病み期
宙を舞う俺は考える。
ロッサは次にどう動くのか。
彼の移動速度と攻撃速度を考えると、全方向を警戒しなくてはいけない。
そうなると先読みは不可。後出ししか手はないか。
俺は目を閉じた。
重力を感じる。風力を感じる。魔力を感じる。遠心力を感じる。あらゆるものの流動を感じる。時間が、停滞に近づいていくのを感じる。
ゆっくりと、ゆっくりと、時間が減速する。
背後から接近するものを察知。
〈噴放〉で加速した俺の剣がロッサの刻む軌跡を阻む。軌道上にどうにか入り込んだので直撃はまぬがれた。
「クソ……!」
防げはしたものの、衝撃までは殺せず吹き飛ばされる。捻転し、迫った壁に両足と片手を着く。視界いっぱいに床が広がっていて、前方が見えない。
頭を振り上げるとそこには、刺突を繰り出そうと襲い来るロッサの姿があった。
「──ッ!」
ロッサの構えから次の動作を見切る。壁をひと思いに蹴りつけ飛び出す。空中でロッサの剣の動きを読み、自らの剣を合わせてそらす。
着地。呼吸をする暇なく剣を振り上げて、振り下ろされた剣を弾く。
攻撃は止まらない。
俺が攻撃をしのぐと次の刹那には別の角度から剣が襲う。防御に徹し数度の反撃を行うも、徐々に押され後退させられる。
ついと、ひと方ならぬ殺気が放たれる。
これまでとは明らかに異なる速度の剣が横薙ぎに振られた。
すんでのところで防ぐと、反対の壁まで軽々と飛ばされた。あまりの早さに受け身も取れなかった。
「かはっ!」
壁に背中が直撃し、肺から空気が抜ける。
ロッサが右手に剣を持ち、剣の先端を俺に向けて突進して来た。数瞬のうちに間合いに入る。目と鼻の先に立ったロッサが強く踏み込むと、きぎいと床が鳴いてたわんだ。
木の剣の柄と刃を持って、攻撃が放たれる直前に顔を剣の腹で隠した。
盾となった剣は中心から砕けて折れて欠損部からロッサの剣が滑り出てくる。
制止させるもののない剣は、まっすぐ俺の眉間に刺さる寸前で減速。切っ先が両眉の間の肌にちょんと触れた。背中に悪寒が走る。
「まず一本」
誇るでも蔑むでもなく、事務的な声でロッサは言った。なぜかロッサは言い終われども体勢を変えなかった。恐怖のあまり指先が冷たくなる。早く剣どけてくれ。
俺の思いをしってか知らずか、すぐにロッサがもう一度開口した。
「クラトロス・フォンロッサ。……おれの名だ」
「……え、は? じゃあ、あなたは……」
世界中どこを探してもクラトロス知らない人間はいない。当たり前だ。そんなバカな。本当に目の前にいるこの男はクラトロスなのか。たしかに、言われてみれば面影はある。
クラトロスは剣を下ろした。俺も顔の前に掲げていた折れた剣を下ろす。
「おれが先々代の赤だ」
◇
すべての色を混ぜると灰色になる。黒だと思われがちだが、実際は灰色だ。その灰色は、髪、瞳、肌、人種のどれも優劣がなく等しいことを意味する。
ゆえに、灰色は平等の象徴とされ、連盟は灰色を象徴としている。
連盟騎士で最も優れたものには、その灰色が灰の称号として授けられる。
次に黒と白。
どの色をもってしても染められない黒は、公正の象徴とされる。
どの色にも染まってしまう汚れなき白は、純粋の象徴とされる。
黒と白は同格で、それぞれが灰に次ぐ称号として灰の次に優れた騎士ふたりに授けられる。
灰、そして黒と白の下に位置するのが、赤、橙、黄、緑、青、紫の六色。それぞれ六つの、象徴とされる意味があったが今はいい。
とりあえずロッサと名乗った男は、灰白黒と六色を合わせ、冒険者のトップ九人に属する人間だったということだ。
彼の「お前じゃおれらのところまでは上れねえ(意味深)」という言葉は、俺に上位九人に入れるだけの素質がないということ。
