第八話 日曜二十三時
日曜日。
午前九時。
目を覚ました悠真は、時計を見つめた。
あと十四時間。
それだけで胸が重くなる。
机の上には、昨夜真琴から渡された地図が広げられていた。
赤いペンで丸が付けられている場所。
白鳴隧道。
その下に、細い文字で書き込まれていた。
> 「歌が聞こえても、立ち止まらない。」
悠真は何度もその言葉を読み返した。
しかし、配信者としての本能は別のことを考えていた。
――歌を聞けば、本物が撮れる。
その誘惑は消えない。
---
午後。
ライブ配信の告知を投稿する。
> 「今夜23時、白鳴隧道へ突撃します。」
投稿から数分で反応は爆発した。
「待ってました!」
「ガチ心霊配信!」
「絶対リアルタイムで見る!」
視聴予約は一万人を超える。
コメント欄には、「歌を最後まで聞いてみて」「録音できるか試して」と軽い調子の言葉が並ぶ。
誰も、本当に人が死ぬとは思っていない。
悠真自身も、まだどこかで「噂」にすぎないと考えていた。
---
午後八時。
機材を車へ積み込む。
その時、スマートフォンが震えた。
真琴からだった。
> 「今からでも遅くありません。行かないでください。」
悠真は短く返信する。
> 「必ず帰ります。」
既読は付いた。
しかし返事は来なかった。
---
午後十時十分。
山道へ入る。
街灯はなく、ヘッドライトだけが暗闇を切り裂く。
道の脇には、誰も住んでいない廃屋が並び、窓ガラスはすべて割れていた。
車のラジオから音楽が流れていたが、突然「ザッ」というノイズが入り、電源が落ちる。
エアコンも止まる。
車内は静寂に包まれた。
そして、ナビの画面が勝手に点灯する。
目的地は設定していないはずなのに、一つの表示だけが浮かんでいた。
『目的地:白鳴隧道』
ルート案内が始まる。
「三百メートル先、目的地です。」
機械音声なのに、どこか女性の声に似て聞こえた。
---
午後十時五十五分。
白鳴隧道の入口へ到着する。
山の空気は冷たく、夏とは思えないほど肌寒い。
配信を開始する。
「こんばんは、相沢悠真です。」
「今日はSNSで話題の白鳴隧道へ来ています。」
コメントが一気に流れる。
「見えてる!」
「音も大丈夫!」
「歌まだ?」
「鳥肌!」
悠真はカメラを入口へ向ける。
昼間と変わらないはずのトンネル。
だが今夜は、闇が深かった。
ライトの光が途中で吸い込まれ、その先がまったく見えない。
---
午後十時五十九分。
時計が一分ずつ進む。
コメント欄も静かになっていく。
誰もが、その瞬間を待っていた。
悠真は息を整える。
「もうすぐ二十三時です。」
周囲は無音。
虫の声もない。
風も止まっている。
静かすぎる。
デジタル時計が切り替わる。
23:00
その瞬間だった。
どこからともなく、風が吹く。
冷たい。
山の奥から流れてきた風が、悠真の頬をなでる。
そして。
――♪
たった一音。
澄みきった女性の歌声が、闇の奥から流れてきた。
悠真の全身が硬直する。
美しかった。
人間とは思えないほど透き通った声。
悲しく、優しく、どこか懐かしい旋律。
自然と涙があふれる。
理由は分からない。
コメント欄は高速で流れていた。
> 「え?」
> 「何も聞こえないけど?」
> 「悠真さん泣いてる?」
> 「演技?」
悠真は画面を見る。
配信では、歌声は一切流れていなかった。
聞こえているのは、自分だけだった。
歌は少しずつ近づいてくる。
まるで、歌いながら歩いてくるように。
そして暗闇の奥で。
白いワンピースの少女が、ゆっくりと姿を現した。
少女は顔を伏せたまま歌い続けている。
一歩。
また一歩。
悠真へ向かって歩いてくる。
そのたびに歌声は鮮明になっていく。
悠真は逃げなければならないと分かっていた。
なのに、足が動かない。
歌から耳を離せない。
少女はゆっくりと顔を上げる。
長い黒髪の隙間から見えた口元は、確かに歌っていた。
しかし、その顔には――
目がなかった。
黒く空いた眼窩だけが、悠真をまっすぐ見つめていた。
――第九話「呪いの旋律」へ続く。




