兄弟の語らい
夜の帳が下りた神殿は、灯りが灯らない。外から入る僅かな月と星の灯りは、広い礼拝堂をすべて照らすほどではなく、ただ、祭壇とその周囲をわずかに明るくするだけだった。
「ここにいたのか」
「……兄上」
祭壇の上には、豪奢な箱が置いてある。
その中にあるのは、この国の王を定めるための証である、建国の勇者が魔王を打倒したとされる剣。
意志を持つとされるそれは、時の王にしか反応せず、手に取ることすら敵わない。資格のない者が無理に手にすれば、破滅へ向かうだけだとされる勇者の剣だ。
「コランダム嬢の返答を受けたのではないのか? いつ、私に報せに来るかと待っていたのに、こんな暗くなってもやってこないから、探しに来てしまっただろう?」
少しからかうような口調でそう告げるフレドリックに、ランドルフは黙ったまま目の前の箱を撫でていた。
「もしかして……断られたのか?」
「いいや、受けてくれた」
「なんだ、それならよかった。そんな様子だから、私はてっきり」
そこまで言ったフレドリックは、その先を続けなかった。
彼は思い出したのだ。母であるクリスティーナが、彼によく言っていたことを。
『私たちのような特別な力がある者は、不用意に言葉を発してはだめよ。特に、良くないことは……ね。それが現実にはならないとしても、どこかでそうだと物事を曲げてしまいかねないわ』
当時のフレドリックは今ほど分別があるはずもなく、ただ、あまり良くないことを口に出してはいけない、とだけ覚えていた。
後にそれを信じる出来事があったのだが、それはまた別の話だ。
「何か、気になることがあるのか?」
「彼女を見て反応していたんだ」
「剣が、か?」
箱を撫で続けるランドルフの手元を見ながら、フレドリックは訪ねる。
「正確には、母上から渡されたこちらの方」
そう言ってランドルフは胸のあたりに手を当てた。
そこにあるのは、在りし日のクリスティーナが彼に渡した『勇者の剣の欠片』だった。
おそらく剣を飾る宝玉の一つだっただろうそれを、クリスティーナがどうやって手に入れたのかは分からない。王位がフレドリックに渡ってから、すぐに勇者の剣を調べた。入れ替えられたのかとも思ったが、ランドルフの持つ宝玉が収まる場所はなかった。
クリスティーナの遺品となってしまったそれを、ずっと肌身離さずランドルフは身に着けていた。王宮から出されてプラセオで暮らす日々の中でも、国に戻ってからの学園での日々も。
だが、欠片が何かに反応するように魔力を放ったのは、今日が初めてだった。
だから、もしかしたら欠片が役目を果たすときには、勇者の剣も必要なのではないかと思い始めた。しかし、今は何の反応もない。シルフィーヌが居た時のように、まるで欠片が騒ぐような、そんな様子はどこにもなかった。
欠片と、勇者の剣と、シルフィーヌ。一体、何がきっかけになるのか。
「時が来れば分かると言われたけれど、正直、その時が来る気がしないんだ」
ぽつりと零した言葉は、静かな神殿の中に吸い込まれていく。
体も大きくなり、もう子供とは言えなくなってしまったランドルフを前にしても、それでもやはりフレドリックの中では小さな弟だった。
「母上がなさることは、すべてに意味があるんだ」
すっかり落ちてしまった肩に手を置いて、出来るだけ柔らかな口調でそう告げた。
クリスティーナがこの世を去ってから、フレドリックは彼女の言葉の意味の多くを理解し始めた。子供ではなくなったからというのも大きいが、彼女から生前に教えられたことが実現し始めたからだ。
「ランドルフ、お前がプラセオに行くこと、その前にコランダムで過ごすことは母上から聞いていた。母上には不思議な力があった。今のお前なら、その意味が分かるだろう?」
「母上は、聖女の祝福を受けていたのか?」
「もしくは、母上自身がそうだったのかもしれない。宰相……いや、伯父上は何もおっしゃっていなかったが」
兄弟の脳裏には、幼い頃にクリスティーナと過ごした日々が浮かんでいた。
物静かな人だった。父の蛮行を目にしても、止める事もしなかった。ただ、冷ややかに、ただ、後始末を行っていた。
そんな彼女を、父はどこか恐れていたように思う。
「公爵家は、王家の監視者たちだ。そういう特別な能力を持っていてもおかしくはない」
だが、今となっては確かめようがない。
フレドリックが王位についても、公爵家の隠された役目や能力を知る機会は得られなかった。だから、クリスティーナのことをアイバンに尋ねても、同じように答えは得られないだろう。
「母上は、どこまで知っておられたのだろう」
ランドルフは胸元にある『勇者の剣の欠片』を握りながら呟いた。
聞きたいことは沢山あった。
