ニーヴァイア
瞼の裏に広がる闇。いつからかそれを眼前にしていた。軽薄な意識は、時間を経るのにしたがって覚醒へ近づく。
全身を包む鈍い痛みと気だるさをどこか遠方にあるように感じていたが、感覚が段々と明確になっていく。
「…………いっ………………」
呻きながら瞼を開く。明るい陽に目が焼かれ顔をしかめる。次にほのかな冷気が遅い、起きたいと思う気力が削がれた。それでも意地で瞼を開けて外界を目にする。
「…………」
見覚えのある天井。左の窓から注ぐ日差し。大して質の良くない寝具。新しい木でも切り出したような匂いが充満している。
「転生……じゃ……ないよな」
思いっきり知ってる部屋だ。転生じゃない。
回復魔法で癒されたのか体のどこにも傷は見当たらない。上半身は何も着ておらず、下半身にはボロボロのズボンがはかされていた。
遠くから甲高い音がのべつ幕なしに鳴り響く。聞き慣れた心地よい快音だ。耳をすませば常に全力で走り回る足音と、わずかなふたりの息遣いが耳に届く。
気だるさを振り払って体を起こす。左に首を回して窓の外を見やれば、剣を交わすリミスタとジジイが見える。
「え……」
そんな情けない声を最後に俺は絶句した。
ジジイは俺が見たこともないような速さで走り剣を振る。俺では反撃どころか耐え抜くことさえ困難なその猛攻を、二刀を持つリミスタは見事に対応し、そしてジジイと渡り合っていた。
どちらの動きも俺が到底及ばない速さで、その中で俺を上回る攻撃がいくども繰り出される。ギリギリのところで理解できるフェイントが何度も行われている。実際は俺が見えているフェイント以外に、倍近くフェイントが行われているだろう。
俺はその光景に魅入ってしまい、言葉を忘れていた。リミスタの舞うような剣技も、ジジイの無骨でいて洗練された剣技も、俺のまだ至らぬ高みのものだ。
遠くにあるからこそ輝いていて、目を奪われるほど美しい。
心の奥になにかが燻るのを感じた。
なんとも言えない胸に穴が空いたような痛みを感じてもなお、ふたりの戦いぶりをこの目に焼き付けた。
するとすぐにふたりは斬り合うのをやめた。リミスタがこちらに背を向け、ジジイはこちらに体を向けてふたりは向き合っている。ジジイがこちらに視線を向けたようだ。俺は片手を上げて応えて、ばたんと倒れるように寝具に体を委ねる。
ジジイは俺が体を起こした時点で俺の目覚めに気づいていただろう。リミスタの方はわからん。
数秒後、「えっ」と驚く声が外から聞こえた。小屋の玄関が乱暴に開かれどたどたと俺が寝ている部屋に接近する、駆け足の音。間を置かず部屋の扉が開かれた。
「……」
リミスタは部屋に入ることなく、開かれた扉のドアノブに手をかけたまま硬直している。
俺の姿を見て速攻でラウス! って呼ばれながら抱きつかれるものだと思ってたんだけど……。思っていた反応とだいぶ違う。とりあえずふたたび上体を起こす。
「……ラ、ラウス…………」
そう呟いてよろよろと俺の元へ歩み寄った。ちょっと反応に困る。
「よかった……よかった…………」
まるで割れ物を抱くように、俺を優しく両腕で包む。体の感覚がない。酷くがっかりしてしまう。リミスタは俺の気なんて知るはずもなく、俺の首元に顔をうずめた。
俺は片腕でリミスタの頭を撫でる。感覚がないので力加減が難しい。記憶喪失ごっこするつもりだったんだけどなあ。そんなことできる雰囲気じゃねえよな……。
「……俺どのくらい寝てた?」
「一か月じゃな」
一か月か。長いな。
「なあジジイ。ひとつだけ気になることがある」
「……なんじゃ」
意を決したような声。おそらく俺が寝ている間、真相を話すことを決めたのだろう。
まあジジイには悪いが俺がこれから訊ねるのはジジイが覚悟したこととは別だ。
「なんでリミスタにあの剣が扱えた? それに俺も」
「…………。……ガラジオス」
ジジイは返事の代わりにその名を口にする。途端、窓の外に大きな存在が出現する。リミスタは即刻俺を解放した。俺もリミスタも臨戦の心持ちで窓の方を睨める。
「まあそう構えるな。戦友よ」
気づけば開いていた窓。外から涼風が流れ込んでくる。そして、そいつは居た。
爬虫類を思わせる長い口と、顔の側部についた瞳に、縦長の鋭利な瞳孔。木のごとき色と形状の角。銀白の鬣。全身を覆う、夏の山を思わせる青の鱗。
四足で立つそれは、どこまでも伸びる長い胴をうねらせながらそこに鎮座していた。おそらく長さは三十メートルを優に越える。……これが、龍。
俺は気を緩めたが、リミスタはいまだ気を張り続けている。
「リミスタ。大丈夫」
リミスタの髪をわしゃわしゃと乱暴にかくと、リミスタは猫のように目を細めて「ん〜っ」と身を縮こませる。
「久しぶりだな。これで三回目か」
「三回目もなにも我は一度たりともこの場から離れたことなどない」
悠々と語るガラジオスは、口を一切動かすことなく話す。
「いやまあ……うん。そうだけど。でも俺が初めてこの森に来た時実体化してたろ」
「ああ。そうだった。フィクスの子が訪ねて来たのかと思ってな」
「ガラジオスよ」
そこでジジイが口を挟む。フィクスってどっかで聞いたんだが……誰だっけ……。何かのキャラクターだったかな。
「なぜふざけたしゃべり方をしておる。いつものように話せ」
「うるせえな。だったらてめえも老体ぶってないで相応の言葉で話せ」
ジジイの声に応えたのはガラジオス……だよな? 口調変わりすぎじゃない?