自分が誰よりも強い天才だと思い上がっていたわけではない。けれども真の天才にこうも真正面から言われたのだと考えると気が重い。
俺の頑張りに意味はあったのかとか、俺がやるべきことなのかとかどうでもいいことを考えてしまう。考える必要のない雑念でしかないのはわかっている。それなのに次々と自分の努力をけなす言葉や、自分の存在意義を否定するような思考がまとわりついてくる。
両隣から聞こえる幼い寝息と老いた寝息を聞いていると、飛行機はヘルブトムヌに降り立った。
◇
帰国後、いくらか日が過ぎた。そんな俺はある問題を抱えていた。
修行に精が出ないのだ。
原因はロッサの言葉が頭にこびりついて離れないこと。起きてから寝るまで、半分以上の時間はロッサの言葉に影響された思考をしている。なんたる体たらくだろうか。
俺は日に日に弱くなっていた。
リレエンクエンに向かう前に感じていた、技術の停滞と後退。それが進んでしまっている。
シーンのところへ向かわなければならないという使命感も、空虚な存在へ形を変えている気がした。
俺のせいで死んでしまったシーンに、俺は謝罪のひとつもせずにのうのうと生きている。こんなこと許されるのだろうか。俺はシーンが力尽きたその瞬間に、自分の命でもって償うべきでだったのではないか。
魔物は強い。俺が戦った魔物の集団だって、数多く存在する魔物の氷山の一角以下だ。数も強さも、彼らの領域に入った途端跳ね上がる。もしも人の領域から離れた先で巣食う奴らと対峙することがあっても、俺では到底敵わない。
仮に魔物共の猛攻をかいくぐり西の果てへたどり着けたとしよう。そこに、シーンがいる保証はない。
命をかけてたどり着いた場所に何もなかった時、俺の心は果たして耐えられるのだろうか。
何もない場所を目指して走り、手に入れたものが無であったら、俺が生きたことに意味はあるのだろうか。
もう何もかもわからないんだ。未明の暗い部屋で目覚めるたびに、また目覚めてしまった自分を責める。剣を取りいつもの場所に赴く。こうしてシーンに訪れなかった明日を無意味に消費していく。
思春期じゃあるまいしと自分に言い聞かせる。だが俺は、活力が湧いてくるでもないし、煙る思考が晴れるわけでもなかった。自分の言葉に何も感じなかった。
この日々はいつまで続くのだろう。
◇
午前の修行を終え、昼食を済ませた時だった。
「連盟に呼び出しを受けた。内容は言えぬ。行き先も同じく」
居間でいつか見たような光景が流れていた。いきなりの言葉だが初めてのことではなかったし、俺もリミスタもそれほど驚くことはなかった。
ただし、俺は少しだけ苛立った。前もって言ってくれてもいいだろうに。その感情の矛先はもちろん連盟の方だ。
ジジイは俺が来る前から何度も呼ばれることがあったらしい。別になんとでもないというように平然としている。
「着いてっちゃダメ?」
「今回はダメじゃ」
「そっかー。じゃあラウスとふたりでお留守番?」
「そうじゃの……」
話が途切れ二人の視線が俺の方へ集まる。沈黙していた俺は口を開いた。
「……了解」
ただひと言、理解と承諾の意を伝える。
ジジイとリミスタは目を合わせるとため息をついた。その反応の意味がわからず、口元が歪んでわずかに歯をさらす。
「ね、何日くらいで帰るの?」
「わからぬ。じゃがそう長く開けるつもりはないから安心せい」
「そっか。いつ出るの?」
「今じゃ。すぐに出る」
「えっ、今?」
「うむ」
俺も口には出さずともリミスタと同じように思った。今回はちょっとばかし不審だ。内容は極秘っぽいし、世界的な事件事故が起こるかもしれない。まあ問い詰めたところで前のように吐くとは思えなかった。
