老人の終わりなき会話が終わる時
「疲れた……」
寝具に倒れこむ。三日目の夜。今日は朝から近場の観光地や店を周り、続いて大型遊園地で遊んだ。体力的な疲れよりも気疲れがひどかった。
リミスタはというと、隣の寝具で昨日今日で撮った写真を眺めにこにこしていた。幽霊屋敷で俺がセクハラしている写真はすでに回収済みだ。リミスタとジジイのどちらに写真を見られても問題はない。
「もう寝る。灯り消していいか」
「えー。一緒に灰色の剣士やろうよー」
一緒に……。俺ただアドバイスするだけで喋る攻略本みたいなことしかしてないんだが。まあいいか。
「いいよ……」
「やったー!」
◇
ひたすらだるい瞼を持ち上げる。目の前にリミスタの寝顔があった。
「わっ」
寝具の上で軽く仰け反り距離を離す。……何で同じく布団にいんの。昨日は……リミスタの隣でゲームを眺めてたな。……その後の記憶がない。ならば疲れのせいでそのまま眠ってしまったのか。それにしてもなぜ同じ布団に入ってるんだ。サディショックか……? しかしサディは、メイユのイベント以降すぐには出てこないはずだが。
わかんねえ……けどとりあえずほっぺたをなでる。美容液とかで手入れしてるわけでもないのに、リミスタの頬はすべすべだった。おまけにもちもち。これが若さか……。
「ずいぶんと仲良くなったようじゃの」
「おかげさまでな」
言いながら体を起こし両腕を上げて上体を伸ばす。リミスタが使っていた隣の寝具にジジイが座っていた。起きた時点で居るのはわかっていたので特にリアクションを取ることもない。リミスタなら驚きそうだ。
「どうした?」
「お前に会わせたい奴がおるんじゃ」
「……わかった。リミスタも連れてくよな」
「うむ。……ラウスよ提案なんじゃが、朝食とチェックアウトを済ませて少しのんびり観光しないかの」
「のんびり観光か。いいんじゃないか。荷物とかどうしようか」
「空港まで運んでもらえるサービスがあるようじゃからそれを使う」
「じゃあリミスタが起きたら朝飯食いに行こう」
旅番組かっていうほどゆったりと食べ歩きながら、電車などを乗り継いでここまで来た。俺たちがやって来たのはエルセンツァ宮殿という建造物だ。城の尖塔の最上階を目指す。
石造りの広くない螺旋階段を上がっていた。三人の足音と声が重なり反響してなかなか賑やかだった。等間隔で並ぶのは、窓の役目を持つ四角い穴。そこからは赤く染まった斜光が差す。赤い光を覗くと夕日に目が焼かれ、痛みに顔をしかめた。
いつものように他愛もない話を繰り広げていると、いよいよ階段が途切れた。これまで並んでいた窓と同じように、壁に人が通れるだけの四角い穴が開けられているだけだ。ジジイ、リミスタ、俺の順で外へ出た。
尖塔の最上部は、円形に胸壁と足場が作られている。出口は陽とは真反対で翳っている。三人で裏手に回った。
「……綺麗だね」
「……そうだな。ゲームみたいだ」
エルセンツァ宮殿からこの国最大の湖が見える。街も湖も、まんべんなく夕焼けに染め上げられていた。陽か沈もうとする湖は今の高さからでも対岸が見えない。
俺とリミスタがのほほんと景色を眺めている隣で、ジジイは感慨深そうに閉口していた。
エルセンツァ宮殿の西尖塔は、英雄カロンが妻にプロポーズをした場所として知られている。あまり人気はない。なぜかというと、カロンと妻はけっこうアレな死別の仕方をしているからだ。それもあって景色は良いが観光名所にはなり得なかった。ここと変わって人気な場所は宮殿の裏手だ。夕日と宮殿をバックに撮ると良いらしい。
