両手に花
すっかり表情のなくなってしまったお父様を眺めながら、私は目の前の料理を口に運ぶ。
お父様の表情には理由がある。
いつもは、お父様の隣か膝の上がお母様の席だ。だが、今、そのお母様は右にセレン夫人、左に私を置いてご満悦だ。
「ヴィヴィ、セレン卿は優しくしてくれる? プラセオで不便はない?」
「はい、レイチェル様、主人はとても優しくしてくれます。プラセオは魔術の面では少し遅れておりますので、少々不便も感じましたが、今では慣れましたわ」
「そう、そうね。優しくて頼れる殿方がいるのが一番ね。フィーちゃんは? 学園は楽しい? 殿下とはあれから会っているのかしら」
「昨日、お会いしましたわ。殿下に少しお願いしていたことがあって、いろいろ資料をそろえてくださいましたの。その……あと、婚約式のこととか」
ガシャンと、音がした方を見れば、お父様がカラトリーを握りしめたまま、テーブルにこぶしを落としていた。
「まぁ、ダリ、落ち着いて。婚約式は必要よ。フィーちゃんの立場を表明する場所ですもの」
「……分かってる」
お父様の動揺というか、怒りを意に介さずお母様は苦笑を浮かべてみせる。そして、お父様の方は、言葉とは裏腹に絶対に認めたくないという表情だ。
そこまで思ってくれることは嬉しい、けれど、認められないのも悲しい。
両極端な感情をどうしたらいいか分からずにいると、お母様の温かい手が私の手を握った。
はっとしてお母様を見ると、お母様は優しいお顔で頷いた。
「最近、ジェラルドの気持ちを理解して、悔しがっているだけよ。かわいい娘をお嫁に出す男親はみんなそうなるんだって、私のお父様、あなたのジルコンのお祖父様も言っていたわ。決して、認めていないわけでもないんだって……。あなたが殿下を受け入れると決めたのと同じくらい、きっと、ダリにも時間が必要なのよ」
向かいでお父様のお顔はこれ以上ないほどに渋くなっていたが、そう言ったのがお母様では、抗議の言葉も出ないらしい。
なるほど、これが手玉に取るということなのだろう。
殿下相手に……私は出来そうにないけれど。
「それはさておき、婚約式をするって、殿下が?」
「はい、できるだけ早くにと。あと、公にすることで、私の身を守りたいと」
「あの子は、あの子なりに考えているのね。なら、私もちゃんと頑張らなくてはいけないわね。ヴィヴィも来てくれたことだし、当初の予定よりも早く終わると思うわ」
「本当に!」
「えぇ、糸口は見つかっている。だから、もう少しよ」
そう言って力強く頷いたお母様の胸に私は飛び込んだ。
夕食の後、今夜は女性だけだとお父様を追い出してしまったお母様は、私とセレン夫人を夫婦の寝室とは別のお母様だけの部屋に招き入れた。
そして、今は侍女たちがナイトティーと軽食を準備するのをお母様の大きなベッドの上で三人並んで眺めている。
「まずは、フィーちゃんのお話を聞きたいわ。それからヴィヴィのお話も聞かせてね」
「はい、レイチェル様」
侍女たちが部屋を出ると、待ってましたとばかりにお母様が私の手を取った。
「フィーちゃん、正直に答えてね。あの子のことは好き?」
お母様のきらきらとした瞳の中に、少しの心配を見て取り、私の緊張はほぐれていく。
「はい、私はランドルフ様のことをお慕いしております。えっと……他の女性と一緒にいらっしゃると、こう……胸が痛くなるの。これは、嫉妬というものだと……」
ちらりと、セレン夫人を見てしまったのは、あの時のことを思い出しただけで本当に他意はなかった。
「シルフィーヌ、本当に、あの時のことは気にしないで。えっと……なんて言えばいいのかしら」
「セレン夫人、あの、気にしてません。ただ、思い出しただけで……。でも、あのことがなければ、きっと、自分の気持ちにも気づきませんでした。だから、むしろ、私はお礼を言わなければなりませんわ」
「そんな、お礼だなんて……」
「ちょっと、ちょっと、話についていけないわ。私にも分かるように教えて」
きらきらとした瞳を向けるお母様に抗えず、私がランドルフ様への恋心を自覚するまでの話をした。
なぜか、隣のセレン夫人も瞳もお母様と同じように輝いているのはどうしてだろうか。
「まぁまぁまぁ! 素敵ね。やっぱり、あなたたちは二人、ここで暮らしていた時からずっとお似合いだって思っていたのよ。だって、あの子、フィーちゃんの前でしかあまり口を開かなかったんだもの。その頃からフィーちゃんのことを好きだったのね」
うんうんと頷きながら、少し涙ぐむお母様は、遠い昔を思い出すように微笑んだ。
「婚約を申し込みに来たときにね、ダリったら、フィーちゃんにあの子のことをおじさまって呼ばせるんだとか言っていたのよ」
「おじ様?」
