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訪れた終幕

「……リミスタ」


「なにっ」


 猛獣の足元から転がり出たリミスタが応える。身体中が汚れて所々血がにじんでいる。


「あいつの気を引くから尻尾切ってくれ」


 動物は尻尾でバランスをとったりするらしい。つまり尻尾を失えば通常時と同じような動きが難しくなる。

 こいつの場合は体の総重量に比べ、尻尾の重量の割合はあまり大きくないだろう。だからそこまでの影響はないかもしれない。でもやれることはやっておきたいのだ。


「わかった!」


 健気な声に勇気をもらう。すぐにリミスタから離れる。猛獣の視線を浴びるべく前足の傷口に腕を突っ込んで筋肉をわずかにちぎり取った。そして一歩下がる。

 俺が立っていた場所を爪が遅い、空を切った前足は地面を砕いた。俺を眼前に収める姿勢で虎が俺を睨みつける。虎の向こう側で小柄な影が動き、ひゅっと剣を振り上げた。遅れてぼとりと、綺麗な尻尾が落ちる。


「グルアアアァ!!」


 猛獣はリミスタの方を向くことなく俺に突っ込んで来た。すでに離脱しようと走り出していた俺だったが、折悪しく動きを捉えられて頭突きを食らう。背中が木にぶち当たる。


「ぐふっ!」


 血を吐きながらも〈魔功〉は破られまいと集中は途切れさせない。左手に剣を作り、猛獣の右眼に突き立てる。続けざまにリミスタが猛獣の左側から飛び出す。


「やっ!」


 横合いからの鋭い突き。刀身は猛獣の左の眼球を切り潰してさらに奥へと進む。猛獣が俺を木に押さえつける力を弱めた、俺の体は地面にずり落ちる。

 咆哮を予期。けほけほと血の飛沫を吐きながら退散。


「ゴアァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!」


 これまでの声の中では最大の音声が、周辺を大瀑布のごとく横からたたきつける。耳をつんざく鳴き声に顔をしかませる。全身の痛みをこらえて尻尾が落ちている場所へ向かい猛獣の死角に入る。


「……っ!!」


 それは波紋のように広がる。こんな莫大な魔力を使用すればどれだけの規模になると思ってんだ。


「リミスタ避けろぉおおおお!!」


 それは瞬きをする暇もないほど一瞬の出来事だった。

 無数の鉄の結晶が地面から飛びだして視界を覆った。棒状のそれらは集まって折り重なると、規則正しい形状へ姿を変えていく。角度の違う鉄がそれぞれ光を反射したりしなかったりで、白と濃い灰色の筋が出来上がる。高くなり続けた。

 城のようにそびえて威厳があり、鉄が反射させる光の筋は幻想的だと思ってしまう。


 そのうちの一本、あるいは数本の束が地面から生えて、俺の右脇腹を貫いた。俺の胴体を貫通し、高さ三メートルあたりまで伸びる。

 次なる鉄の結晶が足元の地面から覗く。他の部位を貫通される前に、体を自由にして避けなくては。両手で鉄の柱を掴むと、思い切り押した。

 

「うぐ……うっ、ぉぉおおおおおおおお!!」


 悲鳴に近い雄叫びをあげて、柱から己の体を離す。ぶつりぶつりと筋肉や皮が分断されていく。そしてついに柱から体を引き剥がした。

 大量の血とともに内臓が落ちそうだった。それを防ぐため、なけなしの魔力で作り出した〈魔功〉をえぐれた腹部に展開して押しとどめる。

〈魔功〉は体表まで覆うものだ。それを利用して出血を抑える技術もあるのでそれを利用をした。そのうち魔力が切れて臓物はぼとぼと落ちるだろうがな。クソ。時間がない。


 体を引きずるようにしてできる限り急ぐ。全身の痛みに、今にも意識が飛びそうだった。吐き気が止まらない。ずっと口から血が流れ出ている。左足は骨が砕けて地面を踏みじゃりじゃりと鳴るたび激痛が脳天を貫く。


