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灰茶の剣

 体力の保持を考えながらゆっくりと対岸に渡る。体を冷やすわけに訳にはいかなかったのでパンツ一丁になる。リミスタにも服を脱げと言ったが頑なに脱がなかった。脱げよおおおおお!

 しょうがないので水の魔法でちまちま水分をとってやり、十分足らずで全身を乾かしてやった。


「……ごめんね。ありがと」


「いいよ」


 ひびの走った箇所に草を生やす、冷たい岩盤の地面。俺はそこに横たわり根に頭を置く。幾重もの根に囚われた岩にリミスタは背を預けた。


 しばしの静寂の後、俺から口を開いた。


「あいつはまだ生きてる」


「そうなの?」


「推測だけどな。追われてる間あいつのこと観察してたんだよ。そしたら呼吸してるようすはなかった」


「え……」


「だから水中でも生きられるだろうな。だから今のは奴を殺す策じゃなくて時間を稼ぐ策だ」


「呼吸してないって……生き物なの?」


 呼吸というのは人間や動物だけではなく魔物も行う(いちおう植物も)。それだけあいつは特異な存在だ。リミスタの言葉通り、生命なのかどうかも疑わしくなる。


「生き物だろ。心当たりがある」


「心当たりが?」


「うん。でも今は言わない。こういう重要なこと言おうとするとタイミングよく邪魔が入るんだよ」


「えへへ。何それ」


「これガチだから。まあ、あいつが出てくるまで休もう」


「出てくる前に逃げた方がいいんじゃない?」


「いや、あいつを見失う方が厄介だ。敵がどこに潜んでるかわからない森を歩くとかどこのホラゲーだよ」


 虫の声も鳥の声もない慣れた森閑。秋だというのに葉の落ちない梢は、折り重なって大雑把に空を隠す。隙間から覗く白い月を黙って眺めた。


 俺の中ではすでに、点と点が線で結ばれてしまっている。だからといって俺のこれからの行動が変わるわけではない。

 真実を悟り、ただ自分の行動に確信が持てただけ。それだけでいい。気を抜くことはできないが自分の行動を信じてこの先も進める。


「リミスタ。そろそろ休憩は終わろう」


「そだね。体力も魔力もちょっとは回復できたみたいだし。……あれ」


「何?」


 リミスタが俺の体を凝視する。え……本当に何。危険な状況で何かが始まっちゃうの? 生命の危機に子孫を残そうと……。まあ男同士だしそれはないわ。いやアリなんだけど可能性としてはないみたいな。ね? いやいや待て俺はノーマルだぞ。いや……それとこれとは……。


「ラウス、傷……」


「?」


 傷がどうしたのかと思い半裸の体を見下ろす。


「はあ!? なんだよこれ」


 身体中にあった傷がふさがっていた。


「なんでだ……」


 事の原因がわからずに混乱する。俺は回復魔法を使えない。もちろんリミスタも使えない。それなのにどうして傷が癒えているんだ。まさかモノローグで「 リミスタの健気な笑顔は、ずっと痛んでいた体を心から癒した。」とかいった時に本当に癒えていたのか。


 そんなの聞いた事ないぞ。じゃあ原因はどこだ。

 あの猛獣自身の攻撃が特殊とか? それだと転がった時とかぶつかった時の傷がない事由がわからない。


 ヤバい。マジで何が起きてるのか理解できない。

 傷がなくなったことは好機とも取れるのだが、傷がなくなるまでのプロセスが明らかではなくて安心しきれない。


 あ、これ。このタイミングか。


「リミスタ。走る用意しろ」


「えっ。……わかった」


 高まる期待を感じながら俺はおもむろに口を開いた。


「……やったか?」


 俺の言葉を引き金したかのように、湖の水面に波紋が広がった。


「どうしたのいきなり……」


「湖見ろ」


 リミスタが振り向き、その瞳に湖を収める。リミスタの動揺が感じられた。


 混乱が巻き起こった時、謎を明かそうとした時、必ずと言っていいほど邪魔が入る。だからこそ今のタイミング。「やったか」と言って絶対にやられてないあの流れ!


