暗雲立ち込める
――王都内 某所――
「一体どういうことだ! 説明しろ!」
その怒号と共に、机の上にあった書類がすべてその声の主によって薙ぎ払われた。
薙ぎ払われたものは机の前に立つ者に当たり、一筋の赤を残す。血が流れるほどではないそれを一瞥した彼は、無表情のまま、心の中で頃合いかと呟いた。
「なぜ、突然、差し止められたのだ!」
ドンッと拳の置かれた音に、彼の隣の男がぎゅっと体を縮こませながら、言葉を必死に繋ぐ。
「分かりません。学園内で不正と横領の疑いがあるとして、我々の物だけでなく、すべての納入物品が止められています。同時に、この夏季休暇中は、学園を封鎖し、調査にあたるため、繋ぎの者にも連絡が……」
しかし、男がすべてを言い終える前に、インク瓶が額に当たり、その先を告げることは出来なかった。
「もういい! 失せろ! いや、デッドは残れ」
額から血を流しながら男は転げるように部屋を飛び出た。デッドと呼ばれた彼は、微動だにせず、その場に立っていた。
「連絡はあったか?」
「いえ、王宮に忍ばせた者からの連絡も絶たれています。レオン様、一度、本国と連絡を取った方がよろしいかと」
レオンと呼ばれた男は、デッドの顔をじっと見返した後、嘆息しながら吐き捨てるように呟いた。
「本国の奴らが何の役に立つ。たが……一度、母上にご指示を仰がなければなるまい。ほかの奴らは当てにならん。デッド、お前が行け」
「承知いたしました。では、レオン様、ティーリアをお借りしてもよろしいでしょうか?」
「たかがメイドの一人、お前が連れていく意味があるのか?」
「国外に出るのに、夫婦を装うのもよいかと。それに、屋敷に来て間もないティーリアならば、途中で居なくなっても、誰も気に留めないでしょう」
わずかに口元が上がったデッドに、レオンは満足そうに笑顔を浮かべる。
「あのメイドは、こそこそと屋敷のことを探っていたようだからな。ちょうど、奴をどう消してやろうかと考えていたところだ。適当に処分しておけ」
「はい、レオン様」
ドカリと椅子に腰を下ろしたレオンは、手を振り追い払うようにデッドを部屋の外に出した。
従順な様子で部屋を後にしたデッドは、扉の隙間からレオンを振り返り嘲笑を浮かべる。そっと、音をたてないように扉を閉めると、その足で使用人たちの控室へと向かった。
「ティーリアは居るか?」
控室の入り口にデッドが立つと、部屋の中にいた使用人たちは一斉に口を閉じた。
この屋敷の主人は横暴で、少しでも気に食わないことがあると彼らを殴るのだ。だから、使用人たちは憐れむような視線を部屋の奥で同僚と談笑していたはずのティーリアに向ける。
名を呼ばれたティーリアの笑顔は張り付き、足をもつれさせながらデッドの前に歩み寄るとそのまま膝をついた。
「ティーリア、荷物を纏めろ」
はっと顔を上げたティーリアは、信じられないといった表情のままデッドを見上げた。その瞳には、見る見るうちに涙が溢れ出す。
「デッド様、どうか、どうかお許しください。私は弟のために薬代を稼がねばなりません。どうか……」
「お前の話など聞いておらん。今すぐ荷物を纏めろ」
縋りつこうとしたティーリアの手は、デッドの足に払われた。
そのまま呆然と冷たい床の上に座り込んでいたティーリアは、ふらふらと立ち上がり、部屋を出ていく。
それを横目で見送ったデッドは、部屋の中の使用人たちを一瞥すると、無言のまま踵を返した。
しばらくしてティーリアは小さなカバン一つを抱えて、屋敷の門に向かう。そこには冷たい表情のデッドが立っていた。
彼女の姿を一瞥したデッドは、門の外へと歩みだす。ティーリアは背中を丸めたまま、慌てて彼の後を追った。
二つの影が門をくぐると、待ち構えていたように門はガシャリと音を立てて閉ざされた。
二人は、無言のまま、振り返らずにまっすぐに歩いていく。
どれだけ歩いただろうか、二人の足は、ある屋敷の通用門の前で止まった。声をかけるよりも先に門は開かれる。素早く門をくぐると、足早に建物の中へ姿を消した。
パタン、と控えめに扉が閉まる音がした途端、ティーリアは丸めていた背中をピンと伸ばし、前を歩いていたデッドは笑みを浮かべてその姿を眺めた。
「どう? 兄さま、私の演技は」
「あぁ、いっそ、騎士をやめて舞台にでも上がるかい?」
「それはダメ。私はシルの騎士で居るって決めているんだから」
「じゃぁ、今度の試験、ちゃんと受からないとな。お嬢様のご結婚までに特級へ上がれないぞ」
「あら、兄さまは私がその辺の王宮騎士に負けるとでも?」
「はいはい、俺の妹が一番だ」
優しい笑みを浮かべ、すでに幼くはなく少女というには成熟した可愛い妹の頭を撫でる。
「ティモシー、ティティ―リア、戻ったか」
その声に二人はさっと膝をついて頭を垂れた。
ティモシーとティティ―リアは、双子の兄妹だ。
ティティ―リアがシルフィーヌの護衛として共に育ったように、ティモシーは彼女付きのシェードとして共に在った。
「はい、セシル様。ただいま戻りました。私はご報告後、すぐにクザイへ向かいます」
「分かった。俺の書斎へ」
踵を返したセシルは、控えていたイーサンにシリルを呼ぶように告げると、書斎へ向かう。兄妹もまた、その後ろを追った。
タウンハウスの通用口からよりも、訓練場からの方がセシルの書斎には近かった。書斎の前で待っていたシリルと頷き合った彼らは、無言のまま書斎へと入る。
普段は同族の子らとして親しくしている彼らだが、今は、主従の立場だ。セシルが席に着くとその後ろにシリルが控え、机を挟んだ向かいに兄妹が立った。
「ウバイト家から学園への納品リストです。現在、すべての受け入れを止められている関係で、物は屋敷の倉庫に保管されています。いくつか持ち出しました」
「分かった、それは母上たちの解析に回す。ティモシー、お前、クザイに行くと言ったな」
「はい、クザイからの連絡が途絶えて第五皇子は焦っております。私を本国へ派遣しました」
「『おつかい』は全部、こちらで処分しているからな。目的は?」
「第三側妃との繋ぎを任されました。直接はどこまで行けるかは分かりませんが、今回の計画の根底を探るつもりです」
セシルは机の上で組んだ手に上に顎を載せて瞳を閉じた。
第五皇子の正式な使いとして訪ねることが出来る。このタイミングでのそれに出来過ぎと思わなくもないが、実際、乗り込まなければ第三側妃の正体も見えない。
「父上から知らせがあった。第三側妃はかつてウバイトの令嬢であったディアドラである可能性が高い。第五皇子の使いであるとしても、決して気を抜くな」
「はっ」
「相手は母上と共に魔術研究所に入った実力者だ。魔道具は使わない方がいい。魔力の痕跡から母上の存在を知られる可能性も高いとのことだから」
「承知しました。では、すぐに発ちます」
セシルは頷くと、ティモシーの隣のティティ―リアへ視線を移す。ティモシーもまた隣に立つ妹を見やり、その頭をそっと撫でる。
「行ってくる」
「気を付けて」
任務のたびに交わす言葉を繰り返し、ティモシーは部屋を出ると闇の中へ身を滑らせた。
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