ジジイは自室に入るとすぐに、鞘に収まった剣を背中に帯びて出てきた。その剣は鞘も柄も真っ黒だった。端々に金の装飾が施されている。かなり高価そうだ。
ジジイの背中の剣から負の何かが流れ出ているのがわかった。極めて微妙なもので、長い間ジジイの魔力を感じていたものではないとその機微は察せられないだろう。
剣から流れ出る何かが魔力であると断言したいのだが、はっきりこれは魔力だと言い切れない。ジジイの魔力に紛れた得体の知れない何かでしかなかった。
「金は置いておく。必要なものだけ買うんじゃぞ」
ジジイが右肩から覗く柄をぎゅっと握るとそれは消えた。
「おい、それ……なんなんだ」
出入り口の戸に手をかけたジジイが振り返る。白い毛で覆われた顔は、やっぱり表情がわからない。
「ワシの愛剣じゃよ。かっこいいじゃろ?」
「……」
誤魔化すような態度に俺もリミスタも眉をひそめた。
午後は、俺とリミスタだけで差しで斬り合った。ジジイのいない場でお互い真剣を使うと危険だと考え、剣は用いず鞘でやっている。重さも間合いも異なるが安全面を優先した結果だ。
リミスタと手合わせして気づいたことがある。
リミスタは超強い。
間合いの取り方だとか、剣の振り方だとか、回避のパターンだとか、問題はまだまだある。しかしリミスタには、それらの発展途上の技術をすべて補えるほどの速さがあった。
成長期というのもあるが、リミスタには元から素質があったんだろう。リレエンクエンに行く前から眼を見張る成長速度に驚いていた。そして正面から長い時間ぶつかり合うとさらに驚かされる。
心の底から、リミスタに負けたくないという思いがあった。
もし俺がリミスタに劣るようなことになれば、俺が感じた楽しさ愛しさ辛さ悔しさの思いが、偽りであったようではないか。
実際にはそうでなくとも、俺はそう考えてしまうだろう。
「ままならないなあ……」
濃紺の空に凛と輝く星々を眺めて呟いた。
背中を小屋に預けて、冷たい地面の感触を味わいながら夜風に吹かれる。薄氷が張ったような月が煌々と照って、あたりは非常に明るい。
頭を振っていらぬ思考を払い、後頭部を小屋の壁に付けた。
いつまで俺はこのガラジオスの森に宿るのだろうか。そして、あとどれくらいジジイとリミスタと一緒に居られるのか。
星空は何も答えない。ただ、月と星が時間の経過を知らせるだけだった。
◇
ジジイがどこぞに行ってから、一週間が経つ。ジジイはいまだ帰らない。「そう長く開けるつもりはない」と言ってはいたものの、目的を遂行するまでは帰らないよな。
そして俺たちは現在、午前の修行を終えて昼食をとっている。リミスタはジジイから料理を教わっていたらしい。つたないながらも美味しいご馳走をふるまってくれる。
「おじいちゃんまだ帰らないのかな……」
「連絡がないからな。なんとも言えねえ」
「はあ……連絡くらいはしてほしいよね」
「そのくらい忙しいってことなんじゃないのか。……どうせ野垂死にするような老人じゃないから絶対そのうち帰るよ」
「へへ。だね」
今どこで何やってんだろ。今回はけっこう大ごとな件みたいだし新聞に載るかな。そういや最近新聞読んでねえな。
……ああそうか。街に買い出しに行ってないんだ。ジジイが定期的に街に行き、その都度新聞も買っていた。この家はテレビとかがないから新聞がないと情勢がわかんないんだよな……。肉とか調味料とかそろそろ切れそうだし買いに行くかな。
思い立ち、テーブルにだらんと状態を乗せてくつろいでいるリミスタに声をかけた。
「リミスタ。俺ちょっと買い出し行ってくる」
