ダリル=コランダム
ゆったりと深くソファに身体を預けているお父様は、優雅なしぐさでお茶を口に含む。ふぅっと息を吐く様も、その魅力を落すことは無い。
その姿は、ルクレツィアの記憶、シェリルと会話をしたダリルお兄様と重なった。
その時、もしやと思った。
「そう、名前は別に隠さなくてもいい」
「お父様、それは、どういう……」
徐々にそのもしやが、形を帯びていくような感覚がして、お父様をただ見つめる。
緩やかな弧を描く口が開き、言葉が紡がれる。
「同じ記憶を持つ者ならば、同じ名を名乗ればいい。僕のようにね」
例えば、ダリル=コランダムは、その昔、帝国を分けて作られた国の一つで、最初の王の名前だ。そして、亡国となった後、魔王討伐に出た第一王子でシェリルの兄だった彼は、ダリル=コランダム。
もしやは、確信に変わった。
「ダリルお兄様……?」
「いいね、フィーにお兄様って呼ばれるもなかなか面白い」
くつくつと笑うお父様は、いつもの飄々としたものではなく、特別な本で幾度も描かれてきたダリル=コランダムという人の様だ。
そう、今、目の前にいるお父様は、始祖王となった人なのだろう。
「ルクレツィアは、ルキウスを失った悲しみに、自分たちへ刃を向けた者たちへの憎しみに、世界を呪った。そして、彼と歩むはずだった時を、穏やかな運命を望んで、その力をすべて、いつか訪れる未来へと向けたんだ」
淡々と語るその口調は、特に感情の波はない。
「どれだけの情があれば、そんなことが出来るのだろうと、正直、理解が出来なかったよ。それこそ、何回も『ダリル』を繰り返してもね。でも、今は分かるんだ。今の僕にとって、レイチェルがそれだって」
すぅっと細められた瞳が、少しだけ遠くを見て何かを思い出しているようだった。
だが、それも一瞬のことで、自分と同じアメジストの瞳は私をまっすぐに捉えた。
「僕の正体が分かったところで、先の話をしようか」
それはおそらく、私をルクレツィアだと証明するための言葉を選ばなくてもいいということだったのかもしれない。
私は、先ほどよりも少し軽くなった気持ちと共に、切り取られた数ページのことを尋ねる。
「ページが……切り取られていた?」
その驚いた様子に、切り取ったのがお父様でないことが分かった。
では、一体だれが……
「あれは、シェリルが作ったもので、あの本自体は歴代のルクレツィアが真実を知りたいと思ったときにしか開けないようになっている。僕も書き込むときには開かないんだ。そう考えると、手を加えられるのは、『ルクレツィア』の誰かだ。どの辺りが無くなっていた?」
「ちょうどアダマスの建国をした頃の話です。シェリルが聖女として王宮に入り、ルキウスの行方を捜すと、当時のお父様へ訴えた後のところで、そこで止まっていました。次にはもう、シェリルではなくなっていたんです」
「僕は、シェリルからルキウスが転生していない事だけを聞いた。その後、それを調べるために彼女は王宮に、ルカの側に身を置いたんだ。何かを知ったのか、それとも、次の『ルクレツィア』の部分だったのか……」
「それはなんとも。切り取られたページの次は、カイラという名でした」
「カイラは、シェリルの次に生まれた『ルクレツィア』だよ。じゃぁ、やはりシェリルは何かを知ったのだろうか」
だが、仮にそうだとして、何故、その証拠となるべきページがいつかの『ルクレツィア』に切り取られたのか。
私とお父様の二人では答えが見つからず、どこか途方に暮れた気分になる。
「うん、よし、今日はここまでにしよう。フィーがこちらにいる間に、まだ時間はたっぷりあるからね」
重苦しくなりそうだった空気は、お父様のそんな一言で消え去っていく。
「はい、お父様。そろそろ、お母様たちを夕食へお誘いした方がよいかしら」
