表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ヴェクサシオン  作者: 杜若表六
第二章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
18/23

《それにしても、ここは鏡に映し出された虚像のような世界だ。それも、きわめて質の悪い鏡に……》

 と、盥屋は思った。

 本来の世界によく似てはいるが、どこか微妙に違う。

 なにもかもが出鱈目だ、とまではいわないが、なにかがねじれている。歪んでいる。もっとも、この世界の視点から見たら、本来の世界のほうが歪んでいる、とも言えるが、それはどちらでもいいことだ。

 とにかく、似ているということが厄介なのだ。もしも、この世界の住人が我々と同じく、未完成な言語を話すとしたら? 愚かな思考をめぐらせるとしたら? 哀れにも、敬虔な信仰をもっているとしたら?……うんざりだ。このせっかくの長旅が、さぞかし息苦しいものになってしまいかねない。

 しかし、もしもここで骨を埋めるしかない羽目に陥ったとして、どこで死のうと(第一に私は死ねるのかという問題があるにせよ)、一体なんの違いがあろうか?》

 盥屋はひとり、首を横に振った。なにも変わらない。そうだ、なにも。

《私がいまいる、おとぎ話のような世界。確かに、この世界には妖しい魔法がある――しかし、それは子供騙しだ。

 この世界の神は――そんなものがもし存在するとすればの話だが――愚劣きわまりない。私の求めているものは、少なくともここにはない(この世に答えなどどこにもない、と言えるほど私は詩人でも哲学者でもない)。と同時に私は思索する者だ。考えることをやめない(おそらく、宮田もそうだ。我々の繋がりはその点にしか存在しないのだ)。

 宮田。あの男はどこまで考えているのだろう? どこまで? 私ほど深くなにごとかを考えているとはどうも思えない(そう考えるのはひょっとしたら私の驕りであるのだろうか?)。しかし彼には、『行動する』という選択もある、常に。彼は行動家だ。

 対して、私にはそのような選択はない。いや、私だって、その時になればあるいは……。》

 盥屋は、神の創作した自分の『故郷』が、今いるこの世界とどこか似ていることに気がついた。そしてなにか言い知れぬ寒気を覚えた――それが一般的に「恐怖」と呼ばれるものであったということには、ついぞ気づかなかったが。

 そうだ……。

「君は、自分が神になりたいと思っている」

 そう言ったとき、盥屋は、内心、宮田に次のように答えて欲しく思っていた。

「(固く握りしめた拳を高々と空に振り上げながら)おやおや、どうして、どうして、君というやつは油断ならないね!」そして宮田は驚きを隠しもせずに続ける。「その通りさ! 君が神、と呼ぶところのものに、俺はなりたいのさ! 絶対的な自我の支配者にね! ただ、あらゆる因果の及ばない、『ごく小さな範囲でのエゴイズム』さえ守られたなら、俺はそれでいいんだが! 俺が虫も殺せないような善人であると同時に、大量殺戮もまた辞さない悪漢であることが許されるような一点! その、『拳一握り分のロマンス』が、神への欲求、いや、正確に言うと、神への呪いが、被創造物としての嗚咽が、俺に闘えと呼びかけるんだ……汝、汝が呪うところの神となれ! とね」と。

 何故なら、これが彼の無意識に違いないから。

 それに対して盥屋はこう呼びかけるのだ。

「同志よ!」高らかに叫ぶ、「われらその目指すところは違えど、他者と自己の違いはあれど、神への欲求と呪詛の面ではこの上ない同志よ! 共にゆこう! 遥かあてなき道を、この朝日に誘われて!」

 朝日なんて実際に出ていなくてもいい、ただ何らかの景気づけが欲しかった。この、傍から見れば単なる茶番と捉えられかねないような、奇妙な門出に対しての。

 宮田の不幸の最たるものは、己の本質的な欲求の無自覚である、と盥屋は思っていた。彼が自らの志向を明確にすることが出来れば、あの無軌道なふるまいもなくなり、我々は易々と目的達成のために手を携えてゆけることだろう。……手を携えて? それはあり得ないか。われら二人、いくら兄弟と言っても、腹違いの兄弟だ、彼は神の情念の子、私は神の理性の子。きっとそうに違いない! 

