第五話 警告する記者
「あと三日――。」
鏡に浮かんだ文字は消えた。
だが、その言葉だけは悠真の頭から離れなかった。
「……何なんだよ。」
昨夜はほとんど眠れず、朝を迎えた。
鏡を見ても文字はない。
部屋にも異変はない。
それでも、静かな部屋にいると誰かに見られているような感覚だけが残っていた。
---
昼過ぎ。
悠真は白鳴隧道についてさらに調べるため、ネット検索を続けていた。
すると、一つの記事が目に留まる。
> 『旧白鳴隧道の噂を追う』
地方新聞社のウェブ記事だった。
しかし記事を開くと、
「このページは削除されました」
と表示される。
キャッシュも残っていない。
記事を書いた記者の名前だけが検索結果に表示されていた。
榊 真琴
悠真は新聞社へ電話をかけた。
「榊さんはいらっしゃいますか?」
受付は少し間を置いて答えた。
「申し訳ありません。本日は外出しております。」
「白鳴隧道の記事についてお聞きしたいんですが。」
その瞬間、電話口が静かになった。
「……その件には、お答えできません。」
「なぜですか?」
「失礼します。」
一方的に電話は切れた。
不自然だった。
まるで、その名前を口にしてはいけないようだった。
---
夕方。
悠真のスマートフォンに一本の電話が入る。
非通知。
少し迷ってから応答する。
「相沢さんですね。」
若い女性の声だった。
落ち着いた口調。
「榊真琴です。」
悠真は思わず立ち上がる。
「記事を書いた記者の?」
「はい。」
「どうして番号を?」
「あなたが新聞社に電話したからです。」
数秒の沈黙。
そして真琴は静かに言った。
「白鳴隧道には、もう近づかないでください。」
悠真は苦笑した。
「その話なら、もう遅いですよ。」
「……行ったんですね。」
「昼間に。」
電話の向こうで、小さくため息が聞こえた。
「歌は聞きましたか?」
「いいえ。」
「なら、まだ間に合います。」
その言葉には、不思議な重みがあった。
「あなたは配信者ですよね。」
「そうです。」
「日曜日の夜、絶対に配信へ行かないでください。」
「理由を教えてください。」
真琴はすぐには答えなかった。
やがて、小さな声で言う。
「私の兄は六年前、その歌を聞きました。」
悠真は息をのむ。
「三日後に亡くなりました。」
「事故ですか?」
「警察はそう判断しました。」
「でも違う?」
「兄は死ぬ前に、毎日こう言っていました。」
真琴の声が震える。
> 「音が近づいてくる。」
「最後の日には。」
「世界中の音が歌になったそうです。」
電話の向こうで風の音が聞こえる。
真琴は外にいるらしい。
「私は六年間、その歌を調べています。」
「でも、何も止められませんでした。」
「だからお願いです。」
「あなただけは行かないでください。」
---
電話が切れたあとも、悠真はしばらく動けなかった。
彼女の声には、嘘をついている人間特有の迷いがなかった。
本当に兄を失った人の声だった。
しかし、その一方で配信者としての自分が囁く。
「本物かもしれない。」
「これが撮れれば。」
「チャンネルは復活する。」
その誘惑は、恐怖よりも強かった。
---
夜。
動画サイトを開く。
白鳴隧道についてライブ配信を予告すると、コメントが次々に流れ始めた。
> 「絶対見ます!」
> 「歌を聞いてきて!」
> 「伝説のトンネルじゃん!」
> 「ガチなら神回!」
わずか十分で、数千件の「視聴予約」が入った。
数字が増えていくたび、悠真の心は揺れる。
そのとき。
部屋のスピーカーから、電源を入れていないはずなのに「サーッ」という微かなノイズが流れた。
そして、その奥から。
ほんの一瞬だけ。
女の透き通るような歌声が聞こえた。
一音だけ。
あまりにも美しく、胸が締めつけられる旋律。
悠真は思わず涙を流していた。
理由は、自分でも分からない。
気づいたときには歌声は消え、部屋には静寂だけが残っていた。
その静寂の中で、スマートフォンの画面がひとりでに点灯する。
画面には、予定など登録していないはずの通知が表示されていた。
「日曜日まで、あと二日。」
悠真は通知を消そうと画面に触れる。
しかし通知は消えず、ゆっくりと別の文字へ変わっていった。
「待っています。」
部屋のどこかで、誰かが静かに笑ったような気がした。
――第六話「山が拒むもの」へ続く。




