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夏、俺は魔法使いに恋をした  作者: クスノキ
第3章 初夏、俺は魔法使いを失った。
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第42話 光瑠④

「――え?」

 ありえない、あってはならないものを見た。あきらの声に、陽作は、現実へ回帰する。陽作とあきらたちを遮っていた巨大な結晶が音もなく崩れて消える。

 その先に見た光景に、陽作もまた目を疑うことになった。


 あきらが光瑠の腕を切り落とした。剣を持った腕は、空高く舞い、床に落ちる。

 そこから血が広がることはなかった。赤黒く見えるはずの切断面は絞るように収縮し、こぼれるはずの血は、白く変色して傷を止めた。


 光瑠の体の方も同じだった。肩口から大量の血が出てくるはずなのに、同じように血が白く変色してそれ以上の出血を防ぐ。

「光瑠さん、あなた……それ」

「なに、を……は?」

 驚愕に満ちた表情のあきらに、光瑠も何がおかしいのだと、自分の失った腕を見て、固まる。


「何、これ。え……な、なんで、こんな」

 信じられない。光瑠の顔が恐怖でゆがむ。


「それは、魔法か?」

 傷は癒えはじめ、立ち上がることができるようになった。陽作は痛みをこらえながらあきらのそばに近寄る。


「魔法……そう、ですね」

 あきらは光瑠から目を離さないまま答える。あきらもまた、毒と戦闘で疲労は限界を超えているはずだが、現実から逃げまいとするように、凛と立っている。

 だが言葉は重く、悲痛な響きを伴っていた。片腕を失った光瑠は、肩で荒い息をしている。顔からは血の気が失せ、真っ白だ。――いや変だ。


 白すぎないか。血なんて流れていないようだ。光瑠の顔から感情が失せる。まるで人形のように、その場にへたり込んでしまった。そのまま、ぴくりとも動かない。

 呼吸すら、光瑠は止めてしまっていた。


「人形魔法――いえ、これは死者の蘇生? 光瑠さんあなたは」

 パキン。

 光瑠の顔面がひび割れた。陽作ははっと息をのむ。


 ひび割れた先から血は出ない。虚ろに開かれた光瑠の目はガラス玉のようで、生きているようには見えない。

「なにが、どうなってる?」

 陽作は目の前に広がる光景を否定したかった。パキ、パキと光瑠の体のあちこちがひびわれ始めていた。ゆっくりと、しかし確実に光瑠の体は崩壊を始めている。

 これではまるで――

「人形、です。光瑠さんはすでに」


 死んでいた。


 目の前が真っ白になった。全身から血の気が引いたように、痛みすら感じることを忘れてしまう。あきらの言葉をうまく飲み込めず、呼吸すらままならなくなる。

 息が。苦しい。喉元に手をそえる。手から自分自身の熱を感じる。

 陽作は生きている。息をしている。でも、光瑠は?