ジジイの家は先祖であろうカロンのことについて、代々語り継いできただろう。子孫の彼しか知らないことは多くあるはずだ。偉大な祖先の思い出の場所に訪れ、一体どのような心境なのだろうか。物言わぬ横顔を思うと、問いかけることははばかられた。
「行くかの」
ジジイと俺がしんみりとした空気をただよわせていると、リミスタもつられてか哀愁ある表情を浮かべていた。
心なしか重い足で宮殿を出て、タクシーを拾った。ジジイの言う合わせたい奴の元へ向かうのだ。
空に星が見え始める時間帯。町の一角でタクシーが停車する。止まったのは、暗い色の木で造られた門の前だった。見慣れない様式のつくりだ。敷地を囲うのは俺の背を軽く超える石の塀。上部だけのぞめるその建造物は、門と同じく暗色の木でできている。
「俺に合わせたい人の自宅?」
「そうじゃ」
「お金持ちそうなお家だね……」
平屋だから高さはないが、敷地はずいぶんと広いようだ。かなり歴史ある建造物に見える。この地方の貴族とかだろうか。ジジイがタクシーの運転手に代金を支払うと車は去る。あたりが静かになった。
何もせず門の前に立っていると門が開いた。門を押し開けたのは体格のいい中年の男。ゆったりとした長着を身にまとっているが、ガタイの良さは隠せていない。
「お待ちしておりました。どうぞ……」
このおっさん敬語使わない系の見た目なのに敬語使うんだね……。というか冒険者ってネット小説のせいでイメージが偏ってるが、リアルの冒険者はいちおう騎士だしな。
俺たちは強そうなおっさんの背中についていき、敷地の中へと踏み入った。門をくぐるとすぐに丸い小石の敷き詰められた庭が出迎える。歩く場所として設置されたらしい大きく平たい石。その上を、前方を行くおっさんに倣って歩く。
「これから道場に案内します」
おっさんがガラスから明かりの漏れる引き戸を開く。家の中から独特の木の香りが漂って来た。玄関から見える突き当たりの壁には花の絵が掛けられている。あまり上手くない。これ俺でも描けるレベルの絵だわ。
「昔と同じものか?」
「もちろんです。今も変わらず使っております。それではこちらに」
室内では裸足になる文化らしく、俺たちは靴を脱ぎ靴下も脱いで家へ上がった。
ジジイは昔もここに来たことあるみたいだな。ジジイはこれといった反応をせずに進む。対してリミスタはずっとリスのようにきょろきょろしている。落ち着け……。
庭に造られた廊下へ出る。趣のある行灯が闇を退ける庭に、手入れのされた木々や岩が並んでいた。小鳥が二羽飛んで来て木に止まると戯れ始めた。ラウスのおやつにしちゃうぞー!
ぼーっと小鳥を見ていると渡り廊下は終わる。次なる建物へ俺たちは飲み込まれた。
「こちらです」
数段の階段の先に、ほんのり明るい両開きの襖が待ち構えている。おっさんは黙って頭を下げると元来た廊下を戻っていく。ジジイを先頭に階段を登り、ジジイの手が襖を広げた。
数十人を同時に稽古できるだけの広さの部屋。これが道場か。床も壁も黒く艶やかだ。非常に古い木が使われているようだ。数個の行灯が天井の梁から吊るされ淡く照っている。
「お久しぶりです」
奥で正座をしていた男がジジイを見据えて開口する。深く刻まれたシワに、整えられた長く白い髪と髭。猛禽を思わせる鋭い眼光。ひと言で表すならジジイを綺麗にした感じのジジイだ。まったく心がぴょんぴょんしない風貌だな。ジジイよりもこいつの方が体格が良い。合わせたい奴って、この明らかに強者のジジイかよ……。なんか見覚えのある顔だ。誰かに似てる?
