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「ああ! まったく! こんな時に、なにをやっているんだ? あのヘボ作家とポンコツマネージャーは!」
怒り狂った声が事務所に響きわたる。社員たちは首をすくめそれをやりすごす。その声の主――五十代くらいだろうか、でっぷり太った腹をサスペンダーで抑え込み、口元にちょび髭を生やし、なにより目立つのはてかてか光るその禿げ頭、毎日自分で磨いてでもいるのだろうか――この地方都市に拠点を置く小さな出版社の編集長は、なおも怒りを爆発させて、
「おい! 誰でもいいから、さっさとスクープをもってこい! スクープだよ、スクープ! 読者が欲しがっているのは、この騒動のそもそもの原因なんかじゃない、今実際に起こっている、事件そのものの状況なんだよ! わかったら、さっさと取材して、記事を書いてこい!」と檄を飛ばした。
「あの、お言葉ですが、編集長」編集者の一人が震え声で言った。顔色の悪い、貧相な男だ。
「取材に行った者が、誰一人帰ってきません。おそらく逃げたか、あるいは……とにかく、もう誰も取材に行きたがりません。それに、ある程度筆が立つ人材はもう社にはいません。主力の記者やらライターやらがもう全員出払っちゃってるんです。……肝心のAさんはさっきから行方不明ですし。自宅が火事で全焼とか。幸い、誰もいなかったらしいですけどね。だから、今日はもう遅いですし、ひとまずは社で記者たちの帰りを待ちましょう。……この状況で家に帰るのも怖いし」
「ほうほうほう、君、なかなか言うじゃないか、え?」禿げた男は歯ぎしりしながら呻った。
「しかしだね、君は本当に記者の端くれか? もし記事を書けないっていうんなら、お前がAを探してこい! それが筋だろうが、え? それとも、貴様、怖くて外に出られないのか? そういうことなら、ここで、もっと怖い目にあわせてやろうか? このフヌケ!……それにしてもAの奴め、こんな時に、どこにいきやがった? せっかくこの騒動についてのルポの一つや二つ、いやもっとだ、とにかくしっかりたんまり書いてもらおうと思ったのに」
「あの、お言葉ですが」貧相な男がまたもや口を出す。
「今回の混乱はあまりにも不可解です、人知を超えています。……人間の仕業とは思えません。たとえ我々がこの事件の真相をつかんで記事に書いたところで、それは一般読者に信じられるものではないのでは?」
「だから、言っとんだろうが!」禿頭は猛々しく吠えた。
「真相なんてつかむ必要ないの! 読者はとにかく現状が知りたいの! テレビに映らない現実を! だから何が起こってるか、それを書くだけで、いや、でっちあげるだけでいいの! 真相を覆い隠す、薄っぺらい表層、ただそれだけを読者は知りたいんだ! ああ! 本当に、こんな時に、Aがいてくれたなら……あいつ、途方もない話をでっちあげるのだけは得意だからな。空虚な空想を、さもあることのように肉付けする技術には長けてやがるんだから……もっとも、『本業』の小説の方は、からっきし駄目だが……この前の、街の教師……だっけ? そんなタイトルのやつも、あんまりさばけなかったしな……なんでも『コアなファン』にはバカウケらしいが……今は、とにかく、リアリズムの時代なんだよ、リアリズムの……それが奴にはわかってない……今の文壇の現状を、憂いてるとかなんとか言っていたが、カッコばかりつけてないで、自分の現状を心配しろよ……とにかく、どこへ行ったんだ? あいつは決して遊び人じゃない、酒、煙草、女にうつつを抜かす、そんなことできるようなタマじゃない。仕事をほっぽりだして蒸発する類の人間じゃないと思っていたんだが! ひょっとして、あれかな、自分の書いたおとぎの世界に、逃げ込んじまったのかな? いやいや、なにを言ってるんだ俺も! 第一、Aの専属マネージャーの奴はどこでどうしているんだ? 仕事をほっぽりだすようなやつじゃないはずだが……そう、なんせ、この俺がきちんと躾けてやったんだからな」