「あー。そういえばお肉とか買わなきゃだね。あとは……パンはある。野菜は畑で……」
なんかブツブツ言い始めた。ジジイから畑仕事以外にも大体のことは教わっているそうなので、俺よりもうちょっと色々考えることがあるんだろう。
リミスタは小屋にある食料とか日用品をぱたぱた小走りで見て回る。その様子を眺める。買うものが決まったリミスタは買い物袋と、自分と俺の分の着替え持ちだした。
「パパッと着替えて行こ!」
「ああ」
飾り気のない服から外出用の服へ手早く着替え家を出る。鍵など設けられていないので戸を閉めただけ。空き巣もわざわざ立ち入り禁止の森に奥深くまで入って、ホームレスの家を荒らしたりしないだろうし施錠はいらない。ってジジイが言ってた。
森の中は幹が折り重なるように張り巡らせれて、地面も凹凸が多い。俺もリミスタもこの土地は歩き慣れているので足を取られることなく進む。
代わり映えしない景色が過ぎ去る。ここに長い間住んでいたので迷うことはない。ほとんど足を踏み入れない場所もあるから一概には言えないが。
「はあ……ここしばらく気分悪いんだー。風邪かな」
道すがらリミスタが呟いた。
「俺もなんか怠いわ。風邪かもな」
「街でマスクとか買う?」
「うーん……もうふたりとも風邪にかかってるなら今更マスクつけても意味なくない?」
「え? あ、そっか。あはは。そうだねー」
マスクは感染予防のためにつけるものだからなあ。それより無邪気に笑うリミスタ可愛い……。
「そもそも咳も発熱もないからそこまでしなくてもいいのかな。ラウスも咳とかないよね?」
「そうだな。熱もたぶんない。ただ怠いだけだ」
「風邪薬とか買っておこっか?」
「大丈夫じゃね。生活に支障が出るほどでもないし」
「わかった。他に何か買う?」
「新聞とか」
「新聞かあ。ラウス最近読んでなかったね」
「買ってな買ったからな」
たわいない話をしているといつの間にか森を抜けていた。そばに迫った腰のあたりまである柵を越えて、立ち入り禁止の看板を避けて歩く。
起伏の大きな草原を少し進むと踏みならされた道に出る。その道を行くとひときわ盛り上がった丘がある。登ると街が見えた。街には周りを囲う柵などはない。街の外縁は家が点在しており、中心部に向かうにつれて散布が徐々に密になっている。並んだ屋根はずっと遠くの地平にまで続いていて、隣接する他の街もうっすらだが確認できる。
そこからまた歩く。昼飯のいい匂いが漂うのどかな街並みを通り過ぎると商店の立ち並ぶ区域にきた。お昼時というのもあり人が多いのだが賑やかさはない。リミスタはその様子に首を傾げていた。
リミスタと一緒に店を周り、買いたいものは買い揃えた。帰路についた俺は紙もの袋を肘に下げながら新聞を開いていた。
一通りの記事に目を通した。知らないハゲたおっさんのインタビューとか、スポーツ大会の結果とか、協会の広告とか、公害被害か!? みたいなのとか、四コマ漫画とか。ジジイの召集に関係していそうな事件や災害は見当たらなかった。
新聞を閉じて畳み、買い物袋に突っ込む。
「はあ……」
なぜかとても気分が悪い。はやく帰ってリミスタと一騎打ちして眠りたい。
街の中心部から離れるように歩いていると、リミスタが唐突に立ち止まった。視線の先あったのは、並立した集合住宅の隙間。小汚い路地裏だ。
「どうした」
「ん……」
路地の奥、暗く湿った場所にふたりの人影があった。髪の長い女の子と、ひと回り小さい男の子。どちらも身体中が汚れている。髪はぼさぼさだし、肌の汚れも長期にわたって洗われていないようだ。ふたりはいわゆるストリートチルドレンというやつだろう。
「ね、ラウス……」




