第27話「ルヴェ倉の梁には、燃やせない写しがありました」
ルヴェ倉へ向かう道は、朝霧で白かった。
旧街道の外れ。
戦時補給の中継倉庫。
今は使われていないはずの場所。
そのはずの場所へ、馬車の轍が続いていた。
「新しい」
ラーニャが地面を見る。
「昨夜か、今朝だ」
「焼く準備でしょうか」
ニナが小さく言った。
彼女も来ている。
止めたかった。
けれど、黒帳の数字を読み解くには、今のニナの納品記録が必要だった。
私は彼女へ言う。
「怖くなったら、すぐ後ろへ」
「怖いまま、後ろで書きます」
ニナはそう答えた。
強くなった。
万能になったのではない。
震えながら、逃げないでいる。
それが今の彼女の強さだ。
ルヴェ倉は、黒い石でできた四角い建物だった。
扉は閉じている。
だが、錠は新しい。
古い倉庫に、新しい錠。
それだけで、人の手が入っていると分かる。
エルネスト殿下が兵へ合図した。
「周囲を囲め。火の気を先に押さえる」
「殿下」
ハロルドが扉の横を指した。
小さな煤印。
黒帳の表紙にあったものと同じ印が、石に薄く押されている。
私は指で触れずに見た。
「墨が新しいです」
「印をつける必要があるのか」
「仲間への目印です。あるいは、燃やす場所の印」
中から、かすかな匂いがした。
油。
乾いた藁。
そして、火花石を削った匂い。
「もう仕掛けられています」
私は薬箱を置いた。
「扉を勢いよく開けないでください」
ラーニャが短く頷く。
「また糸か」
「はい」
扉の隙間に、細い灰色の糸が見えた。
扉を開ければ糸が引かれ、火花石が落ちる。
白箱と同じ。
ただし、今回は証拠だけでなく倉庫ごと燃える。
「外せますか」
エルネスト殿下が聞いた。
「外します」
私は銀針を差し込み、糸の張りを見る。
きつい。
触れれば鳴る。
「ニナ。湿らせた布」
「はい」
布を隙間へ差し込み、火花石が落ちる場所を塞ぐ。
次に、糸を切らず、緩める。
切ると別の仕掛けが動く時がある。
仕掛けを作る人間は、見つけた者が喜んで糸を切ることまで考える。
「嫌な作りですね」
ニナが言った。
「ええ。薬の使い方も、仕掛けの使い方も、人を信じていません」
糸が緩む。
ラーニャが扉を少しだけ押した。
中は暗い。
灯りを入れる前に、私は床を見た。
藁が薄く敷かれている。
その下に、油。
「火を使わずに入ります」
窓板を外し、朝の光を入れた。
倉庫の中には、古い棚と空箱が並んでいた。
梁は高い。
ユリウスは、梁の中と言った。
「梁に上がる」
ラーニャが身軽に棚へ足をかけた。
「待ってください」
私は梁の下を見る。
床に落ちた粉。
白眠草ではない。
虫除けの苦い粉だ。
だが、量が多い。
「上にも仕掛けがあります」
「触ると?」
「粉が落ちて、目を開けられなくなります」
ラーニャが嫌そうな顔をした。
「本当に人を信じてないな」
「記録を読む人間が嫌いなのでしょう」
私は細い布を鼻と口へ巻き、ラーニャにも渡す。
ニナにも。
エルネスト殿下は兵へ下がるよう命じた。
梁の端に、薄い板がはめ込まれていた。
古い木と色が違う。
ラーニャが慎重に外す。
粉は落ちない。
中から出てきたのは、金属箱だった。
「紙ではない?」
ニナが首を傾げる。
私は箱の表面を見る。
細かな穴。
湿気を逃がすための箱だ。
中の紙を長く保つ作り。
ユリウスは、燃やされる前にここへ隠した。
燃やす者が梁を見ても、古い補強材に見えるように。
箱を開けると、紙束が入っていた。
黒帳の切り取り頁の写し。
直近三か月分。
私たちは声を出さなかった。
声を出せば、紙が逃げるわけではない。
でも、重かった。
ハロルドが一枚目を開く。
「薬材名は記号。日付、荷車番号、返礼先」
私は横から読む。
白灯。
殻。
灰香。
銀。
そして、返礼先。
「銀扉」
ユリウスが言った通りだ。
二枚目。
「銀扉、夜衣、薬湯、王寝」
ニナが顔を上げる。
「王寝、とは」
ハロルドの声が低くなる。
「陛下の寝所に関わる略でしょう」
エルネスト殿下の表情が冷えた。
「陛下に毒を?」
私はすぐに首を振らなかった。
断定してはいけない。
断定が早ければ、証拠の弱いところを突かれる。
「毒とは限りません。薬湯を通して、眠りや体調を調整している可能性があります」
「それでも重い」
「はい」
陛下の周辺で、誰かが薬材を動かしている。
王妃宮にも第二王子宮にも命じられる者。
そして、王の寝所に近い銀の扉。
黒帳の主は、そこへ返礼を届けている。
その時、外で兵が叫んだ。
「火です!」
倉庫の裏から煙が上がった。
油の匂いが強くなる。
証拠を取った直後に燃やす。
予定通りか。
それとも、私たちが入ったのを見て動いたのか。
ラーニャが剣を抜く。
「外に二人!」
エルネスト殿下が兵へ命じる。
「追え。だが証拠を優先する」
私は紙束を抱えた。
ニナが自分の外套を差し出す。
「包みます」
「ありがとう」
煙が倉庫に入ってくる。
火はまだ大きくない。
でも藁と油がある。
一度燃えれば早い。
私たちは外へ出た。
ラーニャが裏手から一人を引きずってくる。
若い男。
靴底の片方が欠けている。
水車裏の足跡と同じだ。
「こいつが火をつけた」
男は暴れた。
「知らない! 雇われただけだ!」
「誰に」
「国境商人町の宿で、銀の指輪の女に」
銀。
また、銀だ。
私は男の手を見る。
薬草の染みはない。
だが、爪の間に黒い煤墨が入っている。
「黒帳に触れていますね」
男は黙った。
沈黙は、ここでも答えになる。
火は兵たちが消し止めた。
倉庫は半分焦げたが、梁の箱は私の腕の中にある。
燃やせなかった。
燃やせなかった写しが、今ここに残っている。
エルネスト殿下が紙束を見る。
「王都へ戻る必要がある」
「はい」
私は頷いた。
「でも、その前にユリウスへ見せます。彼が書いたものか確認します」
「危険だ」
「だからこそ、急ぎます」
ルヴェ倉の梁には、燃やせない写しがあった。
その写しは、陛下の寝所に近い銀の扉へ続いていた。