編集長は一人でいろいろわめいているうちに、だんだんと落ち着いてきたらしく、いくぶん理性的な言動を行うようになってきた。大きくため息を吐くと、それからはテキパキと編集者たちに指令を下し、大声で怒鳴るのも部下のミスを叱る時だけになった。しばらくして、例の貧相な男にコンビニで買わせた(この混乱で品物はほとんどなかったが)軽い晩飯をあっという間に食べた後、彼は不意に部下たちに向けてこう言った。
「よし、俺が外回りをしてこよう。取材がてら、Aを探してくる。いや、Aを探しがてら、取材をしてくるのか? ……どっちでもいい、とにかく、行ってくる。戦闘開始だ!」
「編集長! そんなの危険すぎます」顔色の悪い男はさらに血の気の引いた表情で言った。
「それに、ここもすでに戦場です!」
実はすでに取材に行った記者のうちの数人がデスクに戻って――無事生還して――きていた。彼らの話はほとんど支離滅裂だったのだが、とにかく皆でそれを記事にしようと社員一同躍起になっていた。生還者たちは「不思議な少女が空を飛ぶのを見た!」だとか「背中に翼が生えた男が煙草を放り投げると、それが爆発した! その男は木の洞からどこかに消えた」だとか「とんでもない大男が家畜を丸のみするのを見た! その顔は人間のものではなかった」などと口々に語り、社内はてんやわんやの大騒ぎ、それらの話を基にした記事は、常識的な観点から見て前代未聞、荒唐無稽な代物になりつつあった。
「そいつら(帰ってきた記者たち)の話が本当か、確かめてくる。なにか、起こっていることは起こっているようだが、どうにも得体が知れん。こうなったら、この目で見てみないと気がすまん! 止めても無駄だぞ、俺は行く」鼻息も荒く禿男は言った。
上着をひっかけ、食い下がる部下を押しのけ、彼は表の通りへ出た。そして考える。それにしたって、こんなに血が騒ぐのは、久しぶりだ!
辺りは人気もなく、閑散としている。そして、やけにガスった大気……背筋がぞっとした。夜も更けたとはいえ、いつもならもう少し人がいるはずだ。それにこの街でこんなに霧が出たこともない。これはただごとではない――記者としての長年の勘が、そう告げていた。思わず武者震いをする。
味気ないコンクリートの通りを速足で進む、Aの家の方へ。確か、大きな火事があったとか……とりあえず、どんなことでもいい、手掛かりを探さなければ……。まるで探偵になったような気分。
しばらく歩いた。不意に、なにかの気配を感じて立ち止まる。向こうから、なにかやってくる――なにか、とても巨大なものが。霧の向こうから、影だけが見える――――
「ナンダ、オマエ。ウマソウナ、ニオイ。……オマエ、アクマ、カ?」
鈍重そうな、いくつもの固い金属をすり合わせたような、人のものとは思えない声が、やけに生臭い息とともに禿頭をその場に射竦めた。
「違う、違う! 俺は悪魔なんかじゃない。それに、美味くもなんともないぞ。お前の方こそ、何者だ? 姿をもっとよく見せろ、お前が悪魔じゃないっていうんなら」なんだか昔話の台詞のようだ、と思いながら、声を必死に絞り出す。
しかしすぐに彼はそんな不用意な要請をしたことを後悔した。
霧の中からぬっとあらわれ出たのは、身の丈三メートルはあろうかという筋骨隆々の大男だった、上半身裸で、革製の腰巻のようなものを着けている。その手足は丸太のようである。
《こんな人間、ロシアかアフリカあたりを探しても、一人か二人くらいしかいないだろう!》
しかしそれ以上に驚くべきは、「それ」が人間の頭を持っていないことだった。人間の頭があるべき場所に、代わりにあったのはまだら模様の、巨大な牛の頭部だった。
《こんな人間、世界のどこを探してもいない、いや、いてたまるか!》ここまで考えて、理性はぷっつんと切れ、哀れな編集長はまったく意味のない悲鳴を上げた。さんざん叫びに叫んだあと、
「やっぱり悪魔はお前の方じゃないか!」とかすれた声で呟いた。
すぐさまくるりと後ろを向き、禿頭に汗をしたたらせ、全力で走る。しかし牛頭はのしのしと近づいてきて、あっという間に彼を追い抜く。こちらを向き、仁王立ちになった牛頭の身体に激しくぶつかった禿頭の意識が、にわかに遠のく――――
夜も更けて、街は霧に包まれている。