 死んだ。死んだ。死んでいた? 光瑠が? なぜ? いつから? いやそもそも死んでいるというなら、陽作たちがこれまで戦っていたのは。

「生命を一度殺して、使い魔として蘇生させる。人形魔法の、基礎ですが、まさかそれを人間で、やったというんですか!」


 あきらの声は怒りで震えていた。今にも爆発しそうなものを必死になって押さえている。ぐしゃりと、あきらは歯を食いしばって前髪を強く握りしめる。

 その時、光瑠の肩が呼吸をするために持ち上がった。


「マ……だ」

 ぎこちないしゃべりだった。油のきれたゼンマイ仕掛けの人形のように、かくかくとした動きで光瑠は顔を上げる。

 虚空から剣を取り出す。左手で持とうとして、取り落とす。カァァンと、剣の転がる音が響く。


「く、ソ」

 生きているように顔をゆがめ、光瑠は剣を握り、立ち上がった。

「ま、だ。た、タかいは、終わって、ない」

 ぎこちないしゃべりが、動きが、これまでのようになめらかに、人形ではなく、生きている人間の動きをとる。


 ガラス玉ではない、執念の燃える人間の目で、光瑠はあきらを見据えた。

「なぜ? そこまでして」

「あたしが、あたしを許せないから!」

 体のひび割れが消えていく。光瑠は叫んだ。大きな声ではない。けれどその声に、陽作は大きな衝撃を受けた。


 熱を帯びた光瑠の言葉に、冷え切ったように思えた体が熱くなっていく。血が通っていく。光瑠から目を離せなくなる。

「あたしは、あんたに一度も勝ったことがなかった。そんなの、許せない」

 利き手ではない左手で、光瑠は剣を構える。ぼろぼろの、すでに死んだ肉体で構える剣はしかし、一分の隙も見つけられず。


「あぁ」

 吐息のような声がもれる。

 光瑠だ。これが、上沼光瑠だ。

 公平で人当たりのいい優等生。実は感動屋で意外と負けず嫌いな。

 陽作のよく知る、上沼光瑠が目の前にいた。

 熱い。光瑠を見ていると、胸が、目じりが熱くなっていく。

 この思いはなんだろう。この感情は、一体。


「死ぬ前に一度くらい、あんたを倒して一番になりたいの。せめて。だから、お願い」

 そう言って光瑠は笑った。光瑠らしい、穏やかな笑みだった。

「――わかりました」

 あきらもまた結晶の剣を構えた。いつも使うナイフではない。


 全力で。その言葉にあきらもついに正面から応えた。

 剣を構えて向かい合う二人。あきらは剣を右手に持ち、半身になって中段に構える。光瑠は左手にもち、高く水平に剣を構える。

 静寂。一歩も動かず、あきらと光瑠は互いを見据える。かけらも目を離すまいと、全霊でもって。


 陽作はその結末を見届けようと、拳を黙って握りしめた。

 かすかな吐息、外の音すら聞こえてくるようだった。荒いあきらの息。規則的に繰り返される光瑠の息。カタン、カタンと風に吹かれて何かが転がる音。

 ごくりと、陽作は息をのむ。


 光瑠が、かすかに姿勢を前に傾けた。あきらの喉元目がけて一閃が奔る。一切の無駄なく、よどみなく。それはおそらく、光瑠の人生において、最高の一突きだった。

 わずかに遅れて、あきらも動いた。横に身をずらしながら、あきらの剣が跳ね上がる。

 キィン! あきらの首元に一筋の赤が走る。光瑠の剣の刃が、空高く跳ね上がった。あきらの剣は光瑠の一閃を刃ごと斬り飛ばした。


 ふっ、とその刃を見て、光瑠が微笑んだ。踏み込みきった姿勢のままで、彼女は動かない。

 そのがら空きの胸に、あきらは結晶の剣を刺し込んだ。

「――」

「えぇ、当然です」

 二人は抱き合うような姿勢になる。光瑠があきらの耳元で何かをささやいた。


 小さく、あきらは笑い、そして、ゆっくりと、あきらは光瑠の胸から剣を引き抜く。

 血は、出なかった。

 動く力を失ったように、光瑠は倒れこむ。バキンと、ひときわ大きな音を立てて、光瑠の全身がひび割れた。同時に、さらさらと彼女の体が塵へと変わっていく。

 カシャンと、跳ね上がった刃が地面に落下して響いた。

 あきらは光瑠から顔をそむけ、遠くを見つめて肩を震わせていた。


「光瑠……」

「あ――」

 崩壊を始めた光瑠の目の前に、陽作はいた。光瑠はぎこちない動きで体を持ち上げ、ひび割れまみれの左手を伸ばした。

「ひ、陽作、くん。あたし、あたしは」

 陽作は伸ばされた手を取りかけて、やめる。この手は取れない。


 取っちゃいけない。

 陽作はあきらを選んだんだから。

 それでも。


「光瑠、俺は」

「陽作、くん」

 光瑠の指先が、塵になって崩れた。陽作の声は震えていた。パキンと、光瑠の顔にひときわ大きな亀裂が走り、陽作を一心に見つめる瞳が割れた。陽作の視界がゆがんだ。

 熱い。ポタリと、一粒の雫が光瑠の腕に落ちた。


「俺は、光瑠と付き合えて、幸せだった」

 嗚咽まみれの、涙にぬれた言葉だった。陽作はあふれる涙をふくことすらせずに言った。


「そっか」

 その雫を見て、その言葉を聞いて、光瑠は、輝くような笑顔を見せた。涙で

 ゆがむ視界の中で、その笑顔ははっきりと、陽作の心の深いところに刻まれた。

「あたしも、幸せだったよ。陽作くん」


 ――ありがとう。あたしのために泣いてくれて。


 その言葉を最後に、光瑠は塵となって消えた。


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