「いや実際に老体じゃから……。それよりラウスの質問に答えてくれ」
「そうだったな。聞けラウス」
「はい」
「タメ口でいい」
「わかったからさっさと話せ」
「誰も態度までデカくしろとは言ってねえ!」
なにこのデジャヴ。もしかして俺ループしてね?
なんとなく気になってリミスタを見ると、俺の寝る寝具の傍で床に膝をついて、ガラジオスを眺めていた。その瞳に畏怖や嫌疑の感情を見る。
「てめえがその右手に巻いてるもんはな、俺の髭が使われてる」
「なに言ってんのお前。これは巨乳の女性の髪の毛なんだけど」
「てめえこそなに言ってやがる。確かにフィクスの胸はデカかったが……そうか。なるほど」
よくわからないが勝手に納得している。マジでわからない。どういうことなんだ。
「オレの髭をベースに、フィクス……アウデフの方が有名か? まあとりあえずフィクスの髪やらその子供の髪やらを編み込んでるようだな」
「え、怖」
禍々しいものを感じずにはいられない。さすがに魔剣を見た今となってはだいたいのものはしょぼく見えるが。
「オレの体の一部ってだけでも、かなり魔力が宿ってアレなんだ。それに、魔力の感じからおそらく魔法の才がアホみたくあるアウデフやら、その子どもたちが自分の髪の毛を編み込んでる。なかなかヤバい代物になってると思うぞ、それ」
「え……」
しかし今更そんなこと言われてもな……。
「気にするなラウスよ。それはフィクスが己の子を守るために作ったものじゃ。そやつ……ガラジオスの危惧するような状態にはなっておらんじゃろうな。少なくともワシは、それから妙なものは感じぬ」
ジジイはいつの間にか椅子を取り出して俺の近くで座っている。
「マジか」
……てか、アウデフ……? さっきガラジオスがアウデフっつったよな。アウデフって龍殺しのカロンのパーティのうちのひとりで間違いないはずだ。
シーンは……英雄パーティのひとりの子孫だとでも言うのか?
アウデフは当時、世界随一の魔法の使い手だった。もしその血がシーン継がれていたとすれば……。
「ジジイ、アウデフって、今はアウデフってしか名前が残ってないけど、フルネームって……」
「フィクス・アウデフ・オリーノス・ヴィ・シファじゃ。そういえばお主に初めて会った日に問うたな」
「ああ。そうか……」
国外へ出ることを制限され、あまりにもずば抜けた魔法の才を持ち、アウデフの子孫が持っているはずのものを持っていた。
驚きはする。が、だからどうということはない。俺が殺してしまった人の存在を、ただ明確にしただけだ。考えもやることも変わらない。
「なんでか知らねえがフィクスの方の名って一般的じゃねえよなあ。昔はみんなフィクスフィクス呼んでたのによ」
「彼女なりの考えがあるんじゃろ。知られた名で生活するのはよいことばかりではないからの」
まあそうだな。英雄やそのパーティたちは無理やり貴族にさせられたりするし、周囲の人間を怯えさせたりする。偉業の後にはあまり名を使いたくないだろう。
「……で? これとあの剣を扱えた理由の関連性は?」
「さっきも言ったように、オレの体の一部が含まれるものをてめえはずっと身につけていた。それが発する魔力は少しずつお前の体に流れて溶け込む。同時にお前の魔力も取り込みながら、それは貯蔵する魔力をさらにさらに高めてる」
「魔力が……」
シーンも自分の髪の毛をこれに編み込んでいたのだろうか。
「あの木の剣は、同一ではないがほぼ聖剣や魔剣と同じ類にあんだ。だから資格なき者はあの剣の力……もといオレの力は引き出せない。しかし、てめえは違う。オレの髭を常に身につけ、オレの死骸の森で数年過ごした。資格こそないがオレの力の一端を扱うことができてしまう」
「なんでお前の魔力が体にあるだけでお前の力が使えんだよ。具体的に説明しろおら」
詳しくは活動報告でとかだったら許さないぞ。二十個くらいアカ作って荒らすからな。
「……はいはい。わかってるよ。……よっこらせ」
人間臭くだるそうにそう言うと、ゆっくりと長い体を地面に下ろした。
「まずは……そうだな。聖剣と魔剣について話そう」
「おっ。いいね」
待ってました! 聖剣チュートリアル!
