お父様のお手製スイーツ
途中、コランダム傘下の騎士団の詰め所を経由して、数時間の後にコランダムの本邸へ辿り着いた。
見慣れた内装にほっと息を吐く暇もなく、ぎゅっと温もりに包まれる。
「フィーちゃん、お帰り」
「ただいま戻りました、お母様。お父様」
お母様の腕の中からお父様を見上げる。
特別な本のことがあってから、実際に顔を合わせるのは初めてで、けれど、いつも通りの様子に、どこかほっとする。
「うん、フィーが元気そうで何よりだ。ヴィヴィ……いや、セレン夫人と呼んだ方がいいのか……。君も、息災の様でよかった」
お父様の視線は、私からその後ろへと移る。
その口調は砕けていて、お父様もセレン夫人との面識、それも割と親しい関係だとわかる。
現国王陛下のお妃選びの時、私はコランダムに居て、王都の情報はあまり入ってこなかった。
今思えば、それは意図的だったのかもしれない。きっと、ソフィ姉さまのことで私が屋敷を飛び出したあの頃からだと、今の私は気付けた。
「はい、辺境伯様、ありがとうございます。王妃殿下の命により、辺境伯夫人の助力をと仰せつかってまいりました。期限は夫人の研究成果が出るまでと伺っております。どうぞ、何なりとお申し付けください」
パンツスタイルでもきっちり淑女の礼を取るセレン夫人に、お母様は駆け寄ってその手を取る。
「まぁ、ヴィヴィ、そんなかしこまらないで。せっかく穏やかに暮らしていたあなたに、無理を言った自覚はあるの。でも、アイリスは王都を離れられないし、私はここを出られない……。あなたの力が必要なのは本当よ。だから、こちらこそ、なんでも希望は言ってね。出来るだけかなえるわ」
「もったいないお言葉です、レイチェル様。噂に名高いコランダムの私設研究所を見られるとあらば、私の方からお願い申し上げたいくらいでしたの。さぁさ、参りましょう!」
「えぇ、行きましょう。フィーちゃん、お食事の時にはちゃんと呼んでね。あなたのお話を色々聞きたいわ」
類は友を呼ぶ、とはこういったことをいうのだろう。
目の前の二人は、研究の話になると目をキラキラとさせて、もう周囲など構っていられないといった様子だ。
「はい、お母様。いってらっしゃいませ」
私のその言葉に、待ってましたとばかりに、足早に去ってしまった。ぽつんと、二人(と使用人たち)が取り残される。
嵐が過ぎ去ったような転送室に、お父様のそれはそれは深いため息が響いた。
「いいんだ、レイが楽しそうならそれで……」
お母様が研究に没頭する間、お父様はそれはもう甲斐甲斐しくお世話をするのだ。その時ばかりは、使用人たちも手が出せないらしい。
今、正にその時期で、そうでもしないとお父様はお母様の側に寄ることも出来ないらしいとは、随分前にセドリックがこっそり教えてくれたことだ。
おそらく、セレン夫人がいらしたことで、お父様の出番はますますなくなってしまうのだろう。
「まぁ、お父様、そう仰らないで。私、お父様と相談したいことがあるのだけれど、だめですか?」
がっくりと肩を落とすお父様に、少し甘えたような声を出してみれば、パッと明かりのついたようなお父様の笑顔が向けられた。
「ダメなものか! いいよ、今から行こう。カルセドニーとかいう俗物なスイーツじゃなくて、僕のお手製スイーツでお茶をしよう」
「はい、お父様、喜んで」
お父様の手を取り、歩き出せば、うんうんと頷くセドリックとその隣で少し苦笑いを浮かべるレイモンドが視界に入った。
お父様に手を引かれるまま連れてこられたのは、庭園の奥にあるお父様専用の温室だった。
ここでは、お父様がお母様のためにいくつもの薔薇を育てていて、中にはコランダムの歴史と同じと言われる一株もある。
私はそれを子供の頃に一度だけ見たことがあった。
正にコランダムの象徴としてふさわしい、銀とも見える白と紫の色が入った花弁はふわりと幾重にも重なりとても美しかった。
「フィーが蜂蜜が好きだと聞いたから、それを使った焼き菓子を作ったんだ。口に合うといいのだけれど」
「これを、お父様が?」
目の前に置かれたのは、こんがりと焼きあがり、ふわりと蜂蜜の香るマドレーヌだ。
カルセドニーの看板スイーツは、蜂蜜が入ったフィナンシェ。もしかして、これはお父様なりの抵抗の証だろうか。
「お嬢様がお戻りになると聞いて、昨日から料理長と共に当主様がお作りになったのですよ。それはもう、真剣に」
そんなことを考えながら、目の前に準備されていくお菓子とお茶を眺めていると、柔らかなセドリックの声が説明という名の裏話を教えてくれる。
「セドリック、余計なことを言うな」
大して恐ろしくもない叱咤を受けたセドリックは、笑顔のまま口を閉じた。
すぐにお茶も淹れられ、すべてが整えられると使用人たちは温室を出ていった。セドリックとレイモンドさえ、扉の前に待機だ。
魔力の流れる気配がして、温室に何かしらの結界が張られたことが分かる。
「防音だよ。セドリックとレイモンド以外の使用人が、うっかりでもこの先の話を聞いてしまえば、良いことにはならないからね。僕は、必要以上に彼らを縛りたくはない」
「お父様の仰る通りに」
「じゃぁ、話の前に、僕の腕前を見てくれるかい? お茶も淹れたてを味わって。来たばかりだし、まずは落ち着いて……ね」
お父様の言葉に、何故かじわりと涙が溢れそうになり、慌てて私は笑顔を浮かべる。
お父様のお手製だというマドレーヌをかじれば、ふわりと甘い、優しい味がした。それを伝えれば、お父様の美しい笑顔がとろりと蕩けるようだった。
そのまましばらくは、ゆっくりとした穏やかな時間が流れていく。一通り味わい、感想を言い終わると、私たちの間に流れる空気が変わる。
「さて、始めようか」
頷きを返して、私がお父様から受け取った特別な本を読み進めたこと、夢でルクレツィアの過去を見たこと、そして、王宮の敷地にある大神殿のことを順に話していく。
お父様は相槌を打ちながら、ただ、私が話し終えるまでじっと耳を傾けてくれる。
「ルクレツィアは、ランドルフ様をルキウス様の転生された姿だと、思っているようです。そして、私もそうだと思います」
「その理由は話せるかい?」
「はい。私に……ルクレツィアという隠された名前があるように、ランドルフ様にもそれがあります。夢の中や記憶の中では、それが隠されてしまいはっきりとした名を聞いたわけではありません。けれど、一体、この世にどれだけの隠された名を持つ者がいるのでしょう?」
まっすぐに向けられたお父様の視線は、じっと私の中の何かを探るような感じがした。
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