虜囚たち
冬の弱い日差しの中、ドニ・ヴェスタエロは鍬を持つ手を止めて、深呼吸した。
濃厚な土の匂いは、彼を意外なほど穏やかな気分にしてくれた。
彼はエルフの里にある広い畑の一角に立っていた。
遠景には緑の山がやや灰色がかって見える。
どうして自分はこんなところで鍬を握っているのかと、ドニはふと顧みた。
王国に居る頃、彼はウィリアム第二王子の側近として一緒に貴族学園に通っていた。
宰相の次男テレンスと、騎士団長の嫡男ザッカリー、そして外交官三男のドニは、ウィリアム第二王子の婚約破棄を後押しした。虐めを行ったり、人殺しを企てるような女を未来の王妃に据えてはならない。それが正義だと信じて疑わなかった。
あの日から全てが変わってしまった。
ブリトニー男爵令嬢の話は全て嘘だったことがわかった。
国外追放を命じられたアレクサンドラ・ルグウィンが姿を消し、ルグウィン公爵が配下の貴族たちを引き連れて第二王子派から離脱した。
変化はあっという間だった。
反王妃派が議会で優勢となり、ウィリアム第二王子は責任を取る形で廃嫡が決まった。
まだ間に合うはずだ、とドニたちは話し合った。
アレクサンドラ・ルグウィンを見つけ出せばいい。
連れて帰って元通りの婚約関係に戻れば、ルグウィン公爵も派閥に戻ってきて、貴族たちも納得するだろう。
ほどなく、彼女の行方を捜させていた配下の者たちから、ルグウィン公爵の息子ユージーンが他国に亡命したという話がもたらされた。
使用人同士の繋がりから漏れ出てきた噂話だったが、調べてみると真実だとわかった。
だとすれば、妹のアレクサンドラも同じ国にいると考えていい。
そうして、ゴリ押しに近い形で四人はこの国に渡ってきた。
結果、ウィリアム第二王子はユージーンへの暴力行為で投獄され、ドニたち三人は今エルフの里に囚われている。
自分たちが広い大陸のどこにいるのかもわからず、里の外には危険なモンスターが生息しているため逃げ出すことができない。
アレクサンドラ・ルグウィンを連れ帰ることに失敗した今、帰国しても居場所はないだろう。
ドニは、諦めの境地で日々を過ごしていた。
元々伯爵家三男という、家族にとっては対して重要ではない存在だ。
ヴェスタエロ伯爵家は社交的で人脈が広く、代々外交官の役割を担ってきたが、口達者な兄二人に比べてドニは内向的だった。
『賑やかに会話する家族に挟まれて、ドニには喋る暇がなかったのね』
ブリトニーはそう言って笑った。
『私と話す練習をすればいいんじゃない?』
彼女はなかなか言葉の出ないドニの話を急かすことなく聞いてくれた。
おかげで、話すことに苦手意識を持っていたドニは、少しずつ人と会話することに慣れていった。
ブリトニーの優しさは演技ではなかった。
彼女から向けられた温かな視線は本物だった。
ブリトニー・マルガト男爵令嬢は領地から出たことがなく、彼女が偽者だったと知った今でも、ドニはそう信じていた。
その気持ちを、彼は誰にも話したことはない。
「クソが! クソ! このクソが!」
ドニの隣の区画から、ザッカリーの罵声が聞こえてくる。
騎士団団長の息子は、中途半端に伸びた赤髪を後ろで1つに括っていた。
それが頭の後ろで短く垂れている様は、豚の尻尾のようだ。
「もう少し静かにできないかな」
嫌味ったらしい口調で注意したのは逆隣の区画にいるテレンスだ。
王妃の甥であり、代々宰相を務めていたアサノウス侯爵家出身の彼は、いつも上から目線でものを言う。
金髪と碧眼の容姿に加えて勉強も良くできた彼は、ウィリアム王子よりも王子らしく見えることがあった。
「この国に染まって、自分まで品位を落とすことはないだろう」
「クソをクソと言って何が悪い」
テレンスは鍬を振り上げた。
彼ら三人は畑の土と肥料を混ぜ込んでいるところだった。
肥料は動物の糞でできているから、ザッカリーの悪態は畑に向けられているともいえる。
「どうして俺が、こんなことを、しなくちゃならないんだ!」
「働かないと物資の配給を打ち切ると言われたのだから仕方がない」
テレンスは、同じく振り上げていた鍬をおろして、割り当てられた広い畑を見渡した。
エルフの里の一番端にあるその畑は、大雑把な線で細長く区切られている。
「今後何をするにしても食料は大事だろう? まず土作りだ。地道に努力すれば必ず道は拓ける」
