帰郷する
その日の夕食は、久しぶりに一人だった。
いつものようにおいしい料理だったが、どこか味気なく感じてしまう。すっかりお兄様とシリルと共に取る食事が当たり前になっていることに気づいた私は、この先、それぞれがそれぞれの道を歩き始めることに寂しさを覚える。
いつまでも子供で居られないことに、急に気づいてしまった。
「イーサン、お兄様は今日は遅いのかしら」
「いいえ、お嬢様。すでに迎えの馬車が王宮を出ておりますので、まもなくお着きになるかと」
「そう、ありがとう。では戻られたら、お食事が終わったら訪ねると伝えてくれるかしら」
「承知いたしました」
部屋に戻った私は、領地に戻る準備をする。と言っても、コナが荷造りをする横から、要るか要らないかを聞かれる際に答えるだけだけれど。
着るものなどは領地にもあるから、ほとんどは商会の資料だとか読みかけの本だとか。そうそう、今日、ランドルフ様から渡された教会の資料も。
「では、お嬢様、こちらの資料は先に向こうへ送っておきます」
「えぇ、お願いね、コナ」
荷物を抱えたコナたちを見送ると、入れ替わりにレイモンドがやってきた。
「お嬢様、セシル様が書斎へ、と」
「すぐ行くわ」
扉の前にはすでにイーサンが控えており、彼に促されるままお兄様の書斎へ入ると、お兄様は手にしていた書類を置いた。
ソファに座り、執務机の向こう側のお兄様を見上げると、お父様とよく似た綺麗なお顔に、少しだけ疲労が滲んでいた。
「お兄様、忙しいのにごめんなさい」
「おや、フィーは、とうとう、兄を気遣う気持ちを手に入れたんだね」
「いつも、気遣っておりますわ!」
「そうだった、そうだった」
ふんっと鼻を鳴らした私に軽く言い放ったお兄様は、何気ない様子で隣に座る。そして、そっと壊れ物を扱うように私の手を取った。
「フィー、明日、領地へ帰るって聞いたけど」
「えぇ、さっき荷物も先に送ってしまったわ」
「じゃぁ、ついでと言っては何だけど、一緒に王妃殿下の人も連れて行ってくれない?」
私は、その言葉の内容と軽い声音のアンバランスさに思わず唖然とする。
転送装置で人が渡るには、ある程度の知識と適性が必要だ。転送装置に流れる魔力を正確に知り、自分と体質の合わないものならそれを近づけるための魔道具を用意しなければならない。何の準備もなしに適性のない者が使用すると、魔力酔いが出てしまう。酷い場合は、何か月も起き上がれなくなるのだ。
確かに、コランダムの転送網はお母様のお手製で、そもそも魔力酔いは少ない。コランダムの血を少しでも持つ者なら、魔力酔いなど全くないくらいに一族に優遇されている特別製だ。さらに、国の管理するものとは違い事前の申請は要らないし、制限もない。
だが、物ならともかく、人を連れていくとなると……。しかも、王妃殿下の人となれば、そんな軽い立場の方ではないだろう。
「お兄様、正気ですの?」
私の呆れたような言葉に虚を突かれた様子のお兄様だったが、次の瞬間には笑い声がする。
「大丈夫だよ、フィー。この前、君も会ったじゃないか、セレン夫人。彼女だよ。それに、彼女は義母上の一番弟子でもあるんだ。適性はばっちりだよ」
今度は私が驚く番だった。
セレン夫人がアイリスおば様の一番弟子だったなんて、知らなかった。ということは、お母様とも面識はあると思って間違いない。
なるほど、カルセドニーとの数々の魔道具を通じた提携で、知識という面で障害を感じなかったのは、セレン夫人の存在があったからだ。魔術、魔道具といった面では、アダマスよりも少し遅れているプラセオで、凄腕の技術者か知識のある者が商会の中にいるのだと思っていたが、そういうことだったのか。
しかし……
「お兄様、もうアイリスおば様を義母上と呼んでらっしゃるの? 気が早いんじゃなくて?」
「そんなことはない。俺の中では、ずっと義母上だったんだから、問題ないだろう?」
そう満面の笑みで言われてしまえば、言い返す気もなくなってしまった。
「という訳で、明日の出発は午後からにしてくれるかい? セレン夫人が到着してから、一緒に行って。母上にはもう知らせてあるから、迎え入れの方は心配しなくていい」
「もう、すべて、まるっと手配済みでしたのね。分かりましたわ。セレン夫人がいらしてから出発します」
「ありがとう、フィー。助かるよ」
「いいえ、私は何も。さて、お忙しいお兄様を、これ以上、邪魔しませんわ。お仕事を再開なさって。でも、くれぐれも無理は禁物ですわよ。私がソフィ姉さまに叱られてしまいますわ」
「分かったよ。兄さまは泣く泣くお仕事をするよ」
よよっと泣く真似をするお兄様に、ふふっと笑い声をあげた私は、席を立った。
次の日の午後、セレン夫人が到着する。
王妃様のお茶会でお会いしたような淑女スタイルではなく、研究所にこもる時のお母様と同じようなパンツスタイルでさっそうと馬車を降りた彼女に私は見惚れてしまった。
お茶会でのイメージでは、儚く、正に淑女の鑑といった感じだったのに。
「騙されましたわ……」
思わず口をついて出た言葉に、パチリと瞬きをしたセレン夫人は、にっこりと笑う。
「久しぶりにアダマスに居た頃のような衣装を着ましたの。所長……アイリス様についていた頃は、いつもこういったスタイルでしたのよ。ほら、あの方は言動も、行動もキビキビなさっているから、ドレスでは追い付けないの」
セレン夫人の言葉に、私はなるほどと納得する。
私自身は、お仕事をされるときのおば様は知らないけれど、お会いした時の様子を思い出せば、確かにその通りだった。
頷く私とセレン夫人は顔を見合わせて、笑い合う。
最初のお茶会でお会いした時よりも、ずっと、今の彼女の方が好きだ。どこか、ソフィ姉さまを思い出すようなセレン夫人の存在に、今回のコランダムへの帰郷がさらに楽しみになった。
「セレン夫人、母上のこと、頼みます」
しばらく私たちの思うままの様子を見守っていたお兄様は、時間を確認して声を掛けた。
「えぇ、セシル様、きっとレイチェル様のお力になると誓います。それに、久しぶりの魔道具研究ですもの、全力を尽くしますわ」
力強く頷いたセレン夫人に笑顔で頷きを返したお兄様は、イーサンに合図を送る。
すぐに、同行する使用人たちが私たちの周りに集まり、転送装置が起動した。
「フィー、良い休暇を」
「はい、お兄様。行って参ります」
笑顔のお兄様とタウンハウスに残る使用人たちに見送られ、私たちはコランダム領を目指した。
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