第九話 呪いの旋律
少女は歌い続けていた。
その声は耳で聞こえるというより、胸の奥へ直接流れ込んでくるようだった。
悠真は立ち尽くしたまま、目を離せない。
逃げろ。
頭ではそう叫んでいる。
だが体は一歩も動かなかった。
コメント欄だけが激しく流れていく。
> 「悠真さん?」
> 「何見てるの?」
> 「誰もいないよ?」
> 「顔色やばい!」
視聴者には、暗いトンネルしか映っていない。
少女は映っていなかった。
歌も聞こえていない。
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少女はゆっくりと首を傾けた。
長い黒髪が左右へ流れる。
その瞬間。
歌が止んだ。
山全体が静寂に包まれる。
耳鳴りさえ聞こえない。
そして少女が、小さく口を開いた。
「……来て。」
歌ではない。
はっきりとした言葉だった。
悠真の右足が勝手に前へ出る。
「……っ!」
止めようとしても止まらない。
まるで体を誰かに操られているようだった。
一歩。
また一歩。
フェンスをくぐり、トンネルの中へ入っていく。
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その時だった。
スマートフォンが激しく震えた。
着信。
画面には
榊 真琴
の名前。
その振動で我に返った悠真は、慌てて電話へ出る。
「相沢さん!」
真琴の声は悲鳴のようだった。
「歌を最後まで聞かないでください!」
その瞬間。
少女の姿が揺らいだ。
霧が風で崩れるように、輪郭がぼやける。
悠真は後ろへ飛び退いた。
「車へ戻ってください!」
真琴の叫びで、ようやく足が動いた。
悠真は夢中で走る。
背後から再び歌声が響く。
さっきよりも近い。
振り返りそうになる。
だが真琴の言葉を思い出す。
「振り向いたら終わる。」
悠真は振り返らなかった。
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車へ飛び乗る。
エンジンキーを回す。
一回目。
かからない。
二回目。
沈黙。
三回目。
エンジンが唸りを上げる。
悠真はアクセルを踏み込んだ。
バックミラーを見る。
見てはいけない。
そう思った。
それでも見てしまった。
トンネルの入口。
少女が立っている。
しかし、一人ではなかった。
少女の後ろに、ぼんやりと無数の人影が並んでいる。
老人。
子ども。
作業着姿の男。
着物姿の女。
全員が俯き、同じ歌を口ずさんでいた。
ライトが揺れた一瞬で、その姿は闇へ溶けた。
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午前零時。
山道を抜け、市街地へ戻る。
コンビニの駐車場でようやく車を止めた。
全身が汗で濡れている。
配信画面を見る。
視聴者は騒然としていた。
> 「急に逃げた!」
> 「何が見えた?」
> 「演出?」
> 「歌なんて聞こえなかった!」
悠真は配信を終了した。
スマートフォンには着信履歴が残っている。
真琴からの電話は、22時57分。
歌が聞こえたのは23時ちょうど。
三分も前だった。
「……間に合うはずがない。」
なぜ、真琴は歌が始まる瞬間を知っていたのか。
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帰宅したのは午前一時過ぎだった。
玄関のドアを閉めた瞬間。
部屋の奥から、
コチ、コチ、コチ……
時計の秒針の音が聞こえる。
壁掛け時計は電池が切れ、何日も止まったままのはずだった。
それでも秒針の音だけが響く。
一秒。
また一秒。
やけに大きく聞こえる。
悠真はゆっくりと時計を見る。
止まった針は、午前零時を指したまま動いていない。
それなのに、
コチ、コチ、コチ……
音だけが鳴り続けていた。
悠真は青ざめる。
真琴の日記に書かれていた最初の異変。
「時計の音が大きい。」
その言葉が脳裏によみがえる。
歌は、確かに最後まで聞いてしまった。
呪いは、もう始まっていた。
――第一章 最終話「三日後」へ続く。