「食料なんてどこかで盗めばいい。さっさとここを出て、王子殿下を救出しなくては……」
そう言いながらもなぜかザッカリーは手を止めない。
彼が担当する畑の区画で、土と肥料は順当にかき混ぜられていった。
(ここを出るなんて、無理なのに)
彼らは何度も脱走を試みては失敗していた。
与えられた住居周辺では自由に行動できるが、里を出てモンスターに遭遇するよりも先ににエルフたちが追いついてきて、連れ戻されてしまう。
エルフたちは魔法を使って監視しているに違いなかった。
「そんなことをすると窃盗で捕まって、また牢屋に戻されるぞ?」
テレンスの言葉に、ザッカリーは顔を上げた。
「それはいい! この臭い畑から離れられる! ウィリアム第二王子殿下と同じ場所へ行けるかもしれない」
「そんな成功するかどうかもわからない方法に賭けるよりも、まずは情報を集めるんだ。君の考えはいつも大雑把過ぎる」
テレンスは鍬を持ち直して、土に打ち付けた。
「今の私たちには、この国の首都がどの方向にあるのかもわからない」
「はいはい。お前は賢いからね……ウィリアム第二王子殿下を引き留めるどころか、婚約破棄計画を推し進めて、俺たちをこんな目に遭わせたものな。有り難いことだ」
ザッカリーは嫌味たっぷりに応酬した。
テレンスはムッとした様子で黙り込んだ。
ドニは終始無言のまま、鍬を振るい続けた。
あの頃は皆、偽のブリトニーに心酔していた。
彼女ほど優しい人は居ないと思って、誰一人疑いもしなかった。
それはザッカリーも同じなのに、今更人のせいにするような言い方は卑怯だ。
「ルグウィン公爵令嬢も、間違いなら間違いだと主張するべきだったんだ!」
ザッカリーはいっそう強く鍬を土に突き入れて、引き寄せた。
「婚約者でありながら、ウィリアム第二王子殿下を救える唯一の機会を無視しやがって」
それもまた暴論だ。
ありもしない罪を一方的に咎めてくる相手なんか、救いたいなんて思うわけがない。
「クソが」
区画の端に辿り着いて、ザッカリーは呻いた。
「次はどこだっけ?」
「さっきの説明を聞いていなかったのか。二つ開けて隣、□の印がついたところだ」
テレンスが指を差す。
「ああ、臭えな、全く」
文句を言いながら、ザッカリーは示された場所に向かった。
多分彼も、自分の考えが間違っていることには気づいているんだろう。
だから文句を言いながらも身体を動かして、せっせと土を耕している。
ドニには、ザッカリーの気持ちが少しわかった。
今まで信じていたことが全て引っくり返ってしまって、まだ全てを受け入れることができない。
貴族として、使用人たちに傅かれながら暮らしてきた自分たちが、土と堆肥にまみれている。
納得はできない、けれど何もせずにじっと待っていても、誰も助けてはくれない。
ザッカリーが、二つ向こうの区画に鍬を打ち付け始めた。
その様子を見ながら、なんとなく違和感がある理由をドニは考えた。
テレンスが等間隔に線を引いた区画には、丸、三角、四角の印が付けられ、三人それぞれに平等に割り振られている。
三人という人数に、一人足りないという感覚が付き纏った。
ウィリアム第二王子がいない。
(僕たちは特別仲が良かったわけではないけれど、子どもの頃からいつも四人一緒だった)
ウィリアム第二王子殿下のそばで仕えるようにと、ある日父親から命じられた。
それからはずっと四人で行動してきた。
子供心に、それを負担に思う時期もあった。
だが、王子の学友という立場に、自分自身の意味を見い出してもいた。
(ウィリアム第二王子殿下も、環境が変わって戸惑っているはずだ)
自分たちは三人一緒にいるけれど、王子はたった一人で心細いに違いないと、ふと思い至る。
これまで、身分の高い王子を自分と同列に考えたことなどなかったのに──
(僕たち四人にはもう、お互いしか残っていない。いつか、もう一度会うことはできるだろうか?)
大失敗した婚約破棄のことや偽のブリトニーを今はどう思っているのか、訊いてみたかった。
そのためにもまずは、この地で生き延びなくてはならない。
全てを諦めていた気持ちが、ほんの少し変化していた。
何をするにしても食料は大事だ。
ドニは鍬を握り直すと、ザッカリーに追いつくべく鍬を振るい始めた。
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