「聖剣と魔剣は誰でもその力を扱えるものじゃねえってことは知ってるよな?」
「知ってるには知ってるけど字面でだぞ。本物は見る機会がないからな」
「それでいい。その扱える者ってやつの選定は、たったひとつの条件しかない」
「ほーん。初耳だ」
俺は今かなり重要なことを聞いてる気がする。リミスタはこの状況をどう思っているのか気になりちらりと見る。なぜかリミスタは俺の右手を、自分の両手でにぎにぎしていた。何やってんの……。それより触られてる感覚とかないんだけどこれヤバいでしょ。
「それは、自分がその者に干渉できるかどうか、それだけだ」
「うーん……わかるような、わからないような。その干渉の可否にパターンはあんのか」
「悪いがそれはわかんねえな……」
「そっか……」
「わかったところでお主が選ばれるわけではなかろう」
「そうだけど! ちょっとくらい期待してもいいじゃん!」
「話を戻すぞ」
ガラジオスが呆れたような声を出す。すこしガラジオスに申し訳なさを感じつつ視線を戻す。
「オレは今、さっきも言ったように聖剣や魔剣と近しい状態にある。それはつまり、干渉が出来なければ、他者に働きかけることは不可能ということだ」
「俺に干渉できたのはこの腕輪の魔力が理由か」
「そうだ」
自分の体の一部を数年に渡り身につけて入れば、そりゃその魔力は自然と少なくない量が俺へと侵入するだろう。
相手に自分の魔力が流れているなら、干渉はできなくもないってことか。なるほど。大いに納得とまではいかないが、理屈は理解した。
「ならリミスタはどうなんだよ。別にそれらしいのは身につけてる感じじゃないけど、あのクソでかい白猫ぶった切る時にこいつもお前の力を使ってたろ?」
「使ってねえよ。確かに、影響を受けやすい子どもがこの森に長らくいただけでオレは干渉できるようにはなる。だが、そのていどはたかがしれてる。実際オレの声はラウス、お前にしか届かなかったし、魔法もお前しか使ってねえ」
「いや、でも、風が……」
俺の戸惑いの声に答えをくれたのはジジイだった。ジジイは俺の感情を揺さぶらないように、ただ淡々と話し出した。
「魔法などなくとも、物が速く動けば風が起こる。つまり、風が起こるだけの速さでリミスタが動いた。それだけじゃ」
「……」
なんだろうこのなんとも言えない気持ちは。
目覚めてすぐ、ジジイとリミスタの剣戟を見た。その時俺は、寝てる間にリミスタに追い抜かれてしまったと思っていた。しかし実のところあの時すでに、リミスタはすでに俺を追い抜いていたんだな。
抜かれないように抜かれないようにと粘っていたが、最後は簡単に俺を越えていった。クソ。情けねえ。
その後、快気祝いとかなんとかで食い物を買うらしく、ジジイとリミスタは街へ向かった。俺はひとりでお留守番だ。いまだ寝具から動かず、ガラジオスとの会話を続ける。
「ひとつ聞きたいんだがいいか」
「かまわねえ」
「俺はあの日、かなりの深手を負ったはずだ。たぶん回復魔法なんかじゃ到底治しきれないくらいのな。どうやって治したんだ」
回復魔法はなによりも有能な魔法だ。それでもやはり限界というのはある。俺は腹に大穴を開けて手足も粉々になっていた。あれでよく立って剣を振れたな。我ながら感心する。
「オレの力のひとつは回復だ。回復魔法と比べても上位の回復能力がある自負がある。だが、てめえはオレの正式な所持者じゃねえから干渉のていどもそこまで高くはねえ」
「本来の回復能力が、俺の場合じゃ十分に発揮できないと……」
「絶望的だろ?」
「……かなりな」
俺ってもしかして一回死んでるとかそういう話になんの? え……。
「リミスタも魔法は使えねえし、てめえはとっくに気を失ってるし。リミスタもかなりヤバい状況だったんだぜ。泣き叫んでいつ自殺してもおかしくないような感じだったよ」
「お前はその時なにしてたんだよ……」
「てめえの延命処置をしてたさ。オレにも情はあるからな」
「そうか。……ありがとうな」
「まだ礼は早え。二進も三進も行かない最悪の状況だったが、偶然……いや、必然、あいつらが来た」
怖い……誰だよあいつらって……。先祖たちの迎えが来ちゃった感じ?