「そうだった。あの様子じゃ、二人とも絶対に飲まず食わずをしてしまう。フィー、僕と一緒にレイを迎えに行こうか」
お父様は立ち上がり、私も差し出された手を取り立ち上がる。
大きな手なのは、男の人だからだとして、やはり、お兄様と違う。そして、ランドルフ様とも。
そんなことを考えてしまい、私はふるふると首を振って考えを押し出す。
私の不可解な様子に訝しむこともなく、お父様はくすくすと笑っていた。
温室を出たところでセドリックへ夕食の準備をするように告げるお父様。私はその隣で久しぶりの景色を眺めていた。
今の季節は、花をつけるものはあまり多くない。華やかではないが、遠くまで広がる緑は、私の心を落ち着けていく。
庭園を挟んで反対側にあるコランダムの私設研究所は、基本的にお母様と数人の助手がいるだけだ。そのため建物こそ大きくはないが、中にある機器は国が運営する魔術研究所とも引けを取らない。
もっと言えば、そちらの研究所へ入れられる機器は、お母様が開発したものも多くあり、むしろコランダムの研究所の方が最新機器を備えているくらいだ。
しかし、その事実はあまり広くは知られていない。コランダムの研究所に入れるのはお母様の認めた人だけで、公募はしないからだ。だからこそ、それを知る魔道具師たちは何とか潜り込もうとするらしいが、それをお父様が許すはずもない。
研修所の門前に立ち、お父様はため息を一つ吐いた。
「フィー、中の様子を見ても驚かないで」
お父様が何を懸念されているかは分からないが、とりあえず、私はその言葉に頷きを返す。
手慣れた様子で鍵を解除して中へ入るお父様に続いて建物の中に足を踏み入れた。
エントランスを抜けた先は天井が高く開けた部屋で、そこには所狭しと機器と資料が積み上げられていた。まさに研究施設と言った感じだ。
「すごい……」
思わず出た感嘆の声に、お父様の苦笑いが返された。
「やっぱり、レイの子だね」
迷いない足取りで奥へと進んだお父様は、そこでセレン夫人と議論を交わすお母様と見つける。と、そのまま、耳元へ顔を近づける。
「レイ、切りのいい所でやめて、夕食の時間だよ」
「ふぁっ!」
絶対にわざとだろうけれど、これが効果的であることが目の前の様子から分かる。
途端に現実に戻されたようなお母様は、ギギギと音がなりそうな動きでお父様を振り返り、その姿を認めるとぱぁと笑顔を浮かべる。
「ダリ! やっぱりヴィヴィはすごいわ。昨日まで行き詰っていたところが、この数時間でいろいろ進んだのよ」
「うん、それはよかった。彼女に来てもらって正解だったね。それなら、僕の腕の中に戻ってくれる日も近いかな?」
「それはどうかしら? でも、あなたが夕食だっていうから、途端にお腹が空いてしまったわ。早く行きましょう。フィーちゃんともお話をたくさんしたいわ」
「仰せのままに。さぁ、二人とも行こう」
私にとっては見慣れたものだったが、セレン夫人にとってはそうではないかもしれない。衝撃を受けていないだろうかと振り返れば、少女のように顔を赤らめながら口を覆う姿が目に入る。
「まぁ、もう何年も経っているのに、相変わらずお二人の仲はよろしいのね。素敵だわ」
これが正常な反応かどうかは別として、どうやらセレン夫人もこの景色に耐性があると知り、なんとなく安心をする。
「セレン夫人、私たちも行きましょうか」
「えぇ、シルフィーヌ。行きましょう!」
先ほどまでお父様の手を取った道を、今度はセレン夫人と腕を組みながら戻っていく。
夕食は何かしら? なんて、他愛のない会話が、お父様との小さなお茶会での会話からどこか沈んでいた気持ちを浮上させていった。
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