 完全に体を現した猛獣がこちらを睨め、咆える。


「グルァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァ!!」


 葉が散る。木がたわむ。水しぶきが上がり波が起こる。


「走るぞ!」


「うん!」




 逃走劇の再演。開けば途中での退場は不可。

 おそらくどちらか、リミスタか奴の命尽きるまでこの鬼ごっこは終わらない。

 配役はすでに決まっている。

 きっと俺も奴もバイプレーヤー。

 そして主役は明らか。




 いつもの場所に接近している。あの場所へいつもとは反対から大きく回る。


「もふもふ疲れてるみたいだね」


「……。確かに少し走るの遅くなってるな」


 猛獣の足取りが重くなっているのは見て明らかだった。疲れている、と取れなくもない。けれど俺らよりも持久力が劣っているようには見えないぞ。俺の知ってるネコ科の動物で、短距離しか走れないフレンズいたからなあ。断言はしきれない。


「クソ!」


 それでも猛獣の攻めは終わることがなく、傷は増えるばかりだった。俺らがらあいつに与えた手傷は、あるのかないのかわからない。まったくないようにも思える。


「行くぞ!」


 走る。走る。そして、地面が途切れた。俺とリミスタは並んで飛び上がる。

 浮遊感と不安感が下方から吹き上げてくる。


「わあああああ!」


「……っ!」


 来る日も来る日も、俺が足しげく通ったあの場所の近く。十メートルを越える断層。そこから飛び降りる。

 うまく木々の隙間を飛んでギリギリで直撃は免れた。数秒の滑空後、お互い無事に着地。膝に痛みを抱えながら走り出す。


 ばきばきと落雷のような乾いた音が続く。俺らが余裕なく通れた間隙を、猛獣が易々と通過できるはずがない。


 そして、視界を激しく上下させる振動。爆発を思わせる轟音。俺もリミスタも構えてはいたものの、あまりに大きく揺れ動くので転んでしまう。

 一斉に青葉が落ちた。その音が豪雨が訪れたかと思わせた。落ち葉が体を小突いては次々と地面に積もる。


 猛獣に一瞥をくれる。

 大重量の落下物により、地面が一か所だけ大きく窪んでいた。窪みを隠すように、数本の木が倒れて折り重なる。


「落下ダメージはさすがにあるよな……」


 期待を込めた言葉を残し逃避を続ける。この森で青葉に埋もれた地面を走るのは初めてで違和感が拭えない。


 あと少し。もう数十秒で帰れる。

 森が開けて月の輝く夜空が広がった。白い光にさらされる小屋が寂寥をまとって佇む。ようやくたどり着いた。


 急かしした足で家に上り込む。リミスタは俺の後ろについている。俺が先頭でジジイの部屋に入る。

 数個の家具と大きめの寝具が置かれた簡素な部屋だ。窓からの斜光で視界は十分。


「見つけた……」


 さっきは気づかなかったそれは、部屋の奥にそっと立て掛けられていた。

 月明かりを遮りながら俺は静かに歩む。リミスタは追わずに立ち止まっていた。


 平たく言えば、剣の形をした灰茶の木。木剣だ。

 練習用のものとは違う。柄と同じ材質の鞘に収まっている。


 畏怖を覚える佇まいにためらいつつも、そっと鞘に触れる。清涼な風がそよぐ。涼風は部屋を駆け回って空気に溶けた。

 楚々として、重々しい鞘を右手で握る。右手の腕輪がじんと熱を持った気がした。


 持ち上げた木剣に金属を上回る重みを感じながら、静かに部屋の入り口に進む。


「リミスタ」


 慎重に手渡す。リミスタは木剣をまじまじと見ながら両手で受け取った。


「……僕が?」


 大きな瞳で見上げてくるリミスタ。俺は言葉を発せず頷いて示した。リミスタは口を引き結ぶと、木剣をぎゅっと強く握った。


「わかった」


 揺れが起きた。また、そしてまた揺れる。猛獣が近づいてきている。

 頷き合い外へ出た。火照った体が秋風に冷まされた。リミスタさ静かに剣を抜く。心地よい乾いた音を鳴らして両刃の刀身があらわになる。どうやら柄や刀身と同じ灰茶の木らしい