 いずれにせよ、悲劇を演ずるには大根役者過ぎるが、喜劇を演ずるにはお似合いの二人だ。なんと滑稽な復讐譚! 彼にも私にも、適役があるはずなのだ……この茶番劇の内に。

《ふむ……それは、果たして……》

 彼はなおもとりとめなく考え続ける。

 誰かが言った、人間は考える葦である、という。では、私は?

 少なくとも、人間、まったくの人間ではあるまい。それなら私は一体何者だ?

 とにかく、私は考える者だ。

 だが、私が考える何者であるかを、私自身に上手く説明することができる者が、私自身にしっかりと教え諭すことができる者が、どこかにいるのだろうか?

 私には存在するとは思えない。私は孤島だ。ならば、自ら考えるしかない、自らが考える理由を。

 解明したいことは山ほどある。例えば、私はなにを求めているのか? そしてなにを恐れているのか? 私以外にわかるはずがない。わが「無二の相棒」の宮田にだって、わかりはしないだろう。

 ましてや、あのニワトリのように愚劣な男――「神」――には、私を理解できるはずがない。彼は私達を誤解し続けるだろう。単なる鬼っ子だ、悪魔だと、ただひたすらに、頑なに。

 しかし、それでいい。いや、それがいいのだ。そうでなくては始まらない。神が愚劣だからこそ、被造物は必死になって考える――この誤謬だらけの世界をどのように生きていくべきか? いかに存在し続けるべきか? と。

 我等を生んだ神は白痴で、なにも教えてはくれないのだ。ただ創造――いや、想像し、妄想し、夢想するだけだ……そして同時に被造物の命を奪ってゆく、無造作に。だからといって、神をどうこうすればすべてが解決するわけではない。なにも変わらない。むしろひどくなってゆく。我々自身が変わらなくてはならない。そのために考えなくてはならない。

 私は善人なのかもしれないし、悪党なのかもしれない。どちらにせよ、白痴の被造物の地位に甘んじているよりかはましだ。なにも気付かず、ただ眠っているよりかは。皆、眠っている。なんと、神さえも! 私ひとりは目覚めていなければならない。

 こんなことをひたすら考えている、当の私は、宗教家だろうか? それとも哲学者? それとも……狂人?

 おそらく、そのいずれでもない。私は思索者、孤独な思索者の一人に過ぎない――――『ごく小さな範囲でのエゴイズム』……私にとってそれは、考えること、考え続けることだ。

 たとえ神であってもこの自由を侵すことはできない!

 そして私にとっての『拳一握り分のロマンス』とは……全部とは言わない、少なくとも、私の思索する幾つかの問いに対しては、「明確で・調和した・良い加減」の答えを見つけることができるという、微かな、淡い、個人的な希望に他ならない。……

《この世界、あるいは牢獄、あるいは孤島、あるいは問い……を越えていくための、私なりの、はっきりとした扉……つまり答え……》

 そのうちだんだんと、壁が近づいてきた。壁の方から迫ってくるかのような感覚。ただの錯覚だ、と盥屋は冷酷にその認識を切り捨てた。石を積み重ねてできた、堅牢そうな壁。いったい、何発のダイナマイトがあれば、この壁を崩せるのだろうか? 彼は意味もなく計算した。まったく速度を変えず、歩き続けながら。

 ついに、門の前に立つ。光を吸いこむ黒色の、巨大な門がそびえている。陰気な門だ、と彼は思った。それとも、見る者によってその印象は変わるのか? これも一種の鏡のようなものなのか。辺りにはやはり人気がない。 

「さて、どうすればいいのかな? また呪文でも唱えるか?」盥屋は微かに笑った。彼お得意の皮肉よりも、疲れから生まれた、どこか諦めたような澄んだ微笑だった。

 しかし、何もする必要はなかった。試しに手で触れると、門は自然に左右へ開いた。音もなく。盥屋が通りすぎると、門は静かに閉まった。

《まったく、便利な仕組みだ!》

今度こそ皮肉気に口を歪める。


 壁の内側には何があったか?

