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『月曜の歌』  作者: こうた
第三章 埋もれた歌

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第二十九話 裏参道

獣道は、想像以上に細かった。


人が一人通るのがやっとの幅。


左右から枝が伸び、衣服を引っかく。


それでも進むほどに、不思議と“音”だけは近づいてくる。


背後の御歌殿からの歌ではない。


もっと静かで、もっと低い音。


まるで地面の下を流れる水のような響きだった。



---


「聞こえますか。」


真琴が小声で言う。


悠真は頷く。


「……下だ。」


音は確かに、地中から上がってきている。


それは歌ではない。


だが、**歌になる前の“芯”**のようなものだった。



---


やがて道は崖沿いに変わる。


足元は細く崩れやすい。


その先に、苔むした石の階段が現れた。


古い。


あまりにも古い。


人の手が入った形跡はあるが、近代的なものではない。


真琴は息を呑む。


「これ……神社より古い。」



---


階段を降りると、小さな谷に出た。


そこだけ異様に静かだ。


風もない。


虫もいない。


そして、歌もない。


代わりにあったのは――


水だった。


岩の間から、細く湧き出している。


その水は光を反射しながら、奇妙なほど澄んでいる。


悠真はしゃがみ込み、水面を覗く。


「……映らない。」


水には何も映っていなかった。


自分の顔も、木々も、空も。


ただ“空白”だけが広がっている。



---


その時だった。


水の中から、音が立ち上がった。


ぽこ……ぽこ……。


泡のような音。


しかしそれは水ではない。


声の始まりのような音だった。


真琴が一歩後退する。


「ここ……。」


「音が生まれる場所。」



---


水面がゆっくりと揺れる。


そこに、白い影が映る。


美紗だった。


しかし姿ははっきりしない。


輪郭が水と同化している。


「ここまで来たんですね。」


かすかな声。


だが、今までで一番穏やかだった。


悠真は問いかける。


「ここが御歌殿なのか。」


美紗は首を振る。


「違う。」


「ここは……入口の影。」



---


水面の奥で、何かが動く。


黒い影ではない。


もっと“透明な何か”。


存在するのに見えないもの。


その動きに合わせて、水がわずかに震える。


美紗の表情が曇る。


「もうすぐ……目覚める。」


真琴が聞く。


「何が?」


美紗は答えない。


ただ一言だけ言う。


「歌の前の……最初の音。」



---


その瞬間、水面が大きく揺れた。


バシャッ。


音ではない衝撃。


谷全体が共鳴する。


遠くで御歌殿の扉を叩く音が止まった。


代わりに、こちら側へ“何か”が向かってくる気配が強くなる。



---


悠真は立ち上がる。


「ここが入口の影なら、本体はどこだ。」


美紗はゆっくりと崖の下を指差した。


そこには、岩壁があるだけに見える。


だが、よく見ると――


岩の隙間から、わずかに“黒い空間”が覗いていた。


光を拒絶する穴。


底が見えない。


そしてその奥から、かすかに聞こえる。


まだ歌ではない。


しかし確実に、人の耳を惹きつける“何か”。



---


真琴が呟く。


「御歌殿は封印じゃない。」


「もっと下に、本体がある。」


悠真は頷く。


「ここが始まりか。」


美紗は小さくうなずいた。


「そう。」


「すべてはここから。」



---


そのとき、美紗の身体が少し透け始める。


時間がないことを示していた。


「急いで。」


「“最初の音”が完全に目覚めたら……もう戻れない。」


その声は震えていた。


恐怖ではない。


記憶のようなものだった。



---


悠真は深く息を吸う。


そして崖下の黒い穴を見つめる。


そこには音がない。


だが、確かに“呼ばれている”。


真琴も覚悟を決めるように頷いた。


「行きましょう。」


二人は一歩踏み出す。


美紗の声が背中に落ちる。


「……ありがとう。」


その言葉は、風に消えた。



---


崖の下へ降りる瞬間。


世界から音が消えた。


完全な無音。


そして、その代わりに――


まだ誰も知らない“最初の音”が、ゆっくりと目を覚まし始めていた。



---


――第三十話「最初の音」へ続く。

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