 これが剣として機能するのか一抹の不安は残る。けれど、鉄のような滑らかさで光を反射しているのを見ると存外軽々と斬り裂けるのではないかとも思う。


 木々の間を縫うように走る白い毛並みの猛獣が飛び出した。リミスタが鞘を地面に投げて剣を正眼に構える。すると、猛獣は地面をえぐりながら、重い体を急停止させた。


 猛獣はリミスタをグルルと唸りながら睨みつけた。

 リミスタの持つ剣を警戒しているのか。


「行くぞ!」


「うん!」


 地面を強く蹴る。あの爪や牙に裂かれるのではないかと思うと足がすくみそうになる。

 気合いで体を制し、夢中で走った。


「やあああああああああああ!」


 リミスタの先制。猛獣の左側になんなく接近する。斜め下に傾けた剣を力強く、そして見る間もなく斬り上げた。


「グルァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」


 絶叫が響き渡る。……攻撃が……通じた。剣が消えることはなく、リミスタの手の中の血に濡れた剣は健在だった。

 すかさず俺はリミスタの立っていた場所に移る。リミスタは場所を変えて次なる攻撃の準備に入った。


「おらぁああ!」


 剣で斬り裂かれ、毛並みが赤く染まった箇所に腕を突っ込む。内臓を直接破こうと思ったのだが肋骨に阻まれて腕がそれ以上入らない。真夏の陽に焼かれたアスファルトのように熱を持った血液が俺の手を焼く。

 熱さに耐えながら手に触れたそれを折ろうと思い、並んだ骨の一本を離さないように握り込む。


「ああああああ!」


 全身を使って骨を折ろうとするが、体内で〈噴放〉がうまく発動せずどうにも折れそうにない。魔力の剣を出そうとしたが、それも思ったようにいかなかった。そうこうしているうちにリミスタは追撃を加え、猛獣が暴れ出す。


「クソっ」


 猛獣がくるくると体を回す。遠心力により引き剥がされて木に背中を打ち付ける。落下して顔面を打つ。のんきに伸びてる時間はない。立て。


 立ち上がって前に駆け出す。ちょうどそのときリミスタが猛獣の爪にかけられて転倒してしまった。猛獣が大口を開き、並んだ牙がリミスタに迫った。


 数メートルの距離を足がちぎれんばかりの死ぬ気で走る。時間が引き伸びる感覚を味わいながら風を切る。猛獣を目前にして手を地面に着く。足を大きく回し、走った勢いを乗せた回し蹴りを放つ。

 猛獣の顔面を強烈に叩いた蹴り。俺は足の骨が砕けた激痛に耐えながら〈噴放〉の出力を上げてさらに足を押し込む。


「グラァアアアゥ!」


 妨害をうけた猛獣が標的を俺に移したのか、一度口を閉じると俺の足を食わんと再び口腔をさらして迫った。


 視界の下から灰茶の線が走る。

 俺よりも早く猛獣が反応し、その場から後ろへ跳び下がる。横を見ると剣を切り上げた姿勢のリミスタが、ほっとした表情を浮かべていた。

 ありがとう。口に出す暇がなかったので心の中でごちる。


 猛獣の元に急ぐ。こいつは俺のことをこれっぽっちも警戒していないので、ためらうことなく俺に飛びかかった。俺はその所作を見極めて前に飛び出し地面を転がる。魔術の剣で腹を斬り裂いた。リミスタの攻撃ほどの深さはないが出血に至る。