 そこは街だった。壁の規模からもわかることだが、大きな街だ。

 大小さまざまの家が場所を争うように出鱈目に立ち並び、寺や教会や、商店や、役所、その他諸々の施設もあった。街の中心部の方に、ドーム屋根やヘルム屋根、小塔屋根が見える。人々は活気に満ち溢れ、この広い街並みのそこここを行き来していた。

 住居の形もさまざまで、イズバのような丸太小屋や、藁屋根の小さな家、杭を打って床を高くしている家屋など、とりとめがなかった。ある家の庭先では、鶏や羊、豚がめいめい好き勝手鳴きながら泥の上を蠢いていた。ある家はまったく近代的な住宅で、駐車場とガレージらしきものがあったが、自動車はどこにもなく、おまけに家そのものが荒れ放題だった。

 つまりこういうことだった。その街はまるで誰かの記憶の箱をひっくり返して、なにもない空間を無理に埋めようとしたかのような、混沌とした街だった。

 壁の内側の、ごちゃ混ぜの街――《いよいよおとぎ話めいてきたな》盥屋は思った。

 誰も彼の方を振り向かない。《私の姿が、見えていないのか?》しかしふと、頭に荷物をのせた一人の少年と目が合った。《どうやらそういうわけでもなさそうだ》つまり壁の向こうからの訪問者も、さして珍しいものではないらしい。

 門から続く大きな通りを歩く。ただその場に立って辺りを見回すもの。家族で買い物をするもの。裏路地に急ぎ足で入るもの。彼はさりげなく、いろいろと観察した。……人間の姿は、この世界も変わらない。話している言葉も理解できる。

 悪夢のような世界だ、と彼は思う。せめて頭から角の生えた、三本足の、逆立ちで歩く人間だったなら、もう少しマシだったのに。宮田なら、はっきりとこう言っただろう。「また人間か。もううんざりだ!」

《人間とは何だろう。結局のところ、自分を人間と信じているか、他人から人間だと思われているかしている者のことを言うのだろう。その線でいくと、私はどうだろうか。おそらく、自分を人間と認めたくない人間なのだろう。道行く人々は、私を単なる人間だと思っている。私はそれを不快に思うが、今の私に他人の考えを変える術はないし、そうしようとも思わない。私は悲しいほどに人間だ。きっと人間の中にも、自分が人間であると認めたくない連中が随分いるに違いない。だけれども、そんなつまらなくて小難しいことを考える彼らこそ、本当に人間らしい人間だ。人間らしさとは、矛盾に満ちたものだ。ないものねだり、いや『あるものいやがり』だ。確実に存在している事実(自分が人間であること、何か特別な存在ではないこと、etc.)が、我々を苦しめる》

「どうです、一杯?」いきなり目のでかい小男が盥屋の目の前にひょっこり現れ、話しかけてきた。酒場か何かの客引きであろう。「お疲れでしょう?」しわがれた声で囁く。

「疲れないみたいなんですよ、それが」盥屋は真顔で答えた。「この世界ではね。私は、こことは違う、別の世界からやってきたんです。異次元からの来訪者といってもいいかな。だから、少々元の世界との差に驚いているところで……」

「え? ああ、はい、そうですか、そうですか、それは失礼……」

 男は奇異の目で盥屋を見上げた後、話もろくに聞かず、そそくさと去っていった。もうすでにしこたま飲んでいると思われたのだろう。それにしても、酒を飲む時間でもないだろう。まあ、それも、時の概念が元の世界と一緒ならの話だが……。

 盥屋は考える。どうしようか? あの、懐かしき神を探すか? だが、この人ごみから誰か目当ての人物を探し当てることなど、到底できはしないだろう。そもそも私は、誰かを探していたのだろうか? ここにいるのも、元はといえばただの付き合いだ。が、しかし、別にすることもないのだ――考えること以外は。

「ここは随分と明るいな」と独りごちた。

 通りすがりの誰かが怪訝そうに彼の方を見やる。しばらく、その場にただ立っていた。

「ずいぶん、明るすぎる」

 やがて彼はゆっくりと通りを横ぎり、うす暗い裏路地へと姿を消した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