第二十七話 歌守の社
夜は完全に山を包んでいた。
懐中電灯の光だけが、獣道を細く照らしている。
草木は深く生い茂り、人が長年通った形跡はない。
それでも二人は迷わなかった。
風が吹くたびに、どこからか鈴の音が聞こえる。
チリン。
その音だけが、道しるべのように前方から響いていた。
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「美紗が導いている。」
悠真が呟く。
真琴は首を横に振る。
「違います。」
「美紗だけじゃありません。」
「この山そのものが、私たちに見せようとしている。」
その言葉には不思議な説得力があった。
歌は呪いではある。
だが山そのものは、真実を隠したまま終わらせたくないのかもしれない。
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二十分ほど歩いた頃。
木々が急に途切れ、小さな広場へ出た。
そこには、一社だけ残された古い神社があった。
先ほど見つけた廃社とは違う。
石段は崩れているものの、社殿だけは不思議なほど傷んでいない。
屋根には苔が生え、柱は黒く変色している。
しかし、誰かが毎日掃除をしているかのように落ち葉一つ落ちていなかった。
「……誰かいる?」
悠真は小声で言う。
返事はない。
それでも、人の気配だけがあった。
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社殿の扉は少しだけ開いていた。
真琴がゆっくり押す。
ギィ……。
乾いた音が静かな山へ響く。
その瞬間、歌が止んだ。
完全な静寂。
耳鳴りすら消える。
社の中だけが、外の世界から切り離されていた。
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祭壇には、大きな鏡が置かれていた。
曇りきった古い鏡。
その表面には無数の細かな傷が刻まれている。
悠真が顔を映す。
自分の姿は映らない。
代わりに、一人の少女が映っていた。
白い着物。
長い黒髪。
今より少し幼い美紗だった。
鏡の中の美紗は、静かに微笑み、口を開く。
今度は声が聞こえた。
「ようやく……来てくれた。」
悠真は驚いて鏡へ近づく。
「美紗?」
「ここなら話せる。」
鏡の中の美紗は、ゆっくりとうなずいた。
「この社だけは……歌が届かない。」
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真琴が震える声で尋ねる。
「あなたは、巫女だったの?」
美紗は少し考えるように目を閉じる。
「……違う。」
「巫女に、された。」
その一言だけで十分だった。
自ら望んだのではない。
幼い頃に選ばれ、封印の役目を背負わされたのだ。
「何年前のこと?」
悠真が聞く。
「百四十……年くらい。」
明治十二年。
日記に書かれていた年代と一致する。
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美紗は鏡越しに祭壇の下を指差した。
「そこ。」
悠真が床板を持ち上げる。
その下には、小さな木箱が隠されていた。
箱の中には、一枚の古い和紙。
墨で描かれた山の絵図だった。
だが、普通の地図ではない。
山全体に赤い線が巡らされている。
血管のように。
そして、そのすべてが一か所へ集まっていた。
「御歌殿」
という文字が記されている。
真琴は息をのんだ。
「地下坑道じゃない。」
「本当の封印は、ここ……。」
美紗は静かにうなずいた。
「地下は……蓋。」
「本体は……もっと深い。」
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その時。
社の外で枝が折れる音がした。
パキッ。
二人は振り返る。
誰もいない。
しかし気配だけが近づいてくる。
足音はない。
呼吸もない。
ただ、「誰かが立っている」と本能が告げていた。
鏡の中の美紗の表情が一変する。
「見つかった。」
その声と同時に、社の外から低い歌声が流れ込んできた。
今までとは比べものにならないほど近い。
社を守っていた静寂が、少しずつ崩れ始める。
鏡の表面に細かなひびが入る。
一本。
二本。
三本。
美紗は悲しそうに微笑んだ。
「急いで。」
「この社も……もう長くない。」
次の瞬間――
バリンッ!
鏡が真っ二つに割れた。
同時に、外から無数の歌声が雪崩れ込んでくる。
社を守る最後の結界が、破られたのだった。
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――第二十八話「御歌殿」へ続く。