「……リミ……スタ…………」


 現在も各所で鉄の柱が生成される中、リミスタがいた場所へ足を運ぶ。城のごとく鎮座する柱の壁に沿って、柱に手をつきながらなんとか歩いて中心部を目指した。


「リミスタ…………」


 消え入るような声で名を呼ぶ。応えはない。

 ゆっくりとさらに歩いていくと、柱の結合がまばらになり中心部までの隙間がある場所があった。そこに体を入れ込んだ。狭いために傷口が擦れて、周囲に血痕が塗られる。早くしないと……魔力が……。


 立ち並んでいた柱は進むごとにその数を減らした。そして完全に柱のない空間に出た。


「はっ……はは……なにそれ……」


 月下に照らされるのは、白い刃を身体中から生やしたあの猛獣だった。猛獣から生えた刃は、地面から突き出した黒い鉄とは異なり、月の現し身のような白銀の刀身だった。

 ふたたび場違いなことを思ってしまう。美しいく幻想的だ、と。どういうわけか、血の赤はなくなっている。魔力にでも変換したんだろうか。やはり魔物とは違う。彼らは特別な存在だ。


 そんな猛獣はいつの間にか回復した眼で、俺から見て左の方向をずっと見ていた。その先を見やると、剣を構えたリミスタの姿がある。今の魔法をすべてかわせたようで、ひどい出血は見当たらなかった。猛獣と睨み合いになり、一歩も動けない状態にあるらしい。

 リミスタならやってくれる。そう信じて大きく息を吸った。


「来やがれクソ猫が!! 俺が相手してやる!!」


 最後の力を振り絞って、地面を蹴った。

 一歩が重く、遠い。

 体が前に進むだけ死が近づいてくる。


「ああああああっ!!」


 猛獣が接近してくる俺を一瞥する。間髪入れずに、俺を迎え撃つべく駆け出した。

 最接近。大きく口が開かれた。こいつの口の中を見るのは今日で何度目だっただろう。

 俺を噛み砕かんとする白い牙。


「はあああああああっ!!」


 一陣の風が吹いた。俺の目でも追えないくらい、こいつでも反応しきれないくらいの速さだった。

 その風は俺の命を刈り取ろうとした存在の下に潜り込んで、木の剣を胸に突き刺す。

 俺はすこしの間、なにが起きたのかがわからなかった。目の前で猛獣の巨体が倒れるのを見て初めて悟る。

 ああ。俺たちは勝ったんだな。


 立ち尽くしているとリミスタが駆けてくる。血に染まった木剣を俺の足元に投げ出して、俺に抱きついた。上は服を着ていないが体のどこも麻痺しているので、リミスタの柔らかさとかは全然わからなかった。鼻もおかしくなったようで匂いもよくわからない。


「ラウス……! ラウス……!」


 悲しんでいるのか喜んでいるのか定まらないリミスタは、泣き顔で俺の名を呼んだ。胸のあたりから俺を見上げるリミスタはすぐに視線を俺の体へと向けた。あちこち汚した整った顔が歪んだ。