 俺の後ろで待機していたリミスタが俺に続いて攻め込む。猛獣が着地したそのわずかな隙を狙って足を斬る。鮮血が白い光に輝いて舞い散る。


「グルァアアアアアアアアアアアアアァァァァ!!」


 悲痛な叫びが終わるのを待たずに猛獣に接近。ゆらゆらと揺れる白地に黒の模様が走った尻尾の中間を右手で握る。そして先端付近を左手で掴んだ。左手を引き、右手を押す。引き絞られた弦のように尻尾が張る。


「ぁぁああああ!!」


 絶対に引きちぎってやる。痛みの治らない足で踏ん張り、尻尾を掴む腕に力を込めた。びちっびちっと皮が裂ける音がした。もう少し! と思ったがそんなのを待ってもらえるはずもなく回転され、俺の体も抵抗できず回される。木に横腹を叩かれた。

 呻き声が漏れた。体に力が入らなくなり、どさりと地面に落下。喉の奥からせりあがってくるものを感じ、ごぽっとそれを口から吐いた。どろりとした血液が口の中に鉄臭さを残して地面に溢れる。


「ラウス!」


 一歩でも違えば、一息でも違えば命を切り裂く攻撃をかいくぐりながら、リミスタは俺に気を使う。

 猛獣の重々しく激しい猛攻に対し、リミスタは軽やかで優雅な跳梁ですべてをいなしてかわす。俺のところにあいつが来ていないのはリミスタが気を引いてくれたからだろう。


「かま……うな……」


 やっとのことで言葉を絞り出した。リミスタに届いているのかはわからない。緩徐な動きで立ち上がり猛獣に向かう。

 俺が伏している間に猛獣の手傷は増えていた。白く美しい毛は、すでに三割近くが赤く染められている。リミスタは目立った傷こそないものの、疲労の色が濃く動作の精細さが欠け始めていた。


 猛獣の後ろ足にあった傷口に右手を突っ込み、高熱に指を焼かれながらも皮を剥ごうと引っ張る。左手の魔力の剣も使い傷をえぐる。

 少しばかり傷口は広げられた。しかし猛獣の抵抗によりそれ以上は行えず距離を取る羽目に。相手の反撃の流れが見えて来て、先ほどのように飛ばされることはない。


 リミスタが順当に斬り進める。

 俺は補助に徹した。リミスタの攻撃を代わりに受けて、リミスタの与えた斬り傷をちまちま拡張したり、浅い傷をつけたりした。

 俺って要らないんじゃないかと思われるかもしれない。俺も思う。まあ実際のところは、ふたりでどうにかこうにかヘイト管理して継続的にダメージを与えて、戦いを長引かせられている。俺ひとりじゃ到底勝てないだろうし、リミスタひとりでも無理だ。


 こいつは強い。俺やリミスタの修行の成果を余すことなくぶつけてやっとで、劣勢気味のつばぜり合いに持ち込めている状況。

 俺かリミスタ、もしくはリミスタの振るう木剣のどれかが欠ければそこから劣勢の立場は強まりあっという間に押し負ける。


「はあ……はあ……」


 体力と気力と魔力がそろそろ危うい。それは俺だけではなくリミスタもだ。最悪なことに俺は傷がひどく、そろそろ体を自分の意思で動かすことすらままならなくなる。それまでにこの状況を打開しなくてはならない。

 自分のHP全損で大ダメージを与えられたら楽なんだけど、俺は◯ケモンじゃない。


 戦いは終わらない。丸一日やりあっている気分になる。月もまだ煌々と輝いているので夜すら越えていないみたいだ。

 俺もリミスタも限界だ。俺たちの寝床である小屋はすでに半壊。地面も数えきれないくらいの場所が割れている。周りの木も無残に折られていた。この光景は、俺たちにとって精神的なダメージになる。


 思い出が目の前で次々と壊されていく。団欒も苦悩も喧嘩も、どれも過去のものになっていく。もう限界が近い。

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