大神殿と聖女
部屋に戻った私は、コナが整えてくれたベッドの上で特別な本を開く。神殿という文字を探してパラパラとめくってみるが、なかなか見当たらなかった。
諦めずにページをめくり続け、シェリルから数世代後と思われるミラベルのところで、王都に大神殿が建てられたという記述を見つけた。
きっかけは、勇者の剣の盗難事件だったという。
後にグラフェン公の居城となった旧王城から突如消えた勇者の剣は、王都内にある中央公園から見つかった。
王都に在りながら膨大な広さを持つこの中央公園はオパール家の所有であり、だが、国民に広く開放されていた。だた、真ん中に位置する小さな温室だけは、一般の出入りは固く禁じられていた。
当時のオパール家の令嬢が温室を訪れ、それが見つけられた時、勇者の剣はその温室の中央に鎮座していたという。
「オパール家……」
ふと、クリスティーナ様の存在が頭を過ぎる。肖像画でしか見たことのない女性を頭に置きながら、私は読み進めていく。
当然のように嫌疑をかけられた令嬢は、身の潔白を主張する。彼女は王城に上がれる歳でも身分でもなく、まして、勇者の剣を見たことも、それが納められている場所など知るはずもないのだ。
自分の罪ではないことを示すため、彼女はそれを見つけるまでの経緯を時の国王や重鎮たちの前で説明した。
ある夜、勇者の剣と名乗る一振りの剣が夢に出て、自分を探し、その場所に神殿を立てるようにと言ったのだという。最初はただの夢だと思い気にも留めていなかったが、家族の話でその剣が消えたことを知った。半信半疑のまま、夢に現れたオパールの温室を訪れてみれば、見慣れない箱がそこに置いてあったのだ。その場でそれを開ける勇気は彼女にはなく、慌てて屋敷に戻ると夢の内容を家族に打ち明けた。
娘の話を聞いて、宰相でもあったオパール公爵は娘を連れて、呼び寄せた騎士団と魔術師団と共に温室を訪れる。すると、なんと、娘の話の通り、温室の中央には勇者の剣が入る箱が鎮座していた。
公爵や騎士団や魔術師団の精鋭たちが運び出そうと温室の奥へ進むが、どうしてもその箱に近づけない。もう少しというところで、見えない壁のようなものに阻まれてしまう。
ふと、公爵は娘のことを思い出す。ここにあるのが、娘が見た夢の通りならば、彼女は近づけるのではないかと。
皆に見守られながらゆっくりと箱に近づいた彼女は、何にも阻まれることなくそこにたどり着き、その箱を持って帰ってきた。
そうして、勇者の剣の盗難事件は、夢見の聖女誕生の物語として語られるようになった。
「夢見の聖女……? じゃぁ、ミラベルは聖女として表に出てはいなかったのね」
何故か、ほっと安堵の息を漏らした私は、さらにページをめくる。すると、古びた手紙が滑り落ちた。
差出人の名前はない。しかし、このタイミングで出てきたそれを、私は興味をもって慎重に開いた。
『ミラベル、いいえ、ルクレツィア様
あの方は、いつか、あなたのもとに帰るわ』
ただ、それだけが書かれていた。
おそらく夢見の聖女となったオパールの令嬢だろう。
私は、本を閉じた。
ここには名はないが、もしかしたら、ランドルフ様が調べてくれるといった資料に出ているかもしれない。
私はそれ以上読む気になれず、本をサイドテーブルへ置いた。
学園の方はお兄様が手配してくれて、私はそのまま夏季休暇を迎えられるらしい。シリルは授業に戻り、今は騎士科が主催する騎士ランクのための特別講習を受講している。
そうして数日が過ぎた頃、ランドルフ様から訪問の先触れが届いた。おそらく、神殿にまつわる資料が見つかったのだろう。それを受け取ったら、コランダムへ帰ることになる。
ランドルフ様が訪問される日の朝、タウンハウスはセシルお兄様とシリルを送り出す者とランドルフ様を迎えるための準備をする者とが分かれて忙しく動き回っていた。
私はというと、そんなタウンハウス内の喧騒をよそに執務室で商会の仕事を片付けていた。新製品の開発をいったん休止してからは、以前のような忙しさはなくなり、今は淡々と決まった書類を裁くだけになっていた。
そうして午後になるとコナが執務室の扉を叩いた。
「お嬢様、王弟殿下がいらっしゃいました」
「分かったわ、すぐに行く」
手にしていた書類を置いて、席を立つとすぐに扉が開かれレイモンドがそこに立っていた。
「準備は終わっていたのね」
「はい、前回のこともありますし、コランダムの使用人たちは、皆、優秀なんです」