「僕……回復魔法……使えない…………」


 その自責の言葉を皮切りに、リミスタがさらに大量の涙を流し始めた。


「どうしよう……どうしたらいいの……」


 助けを求めるような悲痛な表情。


「……いいよ……。気にするな。お前はなにも悪くない」


 頭を撫でてやろうと右手を上げたが、主に血で汚れた手では触れられないと思い手を下ろした。悪いな。


 ──剣を取れ。終わりではない。


 はっきりと聞こえた。

 しばらく前に聞いたときは概念としてしか伝わってこなかったが、今回は明瞭な言葉として届いた。


 ──剣を取れ。


 リミスタの体を押して、リミスタが投げ捨てた木剣の柄を拾い上げた。


「ラウスどうし……」


「グルァアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」


 柱で囲まれているためか声が幾重にも反射して全身が細かく揺すられるような感覚に陥る。声の主は立ち上がり、リミスタを食おうと飛びかかる。


「させるかぁああ!」


 間に合わない。引き伸ばれた時間の中でそんな絶望を味わう。魔力が切れた。体が動かない。体を支配していた痛みが遠のく。音も匂いも色も、何もかも排除される。

 こんな時にだけやけに集中力が高まって、世界が緩慢に動く。目の前で大切な人が死にゆく姿を見届けろとでも言うのか。あまりに非情だ。


 絶望に打ちひしがれるなか、声が聞こえた。


 ──名を呼べ。さすれば我が力の一端、貸し与えん。


 俺なんかに力を貸してもいいのかよ。


 ──お前以外の誰がやる。


 ……。

 ここには俺しかいない。

 リミスタを見殺しにできるのは俺だけ。

 もしもリミスタを救えるとしたら、救えるのもこの場にいる俺だけ。


 いつも頼っていた人はいない。

 俺がやらなくちゃならない。

 俺には力がない。能力がない。

 だけど、なにもせずに見てるだけは嫌だ。


 二度と大切な人を目の前で奪われたくない。

 そんなことになれば俺は立ち直れなくなる。


 初めからこんな独白など不必要なのだ。

 守りたい。

 奪われたくない。

 だから力を貸してくれ。


「──ガラジオス!」


 清涼な風が吹き荒れる。夏の薫りが滾る。刀身から吹き出す風はとめどなく、小柄なリミスタは「きゃっ」と声を上げて軽々と飛ばされてしまった。猛獣は自明なことだが飛ばされることはない。しかしわずかではあるが風に押されているようだ。

 今にも手元から逃げ出しそうな木剣を御しながら、構えた。体の痛みは感じない。


「グルァァ!!」


 突風の影響をさほど受けない猛獣は、構わず俺に襲いかかる。回避することはできない。俺の腹には穴が空いている。足も腕も所々折れていて、回避という行為は自傷につながる。だから引き下がらない。


