第9話「呼び戻された証人」
王都へ戻る朝、砦の門前には思ったより多くの人がいた。
ニナは薬箱を抱え、今にも泣きそうな顔をしている。
ラーニャは馬の鞍を確かめながら、いつもより無口だった。
ハロルドは書類箱を二つ、馬車へ積ませている。
「これ全部ですか」
私が尋ねると、ハロルドは当然のように頷いた。
「薬室記録、申請控え、症状記録、村の水路報告、封蝋の欠片、セルドの革札の写し。原本は別便で隠して送る」
「用心深いですね」
「君に学んだ」
それは少しだけ嬉しい言葉だった。
ニナが一歩前へ出る。
「私も行きます」
「駄目」
即答すると、ニナは唇を噛んだ。
「でも、私は証人です。薬室の記録も、村の子どもたちの処置も見ました」
「だからこそ残って」
私は薬箱へ手を置いた。
「王都が私を止めた時、薬室を空にしないで」
ニナの目が揺れる。
「止められるんですか」
「止めに来るでしょうね」
王都は、私から薬師の名を奪うために呼び戻した。素直に話を聞くとは思えない。
だから、残すものが必要だ。
人も、記録も。
ニナは泣きそうな顔のまま、深く頷いた。
「守ります。薬室も、記録も」
「失敗したら」
「隠さず、直します」
それで十分だった。
馬車が動き出す直前、リンド村の母親たちが駆け込んできた。
腕には包み。干した果物と、粗い布に包まれた小さな札。
「薬師様。これを」
札には、村長と母親たちの名が並んでいた。
子どもたちを救われた証言。
字は不揃いだ。けれど、一つ一つの線が強い。
私はそれを受け取り、胸に抱えた。
「ありがとうございます」
馬車の中で、エルネスト殿下はその札を見て言った。
「よい証拠だ」
「証拠としてだけ見ないでください」
思わず言うと、殿下は私を見た。
「すまない」
謝られて、逆に困った。
私は札を布に包み直す。
「いえ。証拠でもあります。でも、それだけにしたくない」
「分かる」
殿下の声は静かだった。
「辺境では、人の名が数字にされやすい。何人倒れた、何人足りない、何袋届かない。王都へ送るには数字が要る。だが、数字だけにすると忘れられる」
私は顔を上げる。
この人は、分かっている。
だからこそ、疲れていても村へ行ったのだ。
道中、私たちは書類を何度も確認した。
第二王子宮に似た革札。
薬草干し場に残っていた封蝋。
王都の香木灰と同じ匂いを持つ丸薬。
監察使バジルと書記官トーマの不自然な動き。
セルドの逃走と死。
どれも一つでは弱い。
だが並べれば、同じ方向を指す。
王都。
第二王子レオンハルトの周辺。
そして、私の記録を奪った宮廷薬師。
「名前は」
殿下が尋ねた。
「あの宮廷薬師の名ですか」
「そうだ」
「モーリス・ダルトン。王宮薬草庫の副管理官でした」
口に出すだけで、指先が冷える。
私の配合案を褒め、次の会議では自分のものとして提出した男。
舞踏会で私が断罪された時、目をそらした男。
「恐れているか」
殿下の問いに、私は少し考えた。
「恐れています。でも、戻らないほうがもっと怖い」
「なぜ」
「私が黙れば、あの人たちは次の薬師からも奪います。辺境にも、また毒を送るかもしれない」
馬車の揺れが続く。
王都へ近づくほど、空気が少し湿っていく。
懐かしいはずの景色が、知らない場所のように見えた。
宿場町で一泊した夜、事件が起きた。
私たちの部屋へ、宿の少年が温かい茶を運んできた。
盆に載った茶器は三つ。
香りを嗅いだ瞬間、私は手を伸ばして止めた。
「飲まないで」
少年の肩が跳ねる。
ラーニャがすでに扉を塞いでいた。
私は茶器の縁を見た。
薄い白粉。
第一話で殿下の杯に残っていたものと似ている。ただし量は少ない。
眠らせるためのものだ。
「誰に渡されたの」
少年は泣き出しそうに首を振る。
「外の人です。これをお客様へって。銀貨をくれて」
エルネスト殿下の目が細くなる。
「顔は」
「帽子で見えませんでした。でも、手袋に青い糸が」
青い糸。
トーマの袖口。
私は小さく息を吐いた。
まだ追ってきている。
つまり、こちらの証拠は王都へ届くと困るものなのだ。
翌朝、私たちは予定より早く王都へ入った。
王宮の尖塔が見えた時、胸の奥がぎゅっと縮む。
あの場所で私は切り捨てられた。
だが、馬車の窓に映る私は、あの夜の私とは違っていた。
隣には王弟殿下がいる。
後ろの馬車には記録がある。
辺境には、帰る薬室がある。
王宮の門前で、使者が待っていた。
「リゼット・アルヴェーン。審問は本日午後、旧薬草庫の広間にて行う」
旧薬草庫。
私が何度も記録を書いた場所。
奪われた場所で、また裁かれる。
エルネスト殿下が馬車を降り、私へ手を差し出した。
「行けるか」
私はその手を見た。
王都では、誰かの手を取ることは弱さだと思っていた。
でも今は違う。
私は短く頷き、手を取った。
「行けます」
旧薬草庫の扉が開く。
中には、第二王子レオンハルトがいた。
そして、その隣にモーリス・ダルトン。
あの夜、目をそらした男が、今度は私を見て笑っていた。
「戻ってきたか、リゼット」
私は薬箱を抱え直した。
今度は、黙って奪われるために来たわけではない。