「老いたの」
俺らの前に立つジジイが、寂しげに呟いた。老人ジョークが炸裂してるけど笑える要素がひとつもねえ。
「それが我ら凡庸な人の理りでございます」
「お主のどこが凡庸じゃ」
ふたりのジジイは揃ってあぐらをかき、世間話を始めた。俺とリミスタは蚊帳の外。壁際に立って会話を聞いていた。どうやら古くからの知り合いであるらしく、話題が尽きない。
老人の昔話はクソ長い。しかも話してる内容が五、六回ループするから、こっちとしてはループ系主人公の気分にさせられる。対処法としては、「あれ……この話、どっかで……。まさか……うっ!」って脳内でループ系主人公ごっこして遊ぶと案外楽。
「あの瞬間、すこしでもあなたが駆けつけるのが遅かったなら私の命はなかったでしょうね。……あなたへの恩は一生をかけても返しきれない」
「どれもお主ならなんやかんやで切り抜けておったじゃろ」
「いえいえ、私が……」
不幸中の幸いだろうか。こっちのジジイたちの会話でループが起こることはなかった。でもすでに二時間くらい経過している。長すぎだろ。
話を適当に聞いてみると、長髪のジジイはやたらジジイを褒めているのがわかる。ふたりの歳はさほど離れているように見えないのに、長髪ジジイの腰がめちゃくちゃ低い。どういう関係なのだろうか。
何気なく隣に立つリミスタに視線を向けた。ぐらぐらしながら、頻繁に落ちてくる瞼を開いて眠気と格闘している。もうこの子を寝かせてあげて! 俺も寝かせて!
眠気らしきわずかな意識の空白を感じた。大口を開けてあくびをする。横から「はぅ」という小さなあくびが聞こえた。あくびがうつるとなんか嬉しい。幼い男の子にあくびが伝染したことを喜ぶ成人男性ってヤバいな。ヤバいな……。
「すこしばかり長話が過ぎましたかね」
「そうじゃの」
「全然すこしばかりじゃねえよ。それで、その人が俺に合わせたかった人なんだよな」
「うむ。まあとりあえず、お主にはこやつと戦ってもらう」
そんな流れになるのではないかとひしひしと感じ取っていた。だから、ただぼけっと立っていたわけではない。一時間ぐらいは噤み、思考を払い、傾注した。最後の方は集中が切れて眠気に襲われてしまったが、質の高い瞑想ができた。これで一方的な敗北なんかはないだろう。
木で作られた練習用の剣を持たされた。長髪ジジイも同じものを持ち、間合いの三倍ほどの空間を置いて向かい合う。
「ラウス・ティリッカです。よろしくお願いします」
「ロッサだ」
応えたのは野太い声。ロッサか。超聞き覚えがある名前だ。この長髪ジジイはもしかしなくとも名の知れた冒険者だったのだろう。誰だったかな。……クソ。思い出せない。
「そうだな、五十本勝負と行くか。おれから一本でも取れたら、欲しいもの物をひとつくれてやる」
練習用の剣を片手でもてあそぶロッサが提案した。どんだけ腕に自信あるんだ。俺は英雄の子孫の剣を毎日受け続けてるんだぞ。三割くらいは勝てるって。
一本は確実に取れるとして……欲しい物。そうだな……。も◯もボックスかな!
