第十話 三日後
午前一時三十七分。
静まり返った部屋に、時計の音だけが響いていた。
コチ……。
コチ……。
壁掛け時計の針は止まったまま。
それでも秒針の音だけが鳴り続けている。
悠真は時計から電池を抜いた。
音は止まらない。
時計を壁から外し、引き出しへしまう。
それでも。
コチ……。
コチ……。
音は部屋中を漂っていた。
まるで時計ではなく、自分の頭の中で鳴っているようだった。
---
朝。
眠れないままテレビをつける。
ニュース番組では天気予報が流れている。
女性アナウンサーが話している。
しかし悠真の耳には、言葉ではなく歌に聞こえた。
「……え?」
瞬きをすると元に戻る。
普通の天気予報。
疲れているだけ。
そう思いたかった。
---
昼。
動画を確認する。
昨夜のライブ配信は過去最高の同時接続を記録していた。
コメントは数万件。
だが内容は同じだった。
> 「歌なんて聞こえなかった。」
> 「何に怯えてたの?」
> 「演技?」
誰一人として少女を見ていない。
歌も聞いていない。
悠真だけが体験していた。
---
午後。
真琴から電話が入る。
「始まりましたね。」
悠真は答えられなかった。
「時計の音が聞こえるんですね。」
「……どうして分かった。」
「兄も同じでした。」
真琴は静かに続ける。
「今日が一日目です。」
「明日は存在しない音が聞こえます。」
「そして三日目。」
電話の向こうで息をのむ音がした。
「世界中が歌になります。」
「その夜、呪われた人は必ず死にます。」
悠真は言葉を失う。
「助かる方法は?」
長い沈黙。
「……まだ見つかっていません。」
---
電話を切ったあと、悠真はパソコンを開く。
検索履歴には「白鳴隧道」が並んでいる。
その中で、一つだけ見覚えのないファイルが保存されていた。
song.mp3
「こんなの保存した覚えは……。」
恐る恐る再生する。
無音。
再生時間は三分三十三秒。
最後まで何も聞こえない。
しかし再生が終わると、スピーカーから一言だけ聞こえた。
「また来てね。」
女性の声だった。
悠真は飛び上がり、スピーカーの電源を引き抜く。
もう一度再生する。
今度は何も聞こえない。
---
夜。
外へ出る。
住宅街はいつも通りだった。
犬の散歩をする人。
自転車で帰宅する学生。
コンビニの明かり。
誰も異変に気付いていない。
信号待ちをしていると、小さな女の子が母親の手を引きながら歩いてきた。
すれ違いざま、女の子が悠真を見上げる。
「お兄ちゃん。」
悠真は足を止めた。
少女は無邪気に笑う。
「お歌、きれいだった?」
母親は不思議そうな顔をする。
「どうしたの?」
「ううん、何でもない。」
少女は何事もなかったように歩き去っていく。
母親には、その言葉が聞こえていなかったようだった。
---
帰宅すると、部屋は暗い。
誰もいない。
それなのに、廊下の奥から足音が聞こえた。
……コツ。
……コツ。
ゆっくり。
ゆっくり。
誰かが歩いている。
悠真は息を殺す。
足音はリビングの前で止まった。
ドアの向こうに、誰かが立っている。
ノブは回らない。
ノックもしない。
ただ、そこにいる。
数分後。
足音は静かに遠ざかっていった。
恐る恐るドアを開ける。
廊下には誰もいない。
だが床には、小さな水たまりが点々と続いていた。
裸足の足跡だった。
それは玄関ではなく、家の奥――
寝室へ向かって伸びている。
悠真は震える手で寝室の扉を開いた。
誰もいない。
しかし、壁際に置かれた姿見だけが、不自然な角度でこちらを向いていた。
鏡の中には、自分の姿が映っている。
その背後に。
白いワンピースの少女が静かに立っていた。
少女は目のない顔で、ゆっくりと口を開く。
歌ではない。
囁くような声だった。
「あと、二日。」
鏡が音もなくひび割れた。
その瞬間、部屋中に響いていた時計の音がぴたりと止まる。
静寂。
だが悠真には分かっていた。
止まったのは呪いではない。
呪いは、次の段階へ進んだのだ。
――第二章『残響』へ続く。




