第二十九話 裏参道
獣道は、想像以上に細かった。
人が一人通るのがやっとの幅。
左右から枝が伸び、衣服を引っかく。
それでも進むほどに、不思議と“音”だけは近づいてくる。
背後の御歌殿からの歌ではない。
もっと静かで、もっと低い音。
まるで地面の下を流れる水のような響きだった。
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「聞こえますか。」
真琴が小声で言う。
悠真は頷く。
「……下だ。」
音は確かに、地中から上がってきている。
それは歌ではない。
だが、**歌になる前の“芯”**のようなものだった。
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やがて道は崖沿いに変わる。
足元は細く崩れやすい。
その先に、苔むした石の階段が現れた。
古い。
あまりにも古い。
人の手が入った形跡はあるが、近代的なものではない。
真琴は息を呑む。
「これ……神社より古い。」
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階段を降りると、小さな谷に出た。
そこだけ異様に静かだ。
風もない。
虫もいない。
そして、歌もない。
代わりにあったのは――
水だった。
岩の間から、細く湧き出している。
その水は光を反射しながら、奇妙なほど澄んでいる。
悠真はしゃがみ込み、水面を覗く。
「……映らない。」
水には何も映っていなかった。
自分の顔も、木々も、空も。
ただ“空白”だけが広がっている。
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その時だった。
水の中から、音が立ち上がった。
ぽこ……ぽこ……。
泡のような音。
しかしそれは水ではない。
声の始まりのような音だった。
真琴が一歩後退する。
「ここ……。」
「音が生まれる場所。」
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水面がゆっくりと揺れる。
そこに、白い影が映る。
美紗だった。
しかし姿ははっきりしない。
輪郭が水と同化している。
「ここまで来たんですね。」
かすかな声。
だが、今までで一番穏やかだった。
悠真は問いかける。
「ここが御歌殿なのか。」
美紗は首を振る。
「違う。」
「ここは……入口の影。」
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水面の奥で、何かが動く。
黒い影ではない。
もっと“透明な何か”。
存在するのに見えないもの。
その動きに合わせて、水がわずかに震える。
美紗の表情が曇る。
「もうすぐ……目覚める。」
真琴が聞く。
「何が?」
美紗は答えない。
ただ一言だけ言う。
「歌の前の……最初の音。」
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その瞬間、水面が大きく揺れた。
バシャッ。
音ではない衝撃。
谷全体が共鳴する。
遠くで御歌殿の扉を叩く音が止まった。
代わりに、こちら側へ“何か”が向かってくる気配が強くなる。
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悠真は立ち上がる。
「ここが入口の影なら、本体はどこだ。」
美紗はゆっくりと崖の下を指差した。
そこには、岩壁があるだけに見える。
だが、よく見ると――
岩の隙間から、わずかに“黒い空間”が覗いていた。
光を拒絶する穴。
底が見えない。
そしてその奥から、かすかに聞こえる。
まだ歌ではない。
しかし確実に、人の耳を惹きつける“何か”。
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真琴が呟く。
「御歌殿は封印じゃない。」
「もっと下に、本体がある。」
悠真は頷く。
「ここが始まりか。」
美紗は小さくうなずいた。
「そう。」
「すべてはここから。」
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そのとき、美紗の身体が少し透け始める。
時間がないことを示していた。
「急いで。」
「“最初の音”が完全に目覚めたら……もう戻れない。」
その声は震えていた。
恐怖ではない。
記憶のようなものだった。
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悠真は深く息を吸う。
そして崖下の黒い穴を見つめる。
そこには音がない。
だが、確かに“呼ばれている”。
真琴も覚悟を決めるように頷いた。
「行きましょう。」
二人は一歩踏み出す。
美紗の声が背中に落ちる。
「……ありがとう。」
その言葉は、風に消えた。
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崖の下へ降りる瞬間。
世界から音が消えた。
完全な無音。
そして、その代わりに――
まだ誰も知らない“最初の音”が、ゆっくりと目を覚まし始めていた。
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――第三十話「最初の音」へ続く。