「……わかりました。じゃあ始めましょう」
両手で練習用の剣を握り、戦闘態勢に入った。上辺に浮かべた雑念を流し出す。呼吸も整えて前をねめる。
「ふん。なかなか様になってるな。……ま、そりゃそうか」
「ワシの始めという声が合図じゃ。間違っても相手の命に関わる攻撃はせんことじゃ。ロッサ、構えろ」
ロッサが剣を構えた。一連の動作をはずみにして、道場の空気が沼の底に突き落とされたかのように鈍く重くなる。すさまじい重圧だ。剣を合わせてすらないのに、つばぜり合いをしている最中のような緊張感に襲われる。力を抜けば押されて体勢を崩され、力を入れ過ぎれば受け流され、斬られる。
下手に身動きが取れない。間合いではないはずなのに、瞬きをする間に腕を切り落とされてしまうと直感する。
怖気付くな。ジジイと毎日斬り合ってんだ。気を抜かなければ無様な一手を取られたりしない。冷静に、いつも通りやるだけだ。
小さく開けた唇で重たい空気を吸い込む。口を一文字に結び、声を待った。
誰もが呼吸を止めて、無音が耳に痛い。
風の音もきぬ擦れもない空間を、ジジイの声が割いた。
「始め」
ロッサの姿が搔き消える。
俺の体は左にひねられていた。
白く流れる長髪がロッサの居場所を辿らせる。間合いの外にいたはずの彼は、俺の背後へと回っていた。
そして俺の体は無意識のうちにその影を追っていたようだ。気がつくと体は左にひねられて、不安定ながらも迎え撃つ構えをとっていた。
だが、視界には白い髪と、彼の身につけていた服の裾が見えるのみ。
殺気らしき念が感じられないので単なる勘でしかないが、すでに死角から第一撃が放たれている。対応のしようはない。それでも……食い付かなきゃな。
これまで積み重ねてきた様々なものが俺の体を突き動かした。
どうにかその端だけをとらえた敵の、見えない斬撃。左手で握った練習用の木の剣を〈噴放〉で補助し、鋭く薙ぐ。
カァン! と乾いた音が剣を握る左手に衝撃。攻撃を防げて幸いだが、反動が広がり左腕の感覚が遠くなる。これ狙ってやってんな。相手の武器をわざと振動させて痺れさせる技があったりする。ジジイにこの技術を習い、すでに会得している。
それより、追撃に襲われる前に立て直さなくては。
剣を握っていた左手を開いて即座に左へ転ぶ。ほんのわずか後に風を斬り裂く音がした。
一回転し、足が地面をとらえた瞬間に敵の元へ飛び出す。ロッサはすでに剣を切り返していた。俺の落とした練習用の木の剣はまだ地面に届いておらず、落下途中だ。その剣の柄を右手で掴んで、迫り来る刃を受け止めた。
木材同士がぶつかる音は、強く握るそれぞれの手に吸収されて間も無く消えた。
つばぜり合いに持ち込まれる。俺はいまだ感覚の薄い左手をだらりと下げ、右手だけで剣を支えていた。舐めているのか平等主義なのか、ロッサは俺と同じく右手だけで剣を握っている。
ロッサはふんと鼻を鳴らして口の端を吊り上げた。なにわろてんねん。
「まあ悪くはない。だが、まだまだ鈍いな。お前じゃおれらのところまでは上れねえ」
「おれらのところ……っていうのは?」
こいつ……こんなに強くなかったらただの痛々しい発言だぞわかってんのか。そういうのいらないから集中させてくれ。
ロッサが剣を強く押す。対応すべく、感覚が回復し始めた左手も使い両手で剣を握った。
「……ぅ……クソ…………マジか……」
どれだけ力を込めても押し返せない。腰を落として両足で支えるけれど、ずるずると後退してしまう。
このままでは押し切られる。そう判断し後ろに跳び退こうとしたその瞬間、足にいやな感触があった。視界が揺れ、左に回転し始める。足払いを受けたようだ。
〈噴放〉で体の回転を早める。必死にバランスを崩さないようにしながら、剣を離した右手を床に伸ばす。床に手を着こうとすると視界の外から木の剣が迫った。剣は容赦なく俺の前腕を払い、体は空中に取り残される。
「くっ……」
ヤバいヤバいヤバい。
ロッサの姿が視野の外だ。それに迎撃できるような体勢じゃない。一撃貰って着地すべきだろうか。しかし、ロッサは次の手で決めてくるかもしれない。そのことを考えると「肉を切らせたつもりが、すでに骨を断たれていた」なんてことになりかねない。容易に攻撃を受けてはいけない。