笑顔のままそう答えたレイモンドは、どこか誇らしげに見え、つられるように私も笑顔を浮かべた。
コランダムの使用人たちが優秀なのは知っている。彼らはタウンハウスで働くにしても、コランダムでの厳しい教育を経てから配属されている。今回のコランダムへの監視のことで暇を出されたのは王都で雇った者たちで、コランダムでの教育を受けていなかったのだ。
今日はセシルお兄様も、シリルもいない。私はこのタウンハウスの主人として、ランドルフ様をお迎えしなければならない。
前回は訪問を受けてからエントランスへ降りたが、今回は使用人たちを従え扉の前で王宮の馬車を迎えた。
ふと、もしかしたらこうしてコランダムの使用人たちの前に立つのは、これが最初で最後かもしれないと思う。
「出迎えありがとう、コランダム嬢」
「お待ちしておりました、王弟殿下」
すっと差し出された手を取り顔を上げる。
そこにあったのは王族としての公式な笑顔で、この前のような様子は一欠けらもない。
だが、私は知っているのだ。可愛らしいランドルフ様の姿を。
思わず笑顔になった私に、ランドルフ様は少し不思議そうな顔をしたけれど、何を問うこともなかった。けれど、視界の端にトレイシーの姿が映り、その顔はからかいの色を浮かべていた。
応接室に入り、私とランドルフ様、レイモンドとコナ、そしてトレイシーの5人になってやっと、ランドルフ様はその公式な笑顔を取り払った。
今は、心からの笑みを浮かべているように思う。
「昨日、お父上から正式に婚約を受けると返答をいただいたよ。本当にありがとう、シルフィーヌ」
私が話したのは数日前だったが、昨日やっと届けられたと聞いて、少しだけお父様の抵抗を見た気がした。きっと、お母様に宥められて、やっとのことで書状を認めたに違いない。
「はい、こちらこそ、ありがとうございます。よろしくお願いします」
「うん、絶対に後悔はさせないよ。それで、約束した神殿の資料。それと、過去の王族の婚約式と結婚式の資料。公表したらなるべく早く婚約式だけでも済ませようと思うんだ。だから、気に入った装飾とかがあったら教えて、君の好みに合わせて準備をするからね」
次々にもたらされる情報と積み上げられていく資料に頭が追い付かないうちに、さらにランドルフ様は続ける。
「君につらい思いをして欲しくないから、寒くならないうちが良いと思うんだ。どう思う?」
「えっと、あの……」
「ストップ、ストップ。殿下、急ぎ過ぎですって。コランダム嬢が付いてこられないでしょ」
言い淀む私に見かねてトレイシーが待ったをかけた。
ピタリと動きを止めたランドルフ様は、トレイシーを振り返り、私を見て、その瞬間に顔を真っ赤に染めた。
「ごめん、シルフィーヌ。嬉しくてつい……。怒ってない?」
また、ランドルフ様の頭上に垂れ下がる耳を見た気がした。
「いいえ、ランドルフ様。怒ってなどいませんわ。ただ、ちょっとびっくりしただけで」
しゅんとうなだれる様子を見たら、なんでも許してしまえるような気がする。
これは危険だ。
「ちょうど、一度、コランダムへ帰りますので、両親とも相談させてくださいませ。時期は……お任せいたしますが、あまり職人たちを困らせたくはありませんわ」
寒くなる前となれば、数か月の猶予しかない。何にしても準備をするためには多くの手が入るが、職人が急がされると良い結果にならないのは、自分でも経験済みだ。
私の言葉に、そうだね、と少し考えるているようなランドルフ様は、しばらくしてハッとしたように私を見た。
「帰るのかい?」
「はい、大病を患っているらしいので、夏季休暇を早めに取ることになりましたの」
私の言葉を受けて、ランドルフ様の視線が私の後ろのレイモンドを捉え、また私に戻された。
「そう……コランダムだと、こっそり君に会いに行くのは難しいね」
「そうですわね」
「……分かった。道中気を付けて」
「はい、ありがとうございます」
さわやかな笑顔の向こう、トレイシーが苦笑いのまま頭を抱えていたのが気にはなったが、まぁ、私にはどうすることも出来ないから仕方ない。
そうして、まだ王宮で仕事が残っているというランドルフ様を見送ることになった。
短い滞在ではあったが、積み上げられた資料をみて、長い休暇は退屈する暇もなさそうだと、私の口元には笑みが浮かんだ。
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