「てめえがジジイとか呼んでるあいつと……、灰、黒、赤、橙、緑、紫だ。伝わるか?」
「え……は? え? んなバカなことあるかよ」
ガラジオスが口にしたのはつまり、連盟から与えられた称号のことで間違いない。
三騎士の、灰、白、黒の称号を持つ冒険者のうちふたり。彩騎士の赤、橙、黄、緑、青、紫の称号を持つ冒険者のうち四人がここに来ただと? あいつらは国どころか世界のトップなんだぞ。そんなふざけたことがあるわけないだろう。
それになんでわざわざこの国の、この場所に来るんだ。
「マジでそいつらがここに来る理由なんてどこにも……」
「心当たりがあるだろ」
「………………あいつか。……俺らが必死こいて殺したあいつを討伐するために、集められてたのか」
「そうだ。その中にいた青は回復魔法が使えたんだ。その青と、ジジイだったかそのふたりにてめえは癒された」
当代の青といえば、相当な回復魔法の使い手として名が知れている。体の半分を欠損しても元どおりにできるそうだ。そんなのに直々に回復させられたのかよ……。
「なあガラジオス。俺とリミスタが死にかけでどうにか倒したあいつってさ、もしかして最初っから瀕死だったりするの?」
「そうだ。瀕死とまではいかねえが、あいつも冒険さの化け物ども相手だとかなり消耗してただろうな。それに、この森あいつが入って来た瞬間から、オレはあいつから魔力を奪い続けてたんだ。褒めてくれや」
なんだよこのなんともいえない気分は。
あれだけ死ぬ気で戦って倒した相手が、実はすでに弱ってましたとかマジでふざけんじゃねえよ……。はあ……。
ガラジオスがふいに、横を向いた。ジジイ達が帰って来た様子はないので不審に思っていると、落ち着きを払った女性の声が響いた。
「ニーヴァイアだ。よろしくな」
「は………………」
のそりと窓から望める景色に踏み入って来たのは、リミスタが殺したはずの白い猛獣だった。
白い体毛や全身を走る黒い模様は相変わらずで、傷跡などはどこにも見当たらなかった。
「今の私には理性がある。言葉も交わせる。警戒するなとは言えないが……少なくとも危害を加える意思はない」
「……そうか。……お前もガラジオスみたいな存在なんだろ?」
「察しが良いな」
「お前を湖の底に沈めた時には完全に気づいてたわ」
「ほう」
「……で? お前も加護的なのはリミスタに与えられてんの?」
ガラジオスを殺したカロンは、ガラジオスの力──木魔法を手に入れたと言われている。森で決して迷うことがなく、木や風を自在に操れたという。雨天時には任意の場所に凄まじい雷を落とせたとかも言われている。かなりチートだ。
そしてそんなチートを手に入れたカロンは、ガラジオスに選ばれていたとかなんとか。ガラジオス本人が口にしたように、聖剣と魔剣が干渉できる者を探し当てるのなら、ガラジオスもまたカロンを探し当てたのだろう。
俺はあの時、ニーヴァイアとかいうこの白猫がガラジオスと同一の存在であると考えた。そしてリミスタがカロンと同様の立場であろうとも考えていた。
選ばれていなかった俺がニーヴァイアを殺せば、その力が誰に受け継がれるのか不明だった。
もしかすると俺にその力が渡ったかもしれないし、選ばれたリミスタに力が渡っていた可能性もある。最悪、選定された者以外に殺されると、その力は消失することも考えられた。
そういう理由でリミスタにとどめを譲った。というかあの時はすでに、剣を振るだけの体力も気力も魔力も尽きていた。あれはあれで結果的に合理的な解になっていたと思う。
「もちろんだ。私たちはそういうものだからな」
「俺にもちょっと分けてよ」
半分くらい俺が手伝ったんだから報酬は山分けでしょ。無賃労働など断じて許さない! 弁護士に相談してネットで晒して再起不能にしてやるよ!
「あたりまえだろう。お前にも数割ではあるが私の力が渡っている」
「え!?」
え!?
「あー、そうだ……。言い忘れてたんだが……」
衝撃的事実にほうけていると、ガラジオスが半笑いでそう言う。混乱気味の頭では次の言葉の意味もうまく処理できなかった。
「オレの力はすべてお前に受け継がれた。カロンがオレを殺して手に入れた力は今、全部てめえのもんだ」
「え!?」