「来い」


「ガァアアアアアアアアア!」


 猛獣は左右に飛びながら迫り、振り上げた前足を叩きつけた。内側を斬りつける。


「ぐっ……」


 皮肉を断つ。しかしぎりりとそれ以上の刃の進行は叶わなかった。骨が硬すぎるのだ。

〈魔功〉と〈噴放〉なしでも、木剣から溢れる風に押され、なんとか押され負けることはない。


 攻撃が真まで届かなないことに慄く俺に、次なる脅威が襲いかかる。


「ガルァァアアアアア!!」


 左の耳元で耐えきれないくらいの咆哮が聞こえる。そして、左肩から意識を刈り取る激痛が伝播した。


「あああああああああっ!」


 声を上げて飛びそうな意識をとどめる。大重量を抑え込めるはずもなく、俺の体は、左肩を食われたまま地面に倒される。

 肉や血がぐちゃぐちゃと鳴るのがすぐそばから聞こえてくる。骨が砕ける。出血する。意識が遠くなってきた。クソ。こんなところで終わりか。ふざけんなよ。なんでだよ。


 右手首の熱に気づく。その熱が今にも消えそうな意識をつないでいる。……まだだ。まだ気絶しちゃダメだ。

 ふたたび叫ぶ。魔力も何もこもっていない、ただの怒声が反響する。


「死ねクソがあああああああああ!!」


 右手に持った木剣を持ち上げた。猛獣の首筋へ吸い込まれる木剣。毛も皮も肉も軽々と裂いていく。

 ゆっくりと血が噴き出すのが見える。同時に剣が硬質なものに触れて進まなくなる。骨だ。またも骨にぶち当たり、剣が進まない。


「う……ぁああああああ!!」


 バチリバチリと木剣から山吹色の光の線がほとばしる。これは……雷だろうか。

 力を込めれば込めるだけ風は強くなり、纏う雷の輝きも音も大きくなる。

 月夜をさらなる煌めきで塗りつぶす。凶悪な稲妻と業風が、対象を切り刻むため無際限に増幅する。


「グルッ」


 俺の肩を食いちぎって離れようとする猛獣。その首に食い込む剣を、さらなる力で押しつける。逃がすわけがないだろ。


「らああああっ!」


 威勢とともにズパンと剣が貫通し、地面を斬る。


「グゥゥ……」


 鮮血は飛ばず白い粒子がふわりと傷口から地面に落ちていく。傷口を見ると、首の半分以上は切断されていた。それなのにこいつはまだ生きて、細めた目を爛々とさせている。


「リミスタ!」


 視線を下に動かせば、鉄の柱に隠れつつこちらを窺う姿があった。そこに向けて木剣を投げる。剣は吹き出す風でその身を制御しながら、リミスタの眼前の地面に突き立った。雷は収まっている。


「とどめを刺せ!」


 状況の理解ができていないようで、リミスタは動かない。


「早く!」


「グルッ……」


 俺の言葉に重なるように猛獣の声が漏れた。見やれば頭を低くし今にもこちらを襲おうとしている。そんなことを思った時、猛獣は俺に躍り掛かる。

 前足で俺の左腕を完全に踏み砕く。次には顎門を開き俺の首筋へその牙を近づけた。


 諦観。もう抵抗のしようもない。体に力が入らない。魔力は尽きているので〈魔功〉は使えない。感覚はないが、すでに内臓はこぼれてしまっているのだろうか。もしそうならかなりショッキングな状態だな。リミスタに見せられないわ。


 いろんな記憶が頭の中を駆け巡った。走馬灯と呼ばれるあれだろう。人の脳は死に際、活路を開くための記憶を洗い出すそうだ。その作業中に過去の記憶を次々と見る。

 思い出深い光景が、俺の人生の総集編とでもいうようにカットされまくりで流れた。幼少期の記憶、少年期の記憶、青年期の記憶。

 親父の顔も母さんの顔もはっきり思い出す。

 ワーリス、リグレ、リピ、イラ、ドゥーキア、神官長、ローシウム、ロッサ、シーン、ジジイ、リミスタ。顔も言葉も思い出す。


 良し悪しの隔てなしに忘れられざる思い出が、あらゆる記憶が、俺をまたたくまに通り過ぎていく。本当に終わりが近いようだ。

 世界にゆっくりと幕が降りる。俺は瞼を閉じた。


「はぁぁああああああああ!!」


 風が吹いて、それからゴロンと重い何かが転がる音が重なる。続いて首と肩に衝撃。


「ラウス……」


 首筋に抱きついたリミスタが俺を呼んだ。応えるように瞼を持ち上げる。泣き顔のリミスタが俺の顔を間近で見つめていた。


「……死ぬ……気……満々だっ……たのに…………」


「なにそれ! 死なないでよ!」


「……うーん…………」


 死なないでよって言われてもな。もう死ぬよ俺は。

 延命させる手段がないのだから仕方がない。


「……お前は…………なんも……悪く…………ないぞ…………」


 口がうまく動かなくなる。喋るのですらひと苦労だ。


 リミスタの嗚咽が遠くなる。鈍くなった体の感覚もさらに薄れて、なにも感じなくなっていく。呼吸も浅くなり、己の体温が徐々に下がっていくのがわかる。


 ここまでか。まだ死にたくなかったんだけどなあ。

 リミスタの泣き顔を見ていると辛い。最後くらいは笑ってる顔が見たかった。でも人が死にそうな時に笑ってたら逆に引くが。


 俺の意思を介さずに視界が閉じていく。

 また、次があるなら。必ず会おう。

 これが終わりじゃないと信じる。

 終わりはきっと、幸せで甘いものだ。

 だからこれは真の終わりではない。

 また会おう。


 終演が訪れる。

 意識は闇の中に消えた。

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