「ほら、あの子は先代様たちの下で育ったでしょう? だったら、僕と義兄弟だから、フィーの叔父だ! とか言って。でもまぁ、血のつながりのない叔父なら、結婚には問題ないのにね」
ふふふっとそれはそれは可笑しそうに思い出し笑いをするお母様の様子に、婚約の申し込みから今日までのお父様の葛藤が垣間見えて、嬉しいやら可笑しいやらで私は釣られるように笑い声を上げた。
「辺境伯様って、いつもは何事も完璧にこなされるのに、レイチェル様やシルフィーヌのことになると、ちょっと面白くなるんですよね。実は、アイリス様と研究所の扉に隠れて、何度か観察したことがあるんです。アイリス様の解説付きで」
「あら、ヴィヴィ、そんなこと言っていていいの? 次はあなたの番よ」
広いベッド上で、ジリッとセレン夫人に近づいたお母様は不敵な笑みを浮かべる。
「さぁ、ヴィヴィ、あなたとセレン卿の馴れ初めから、今日までのこと、洗い浚い私たちに話して」
「わ、わたし……あの……」
そうして、被害者はまた一人増え、セレン夫人もまたお母様には抗うことは出来なかった。
セレン卿 オーガスト=セレン様は、セレン公爵家の三男で、フレドリック陛下と同窓となる王家の子らと共に留学をしてきた。
家督を継ぐことはない彼は、外交官を目指していたのだそうだ。それもあって、陛下と王妃候補のお二人とはよく共に過ごしていた。互いに目指すものを語らう中で、惹かれ合うのは、当然のことのようだった。
だが、当時のセレン夫人の立場を考えれば、噂になるような行動は取れるはずもなく、名を呼び合ったことも留学中に数回あったかどうか。
そうして、短い留学期間を終えた二人は、再び、それぞれの国で暮らし始め、もう会うことは叶わないだろうと思っていた。
だが、妃が決まり、それでも諦めきれなかったベリル伯爵は、彼女を侍女として送り込み、何としてでも目的を果たそうとした。
父親と前王妃の企みを知ってしまったセレン夫人は、駒にされるくらいならばと、家を出た。妹のベリル男爵に告げなかったのは、彼女を巻き込みたくなかったからだ。
そして、父親たちの悪事の証拠を手に、着の身着のままで屋敷を飛び出した彼女は、王宮に入る前のセリーナ様を訪ねた。
その後、しばらくはセリーナ様の下で身を隠し、準備が整い次第、国外へ逃がす手配が行われた。その先にあったのは、セレン卿のいる場所だった。
あとから彼女が知ったのは、セレン卿は当時すでにランドルフ様とも面識があり、カルセドニーの仕事を手伝っていた。密かに連絡を取り合っていた兄弟から、彼女の境遇を知って、何かあれば自分を頼ってほしいとお兄様を通じてフレドリック陛下に伝えていたのだそうだ。
「外交官を目指していたセレン卿が、なぜ、カルセドニーに……」
「そうそれよ! あ、待って、でもこれ、ヴィヴィのためでしょう?」
「えっと、はい。彼曰く、政で国を結ぶのと、商売で結ぶのと、どちらでも目的を果たせるから、と……。あと、アダマスへ支店を出すことはランドルフ殿下の目標の一つでしたので、私の魔道具の知識がカルセドニーにも活かせるだろうと」
「要するに、カルセドニーでヴィヴィの居場所を作ってあげたかったってことでしょう?」
「そういうわけでは……」
「絶対そうよ! ……よかったわ、あなたが、とても愛されていると知れて」
「……レイチェル様」
その流れで聞いたのは、セレン夫人とベリル男爵の母君と、あともう一人が、お母様とアイリスおば様と共に切磋琢磨をし、魔道具の技術を学んできたのだそうだ。
惜しくもセレン夫人たちの母君は若くして亡くなり、お母様たちは遺された彼女たちを見守ってきたのだという。
その後、二人は魔道具の話に花を咲かせていく。私はそれを聞き、眺めながらいつしか意識を手放していた。
―――――――――――
「あら、フィーちゃん寝ちゃったわ」
「レイチェル様お手製とは言え、転送装置を乗り継いできましたら、お疲れだったのでしょう」
「そうね、このまま、ここで寝かせてあげましょう。私たちは、あちらへ」
ベッドの上、シルフィーヌへそっと布団をかけたレイチェルは、ヴィヴィアンを連れて部屋の応接まで移動してきた。
「ヴィヴィ、あなたの見解を聞かせてくれるかしら」
「はい、やはりプラセオで使われたものと同一の術式と思われます。しかし、威力的にはプラセオの方が上……。私はあちらの方で実験がされ、アダマスへ持ち込まれたと思っていたのですが、今では逆だったのではと」
「そう、私もそう思うわ。むしろ、アダマスで実験を重ねた結果が王宮内部に広がった。一定の効果を見てから、プラセオでの局地的な実験が行われた。あとは、何を媒体にしたかよね」
そのまま二人は議論を重ねていき、そうして、夜は更けていった。
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