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ヴェクサシオン  作者: 杜若表六
第二章

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11/15

 幾何学、幾何学、幾何学……床一面の幾何学的紋様。そして空は不気味なほどに青い。

《ところで、今、何時なんだ?》神は頭がクラクラとしていた。《とにかく、時間が知りたい。我々はもう何分、何時間、いや何日間、歩き続けているのだろうか?》

 神は並んで歩くマネージャーを横目でチラリと見た。青年もヘトヘトに疲れているようだ。肩で息をしながら、やっとのことで歩いている。

 道はただただ一つきり、ひたすらに続いている。広い道の両脇は絶壁になっており、見下ろすと結構な高さになっている。ちょうど道の幅くらいの高さであろうか。

 床には三角形、四角形、五角形、……様々な図形が組み合わさった複雑な幾何学模様が刻まれており、子供のころから数学の嫌いだった神は、それを見つめているとクラクラと眩暈がした。《ああ、悪夢のようになってしまった世界から逃れようとして、今度は正真正銘の悪夢のような世界に足を踏みいれてしまった!》神はこっそりと心の中で嘆いた。

「まったく、いやになるね、この世界は。一体、どこかの誰かは、私を、何の目的でこんなところに呼んだんだろう?」

「ほら、言ったじゃないですか、幻聴じゃないかって。その声っていうのはやっぱり空耳だったんですよ、先生!」

「……仮に空耳だったとして、それじゃあこの世界は一体なんなんだ? 私たちの見ているこの世界は」

「そりゃあ、おおかた、夢か何かじゃないですかね?……僕たちのどちらかの見ている」

「じゃあどうして二人がこうして考えて話しているんだい? 君は、やけに話を現実的にしたがるね。ちょっと茶化しながら……もう少し、真面目になって考えてくれよ」

「先生、それはひどいなあ……真面目も真面目、大真面目に考えているから、いやでも現実的になるんですがね」

「いや、そもそも現実的という意味はだね……」言いかけて神は議論が馬鹿らしくなってきて口を閉ざした。《こんな不毛な議論、時間の無駄だ。時間?……今の我々には、時間さえわからない……》

 二人はそれきり黙った。

 あとは一本道をただただ歩き続けた。

 何か道しるべになるような、看板のようなもの、それさえも無かった。もっとも、道は一つであるから、迷うこともなかったが。この道はどこへ続くのか? 不思議なことに、二人は腹も減らなかった。神はそれに気づくと、いよいよもって今置かれている状況の異常を思った。マネージャーはといえば、きっと極度の緊張で胃腸の動きが悪いのだろうと解釈した。確かに長い間歩いていても汗の一滴もかかない、これも不思議だが、それがどうしたというのだろう? 彼はあくまでこれは自分の生理現象の異常であると「現実的」な判断をした。

 空はひたすらに青く透明である。気の利いた風流人なら、この素晴らしい空について、なにかいい感じの詩句を引用するかこしらえるかして、披露してみせただろう。しかし神もマネージャーも一言も発さず、ただただ歩き続けていた。

 時が止まったかのようだった。果てしない距離を歩いたような気がしていた。また、実際に果てしない距離を歩いた。この空間が一般的な法則を超越していることは明らかだった。

 神は暇つぶしに今までの人生の出来事を反芻したり、出会った人々の顔を思い出したりしていた。だがどうにもうまく思い出せないことに気づいて、苦笑した。《私の記憶力も鈍ったのかな?》はじめはそう考えての苦笑だった。やがて《これはただ事ではない、元の世界のことを忘れはじめている!》という驚きの苦笑に変わった。それが上から墨を塗られているのか、消しゴムでこすられているのか、正確な喩えはわからないが、この世界に来てから記憶というものが刻一刻と失われ始めていた。その事実に彼は身震いするほど恐怖した。

 マネージャーはこれがまだ夢であると信じていたが、同時に秘かな胸算用もしていた。《こんな重労働、聞いてないぞ。第一、この一連の逃避行にまだ納得がいっていない。先生と編集長の板挟みになって日常に疲れ切っていたところに、この非常! 特別手当は出るんだろうな? それなりの対価はいただかなくては……》彼は編集長の禿げ頭をしっかりと思い起こしていた。

「あの……」「なあ……」

二人は同時に口を開いた。

マネージャーがすかさず「どうぞ」と譲った。

「……もうそろそろ、なにか見えてきてもいい気がするんだが……なにも見えないね」

「僕もちょうどそう思っていたところです。なにか、こう……夢にしちゃしつこいな、と」そう言って困ったように微笑した。

「どうしようか? もう少し進んでなにも無かったら、引き返すことにしようか? あの出発地点まで」

「戻る? 戻ったって、どうせなにも無いじゃありませんか。落ちてきた穴も、きれいさっぱり消えてしまったようですし」

「確かに。では、どうするかね?」

「もうこうなれば、やけのやんぱちですよ……前に進みましょう」《あとでたんと報酬をいただこう》

「そうか……それもそうだね……いや、そうするしかないか」《彼の言うことももっともだ。ただひたすら前に進むしかない。答えは道の終わりにあるだろう……》

 そのように話していた時だった。二人の前に、まさしく『道の終わり』といえるものが見えてきた。あわててそこまで走ってゆくと、二人はともに絶句した。突然あらわれた道の終わりには『あるもの』があって、それがことの不可解さを一層増していた。《不可解、不可解、すべてが不可解!》神は目が回りそうになりながらも、必死に自分を保とうと努力した。

 道の終わりにあったのは、床から生えた大きな時計の針と、それをのせる文字盤だった。それはまさしく精巧な出来で、今も(おそらく)正確に一定のリズムで時を刻んでいた。ただし、水平に。

「そうか、わかったぞ」神は唸った。

「わかったって、なにがです? いまの時間ですか? こっちは一層わけがわからなくなりましたよ」

「この『道』は、巨大な時計塔だったんだ。ただし、横たわった時計塔だ。それを道だと思って、私たちはここまで歩いてきたんだ」

「それはなんとなくわかりますが」と、マネージャーが言葉を受けた。

「一体、なんで時計塔が横向きに置かれているのか、そしてまだ変わらず動いているのか、そもそもなんでこんなに長いのか? これじゃあ、横たえることを前提にしたつくりじゃありませんか? なんにも、説明がつきませんよ」彼は顔をしかめた。

「そんなことはどうでもいいことだよ。重要なのは、こちらの世界では、時間というものが我々の世界とは違った流れ方をするものだということが、これではっきりしたことだ。おそらく、空間の概念も違うのだろう。それは、いままで歩いてきた道のりでなんとなくわかる。道の終わりを話題にした瞬間、それが目の前に姿を現したことからもね。そしてもう一つ重要なのは、いま、我々二人はその時間の果てへ来てしまったということだ。つまり、この世界の時間の基準の中心へ。時間の果てとは中心のことだからね(ここで彼はちょっとした独自の時間論を仄めかしたが、相手はよく聞いていなかった)。さあ、これから、我々はなんとかしてこの世界の空間としての中心、つまり空間の果てまで行かなけりゃならない。さもないと、元の世界には永遠に帰れまい。もっとも、我々を呼んだ人物や、悪魔どもにもいずれ会うことになるだろうが」

「つまり」マネージャーは神の言葉を要約して言った。「もっと歩かなきゃ帰れない、ってことですね?」

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