『ルキウス』という隠された名を持つ者だけがその欠片を持つことを許されると、幼いランドルフにクリスティーナは真剣な表情で伝えた。その時を思いかえすと、その真摯さに恐ろしさを感じたのを覚えている。
王位の資格とは違う、欠片を持つことが許される資格。それが何の意味を持つのか。
そもそも、欠片とはなんなのか。
「我が身が、歳若いうちに儚くなることは知っておられたようだ。そして、いつか、前王が失脚するということも。それが、剣を持つ資格がない者の末路だと」
フレドリックがそれを聞いたのは、今まさにクリスティーナの命が消えようとしていた時だった。
こうなることは分かっていたと、それでも、一目でいいからもう一度ランドルフに会いたかったと。
『フレドリック……お兄様、いえ、オパールの伯父上はずっとあなたの味方よ。困ったことがあったら頼りなさい。後、コランダムも、きっと、あなたを助けてくれるはず』
常に自分を律し、どんなことでも冷静に判断し過ごしてきた彼女が、初めて、フレドリックの手を握りながら涙を流した。
誰にも知られないようにと、そこに握らされた小さな鍵。その鍵を使う場所を示すメモの字は、少しだけ涙で滲んでいた。
『ずっと……フレドリックとランドルフを愛している。どこに居ても、二人の幸せを願っている』
クリスティーナの最後を看取ったのは、当時まだ幼かったフレドリックと王宮医だけだった。
「もっと、早くに母上が教えてくれたら、私は母上を救えたのだろうか」
それは、ずっとフレドリックの心に抜けない棘となって刺さっていた。
もう少し早くに知っていたら、もっと自分が大人だったなら……と。
「……兄上」
「だが、もう、起きてしまった。過去は変えられないが、未来は変えられる。そうだろう? ランドルフ」
それはセリーナの口癖だった。
失敗した過去はもうどうしようもない。だけど、これからの未来は変えていける。
幾度となくその言葉に励まされたフレドリックは、その度に彼女と出会えた奇跡を感謝したものだ。
「……っ」
「私には予感があるんだ。コランダム嬢もお前と手を取って困難に立ち向かってくれる女性だと。確信と言ってもいいな」
「そこまで、ですか?」
「あぁ、そうだ。だから、案ずるな。なにせ、死にかけのお前を救ってくれたのだろう? 今更、お前の情けない姿を晒そうが、動じないさ」
満面の笑みと共に肩を叩かれたランドルフは、笑顔になり切れないままフレドリックを見つめた。
「そんなに情けない顔していましたか?」
「この世の終わりみたいな顔をしていた」
「そんなはずは……」
「そうね、戻って鏡を見てみるといいわ」
不意に聞きなれた声がして二人が振り返ると、そこには侍女たちを連れた王妃のセリーナが居た。
「セリーナ」
「義姉上」
「もう、二人ともちっとも戻ってこないんだから。夕食が覚めてしまって、また厨房に迷惑をかけてしまうわよ。私も、お腹ペコペコ……お腹が空きすぎてどうにかなりそうだわ」
やれやれといった体で両手を広げるセリーナは、呆れたように二人を眺めていた。
「我が奥様は、私の心配をしてきてくれたんじゃないのかい?」
「そうよ、私の、空腹を心配してきたのよ」
慌てて駆け寄ったフレドリックは、セリーナの手を取って問いかければ、ふんっと拗ねたような答えが返ってきた。
国に戻ってから幾度となく目にしてきた兄夫婦のそんなやり取りも、今のランドルフにとっては目に毒だ。
「さぁ、帰りましょう。ランドルフ、お腹が空いているときにはいい考えは浮かんでこないわ。ほら、どこかの国の言葉に、腹が減っては戦は出来ぬ、ってあるでしょう? まずは、お腹と心を満たすのよ。そうしたら、どうすればいいか浮かぶかもよ」
あっけらかんと言い放つセリーナの様子に、ランドルフは一瞬だけ呆気にとられたが、次の瞬間には声を出して笑った。
「そうですね、義姉上。おっしゃるとおりです。お待たせして申し訳ございませんでした。行きましょう、兄上」
そう言ってランドルフが二人に駆け寄ると、今度は三人並んで神殿の出口へと向かう。
扉を開けて振り返ったランドルフは、祭壇の上でほのかに光を放つ箱を見た。だが、すぐにその光は消え、瞬きをした後には、その箱もなくなっていた。
勇者の剣は意志を持つ。
今は、この神殿を住処としているが、普段は別の場所へ身を隠しているらしい。ランドルフはフレドリックからそう聞いている。
この世界の理、人の理、神の理。それぞれの理が、それぞれを縛る。勇者の剣もまた、何かの理に縛られているのかもしれない。
それならば、自分の持つ欠片もまた、何かしらの理を持つのかもしれない。
「時が来れば、お前も応えてくれるのか?」
ランドルフの胸元の宝玉は、今も沈黙をしたままだった。
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