうど今ごろどぎつい色の花が咲いている。入ってきた客の目には、まず、向かいにある無駄にでかいデスクが飛び込んでくる。いつもなら、そこにふんぞり返っている俺。今は、蠅の精神で、目をぐりぐり回し、「ぶう~ん」といいながら両手両足をバタつかせているが。それは置いといて、机の上には週刊漫画雑誌のだいぶ古いやつや、ちょっとマイナーな詩人の詩集、それにチャンドラーの「大いなる眠り」が飾るようにして置いてある。え? これじゃ、カッコがつかないって? しかたないだろ? 実家にあった本は前の二冊だけ、ハードボイルドの世界を知りたくて買った「大いなる眠り」は俺には難しくて、読んでる途中で意識を失い、それから大いに眠った。いいんだ、いいんだ。べつに俺はハードボイルドじゃない。

 机の上には他にデスクトップパソコンが一台、写真立てには、海亀が泣いている写真。プラモに使う接着剤、それから小銭が散乱。たぶんゲーセンで使える、変なメダルも混じっている。いつ紛れ込んだ? あと、雑多なメモが書かれた紙きれがたくさん。犬の顔が大きく描かれたCDジャケット。鮮やかな赤い犬が牙をむき出している。おそらくうなっている。顔のフォームとカラーが画面からはみ出るような表現で、周囲のものにギラギラと反射されていくかのようだ。

 東の壁には日本地図、西の壁には世界地図。落ちないように、四隅をしっかり釘で打ち付けておいた。大家には内緒だぞ。床には毛羽立つヴェルヴェットの赤い絨毯。人の顔をしたけっこう大きい黒シミがある。知り合いからもらった。探偵というよりマジシャンぽい感じもするが、気にしない。天井にはこれも知り合いからもらった、直径1メートルくらいのシャンデリア。いよいよもって探偵らしくなくなってきただろう? これでも一番小さい奴をもらったんだが。トイレの天井にあったやつだ。知り合いって誰かって? とある成金の息子なんだが、そいつの親父の会社が破産して、急遽、家を売りに出すことになった。でも誰も気味の悪いカーペットとトイレにあったシャンデリアなんて買わなくて、見かねた俺が買ってやった。そして、そいつはある日突然家族そろって失踪した。

 そうそう、忘れちゃいけないのが部屋の真ん中にあるでかいソファ。依頼人はここに座ってもらう。己の悩みを素直に打ち明けてもらうためには、ゆったりくつろいでもらう必要がある。……実はこれも例の知り合いのお古で、二束三文で手に入れた。……少し汚いし、ところどころにほつれがあるけど。 

 目ぼしいものはもうないかな。いつまでも蠅の姿でいるのはゴメンだ、元の体に戻らせてもらうぜ。意識を、手の平を懸命にこすり合わせている俺の体に集中する。意識が混ざり合う……。無事、元の姿に戻る。右側の、世界地図の横の窓を開けて、蠅を外に逃がしてやる。一度は体を交換した仲だ、殺すには惜しい。

 さて、開いた口がふさがらないようだね? ご覧になった通り、俺には「カメラアイ」という特殊能力がある。蠅などの小さな生き物と意識を交換して、その視点を手に入れることができる能力だ。もっとも、小虫以上の大きさの生き物にこの能力をためしたことはないが。理由は簡単、意識を交換するんだから、俺の身体の方は相手の意識に乗っ取られるわけだ。だから、そうそう知能の高い生き物に使うわけにはいかない。俺の身体を「持ち逃げ」されるかもしれないからな。そういうわけで、あんまり便利な能力じゃない。まあ、俺のⅠQがもうちょっと高ければ、もっと有効に、一財産築けるくらいには使えるのかもしれないが。いいんだ、いいんだ。何事も、自分のペースでいこう。

 不意に、ノックの音。身構える。


 トン

 トン

 トン 三回。


「はい、どうぞ。お入りください」

 俺は掌をすり合わせ、若干緊張しながら、丁寧にドアに向かって呼びかけた。

「失礼します」

 おずおずと入ってきたのは、顔色が悪く、ひどく貧相な男だった。せかせかと部屋に入ってくるなり、所在なさげに辺りを見回しているので、「さあ、どうぞ。そちらのソファへ」とうながす。「はい、失礼します」男はもう一度言って軽く頭を下げると、来客用のソファへ腰かけた。

「ようこそ、木安探偵事務所へ。さて、まずは、お名前をお聞きしましょうかね?」

「小松と申します」

「小松さんですね。……よろしければ、ご職業を?」

「出版会社の事務方をやっております」

「つまり、編集者?」

「ええ、まあ、そんなところです」

 小松と名乗る男はぎこちなく微笑した。

「なるほど。それで、ご用件は?」

「はい、実は……」小松は大きく息を吸って、

「編集長を見つけ出し、助けてほしいのです!」と思い切ったように言った。

「はあ、人探しですね? おたくの出版社の編集長が行方不明なのですか?」俺は極めて冷静に訊ねた。

「そうです」

「助けて欲しいというのは、もしかして、誘拐の可能性があると?」

「可能性があるというより、確実なことです。この目で誘拐されるところを見ました!」

「いつ?」

「昨晩」

「どこで?」

「○○四丁目あたり」

「ひょっとして、誘拐犯の顔を見ましたか?」

「ええ、しっかり見ましたとも! 昨晩、私は取材のため外出した編集長の跡をつけていきました。世の中がこの混乱でしょう? あの人が心配でたまらなかったのです。この霧ですから、気づかれませんでした。しばらくは何も起きませんでした。そして不意に編集長が立ち止まったのです」

