第二十八話 御歌殿
鏡が砕け散った瞬間だった。
ガシャンッ――。
鋭い破片が畳へ飛び散る。
社を満たしていた静寂は消え、代わりに山全体が歌い始めた。
低い男の声。
高い女の声。
幼い子どもの声。
老人のかすれた声。
すべてが重なり、一つの旋律になって社を震わせる。
悠真は思わず耳を塞ぐ。
「近すぎる……!」
真琴も苦しそうに膝をつく。
「今までで、一番近い……。」
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その時。
割れた鏡の破片が淡く光り始めた。
畳の上に散らばった破片は、まるで夜空の星座のように並び替わる。
やがて、一つの形を描いた。
山の地図。
中央には小さな円。
そこだけが強く光っている。
真琴が地図を見比べる。
「御歌殿……。」
和紙に描かれていた位置と完全に一致していた。
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社の裏手へ回る。
草木に隠されていた石畳が、山奥へ真っすぐ続いている。
長い年月、誰も歩いていないはずなのに、苔一つ生えていない。
まるで今も誰かが毎日通っている道だった。
「ここだ。」
悠真はライトを向ける。
石畳の終点には、大きな岩壁が立ちはだかっている。
しかし近づくと、不自然な切れ目が見えた。
岩ではない。
巨大な石の扉だった。
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扉の中央には、鈴が一つ吊るされていた。
錆びることなく、銀色の光を放っている。
風は吹いていない。
それなのに。
チリン……。
鈴がひとりでに鳴った。
その澄んだ音だけは、不気味な歌を一瞬だけ押し返した。
悠真はその音に、なぜか懐かしさを覚える。
「この音だけ……歌じゃない。」
真琴も頷く。
「これは本物の音です。」
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石扉には古い文字が彫られていた。
> 『御歌殿』
その下には、さらに小さな文字。
> 『歌を封ずる者、歌を欲してはならない。』
悠真は眉をひそめる。
「どういう意味だ……。」
その瞬間。
頭の中へ、美しい歌が流れ込んできた。
今まで聞いてきた歌よりも、ずっと優しい。
ずっと温かい。
母親に子守歌を歌われた幼い頃の記憶。
家族と笑い合った日々。
忘れていた思い出が次々と蘇る。
胸が締めつけられる。
「開けたい。」
自然と、その言葉が口から漏れた。
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「悠真さん!」
真琴の声で我に返る。
気づけば、悠真は石扉へ手を伸ばしていた。
あと数センチで触れるところだった。
真琴が腕をつかむ。
「見せられています。」
「一番大切な記憶を。」
「歌は、人の心を使って誘うんです。」
悠真は大きく息を吐く。
「ありがとう……。」
あと少しで、自分から封印を解いてしまうところだった。
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突然、山全体が揺れた。
ゴゴゴ……。
地鳴りではない。
地面の奥から、巨大な呼吸が響いてくる。
一度。
二度。
三度。
それに合わせて、石扉がゆっくりと震え始めた。
真琴が青ざめる。
「中から……。」
「押してる。」
誰かが開けようとしている。
いや、人ではない。
歌そのものが、封印を内側から削っている。
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その時、悠真のポケットに入れていたICレコーダーが勝手に再生された。
兄・榊恒一の声だった。
> 「御歌殿へ着いたなら……。」
ノイズが混じる。
> 「絶対に扉を開けるな。」
数秒の沈黙。
そして、これまで聞こえなかった続きを初めて話し始める。
> 「封印は壊れかけている。」
> 「だから中へ入る方法は、一つしかない。」
悠真と真琴は息を呑む。
> 「入口は、扉じゃない。」
その瞬間、レコーダーは沈黙した。
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二人は顔を見合わせる。
扉から入るのではない。
別の入口がある。
その時だった。
石扉の裏側から、美紗のかすれた声が聞こえた。
「……裏へ。」
声は弱々しい。
しかし、はっきりと聞こえた。
「御歌殿の……裏。」
悠真は石扉の横へライトを向ける。
岩壁の陰に、細い獣道が続いている。
誰も気づかないような、小さな道だった。
その奥からは歌ではなく、水の流れる音が聞こえてくる。
真琴は静かに言う。
「兄は……ここを見つけていた。」
悠真は力強く頷く。
「なら、俺たちも行こう。」
二人は歌が響く石扉に背を向ける。
そして、誰にも知られていない「もう一つの入口」へ向かって歩き始めた。
背後では、御歌殿の扉を叩く音が、少しずつ激しさを増していた。
――第二十九話「裏参道」へ続く。




