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一方、神と宮田が対峙しているその上空で、天使はその様子をうかがっていた。
灰色の外套に身を包んだ、痩せた長身の男だ。痩せてはいるが、その均整の取れた顔のつくりは、まるでよくできた彫刻のような美青年。小さく形のいい耳、鼻筋はスッと通り、瞳は燃えるような赤。唇はこの整った顔の中でも特に美しいかたちをしているのだが、血の気が異様に悪い。そして、外套の背面には、周りを縫って補強を施した、縦長の穴が開いており、その穴から伸びた白い翼は、天鵞絨のような光沢を帯びて、仄かに美しく輝いている。
左手はポケットに突っ込み、もう片方の手で一般的なそれの倍はありそうな長さの煙草を燻らしている。チリチリと先端は徐々に灼けてゆき、くすぶる灰色の煙がほわりほわりと虚空に長く伸び、やがて消えていく……。
はたして、それがこの煙草によるものなのか、他になにか原因があるのかどうかは知れないが、この美男子はどことなく健康を害しているような、病的な兆候を全体として見せていた。生気の感じられるのは、内部で密かに激しい野心を燃やしている、大きな赤い瞳だけである。勿論、はたして天使に寿命や病が存在するのか知れないが、確実に虚無的な要素を多く持っている彼の身体の中で、この瞳だけは生の気概を失わずに在った。
「さて、さて、さて。これは見ものだ。どうなることやら」彼は天使らしからぬ歪んだ微笑を血色の悪い口にたたえながら、呟いた。「しかし、その前に、誰か、私に用があるようだ。まあ、要件の、大体の見当はつくがね。ここはひとつ、挨拶をしなければ礼儀に反するな。もっとも、相手にそんな気は毛頭ないようだが!」
そう言うと、不意に天使は勢いよく翼を羽ばたかせ空中で大きく宙返りをした。
と、先ほどまで天使のいた場所を、正確に、黒い影が通り過ぎてゆく――それは漆黒の巨大な老鴉だった。……その脚は三本あった。例の八咫烏である。
「ネヴァモア! ネヴァモア!」天使に向かって、威嚇するように、執拗に鳴き叫ぶ。
「危ないじゃないか、カラス殿。もう少しで空の交通事故を起こすところだったよ。その場合、誰がどう見たって君が悪い。酒でも飲んでいるのかね? 飲み過ぎは身体に毒だよ」天使は静かに、侮蔑を込めて言った。
「ネヴァモア! ネヴァモア!」鴉は天使に向かって一声鳴くと、一気に加速して再び天使の方へ突撃をした。
それを天使は先ほどと同じように宙返りして避けると、大きな声で言った。
「ほほう、カラス殿、君はあくまでも、この熾天使に喧嘩を売ろうというのかね? やめておきなさい、すぐに黒焦げになってしまうよ。もっとも、君はもともと真っ黒だがね!」
男は、高笑いしながら、鴉の方に向けて煙草を放り投げる。
と、たちまちにそれは内側にめくれて丸く形を変えると燃え上がり、轟音とともに巨大な火の玉となって爆ぜた。
炎を自在に操る天使――熾天使の妖しげな魔術は、辺りを煌々と照らす。
老鴉は咄嗟に身をよじってなんとか直撃を避けたものの、少しだけ羽が焦げ付いた。
「そういえば、腹が減ってきたな……焼き鳥は大好きなんだ。覚悟してもらおうか!」天使の口にはすでに新たな煙草が燻っている。
「ネヴァモア! ネヴァモア!」鴉がやかましく鳴く。どうやら、鴉の方にもなんらかの手があるようだ――――
「おい! うるさいぞ!」地上から怒鳴り声が聞こえてきた。神とあれこれ言い合っていた宮田が、上空の闘いに水を差したのである。いや、二人の論争に水を差したのが熾天使たちだといったほうが正しいのかもしれない。どちらにせよ、宮田は叫ぶ。「静かにしろ! できないなら、どっかに行っちまえ! なんたって、おれはこいつと、この神様野郎と、極めて重要な話があるんだからな! 私、宮田望は、あんたらがこの場からさっさと去ってくれることを切に願う!」
「おや、これは失礼!」ペチンと自分の額を大げさにたたくと、天使は小さく頭を下げた。「私だって、こんなつまらない喧嘩をして、騒がしくする気は初めから無かった。では、悪魔殿のお望み通り、目障りな天使は消えますよ。君たちの世にも奇妙な喧嘩を観戦できないのは、少し残念だけどね。まあ、私には仕事があるし、仕方がないか。……さて、カラス殿、この勝負はお預けだ。しかしまた、私の邪魔をするというのなら、今度こそ、焼き鳥定食だ!……さらば!」
そう言った天使が胸を何倍にも膨らませながら大きく息を吸い込み、吐き出すと、たちまちその全身を真っ白な煙が覆い、それが晴れると、翼を生やした怪しげな男、天使の姿は、すっかり消えていた。
鴉は男が消失した辺りをじっと睨んだあと、突然なにかに気づいたように、びくりと身を震わし、大急ぎでどこかへ飛び去って行った。
こうして空中の、短く、熱い戦いはひとまずの終わりを告げた。だが地上では、相変わらず二人の男が対峙していたのである。
「一体全体なんなんだ、あいつらは? まったく、最近の鳥どもは!……まあ、とにかく、邪魔者は去った。さあ、ゆっくり話し合おうじゃないか?……神よ!」と宮田が毒々しげな微笑を浮かべて言った。