「……そうしたら、誰かが向こうからやってきた?」

「そうです。……そいつと編集長とは、なにやら言葉をひとこふたこと交わしました。そしていきなり深い霧の中からそいつが姿を現したのです!」

「その人物の特徴を詳しく教えてください。それと、単独犯ですか?」

「そいつは一人でした、いや、『一匹』かな……なにせ、それは三メートルもある、筋骨隆々の、生臭い息を吐く、牛の頭を持った怪物なんですから!」

「今、なんと?」

「三メートルの……」

「いや、最後におっしゃった特徴です」

「そいつは牛の頭をもってるんです、牛頭なんです!」小松は真顔で答えた。

「ウウム……どうやら、俺の手には負えないようだ。他をあたってくれ」

 俺はそう言って目をつむりながら首を振った。

「本当のことです! ……他の興信所もあたってみましたが、どこにも信じてもらえなかった! 一笑に付されましたよ。肝心の警察はそれどころじゃないし! ああ! 一体、どうすればいいんだ?」小松は明らかに狼狽していた。しかし(ヤク)をやっているようには見えない。俺はため息をついて、

「わかりました、わかりました。とりあえず、編集長が行方不明だということは確かなのですね?」

「間違いありません。自宅にも戻っていません。私はこの目で見たんです、気絶したあの人を軽々と担いでどこかへ連れてゆくあの化け物を! ああ、今頃は奴の腹の中かもしれません」

「しかし、世間がこんな剣呑なときに、どうして編集長自ら出かけて行ったのでしょうね? 危険な取材なんて、部下に任せるべきでは?」

「あの人の中の記者時代の血が騒いだのでしょう。それに、Aといううちの専属作家が行方不明でして、彼を捜索するという目的もあったのです。彼に記事を書かせようと思ってね。まあ、ミイラ取りがミイラになってしまいましたが!」

「なんですって? いま、Aとおっしゃいました?」俺は椅子から身をのり出した。

「ええ、まあ、売れない作家ですよ。ご存じないとは思いますがね」

「いや、よく存じてます。よおく、ね」俺がそう言うと、小松は不思議そうな顔をする――俺はやけに真剣な表情をしていたに違いない――あいつ、作家なんてやっていたのか! 行方不明、だと? 変わったやつとは思っていたが、まさか第二の人生からも失踪するとは……そう、例の、俺がシャンデリアやらなんやらを買い取ってやった、消えた成金の息子の名前も、Aなのだ。もちろん、単なる同姓同名の可能性もあるが……。いや、違う、間違いなくあいつだ。俺の直感がそう告げていた。こういう時の勘はよく当たるんだ。……俺の心はすでに決まっていた。

「この仕事、お受けいたしましょう」俺は依頼者の目をしっかり見ていった。小松の眼は途端に輝きだし、

「ありがとうございます! ありがとうございます! もうあなたにしか、頼めないんだ! あなたにしか!」と小さく、震える声で叫んだ。

 俺はその他詳しいことを聞いた。編集長の特徴――でっぷりした腹をなんとか抑えているサスペンダー、口元のよく手入れされたちょび髭、そして磨いたような禿頭。Aの専属マネージャーも行方不明のこと、そして仲間の記者たちがうわごとのようにくりかえすおかしな話。

「あっ、そうだ。三人が映っている写真があります。皆で旅行に行った時の。はじめからこれをお見せすればよかったですね? こちらです」といて小松は持っていた鞄から写真を取り出した。

 俺はその写真を受け取る。多くの人が映っていたが、しっかりと三人の顔を確認することができた。まず、編集長。特徴のある風貌なので、見間違うことはおそらくないだろう。次に、A。やはり間違いない、多少やつれてはいるが、俺の知っているあいつだった。覚悟しろよ。そして最後にマネージャー君――彼の顔は特徴があまりなく、どうにも厄介だった。しかし、どこかで見たことのあるような気もした――だが結局思い出せなかった。

「これは、素晴らしい。いい手掛かりになります。この写真、お貸しいただけますか?」

「もちろんです。ご自由にお使いください。……できれば返していただきたいものですが。思い出の品なので」

「わかりました。ありがとうございます。なるべく早くお返しできるように努めます。……それと、Aさんのお宅はどこですか?」

「Aさんの家ですか? ……もうありません」

「というと?」

「火事で全焼しました。焼け跡からは、手掛かりもなにも見つかりませんでした。もちろん、遺体も! ああ、Aさん! 生きているのかどうかさえわからない」と言って小松は首を振った。

 俺は思わず唾を飲み込んだ。俺の知らないところで、なにか大きな事件が起きている。あるいは、なにか巨大な陰謀が蠢いている……こりゃあ、テトリスなんかやってる場合じゃない。初仕事は、とんだ大物だ!

「では、一応、家があったその場所だけでも教えていただけませんか?」俺は再度、小松に訊ねた。


 ……小松が去った後、俺はしばらく問題の整理をした。それが済むと、机の脇にあるカラフルな蛸をかたどった衣類掛けから、ちょっとくたびれた上着と帽子をとり、部屋から出て、鍵をかけた。

 外は室内より余計に蒸し暑かった。上着を脱ぎに戻ろうかとも思ったが、これが仕事着だ、というポリシーが勝って、結局そのまま通りに出た。……辺りは濃い霧に包まれている。常とは違う、怪しくユウウツな街。

ここから三人の男を見つけ出すなんて、骨の折れる話だ、まったく! たとえ一人は知り合いだとしたってな。

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