第二十六話 古い神社
鉄扉の前から離れた二人は、坑道を引き返していた。
美紗はその場から動こうとしない。
いや、動けないのだ。
坑道の境界まで来ると、その身体は薄く透け始める。
まるで、この地下から出ることを許されていない存在のようだった。
「必ず戻る。」
悠真は振り返って言う。
美紗は小さく微笑んだ。
その笑顔は初めて年相応の少女らしく見えた。
しかし次の瞬間には、再び闇の中へ溶けていった。
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地上へ戻ると、夕暮れが山を赤く染めていた。
鳥の鳴き声が聞こえる。
風が木々を揺らす。
久しぶりに「普通の音」が戻ってきた。
悠真は違和感を覚える。
「歌が……弱い。」
真琴も頷いた。
「地下にいる間だけ強くなっていました。」
「つまり、あれは地下から漏れている。」
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車へ戻ろうとした時だった。
山道の脇に、小さな石段があることに気づく。
苔に覆われ、半分崩れている。
昨日は見なかった。
いや、見えていなかったのかもしれない。
石段の先には、小さな社が建っていた。
屋根は崩れ、扉も外れている。
人気はない。
それでも、不思議なことに社の周囲だけは歌が聞こえなかった。
完全な静寂だった。
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「入ってみましょう。」
真琴が言う。
二人はゆっくり石段を登る。
社の中には何もない。
神像も鏡も失われている。
祭壇だけが残っていた。
その中央に、一枚の古びた木札が置かれている。
悠真は慎重に拾い上げた。
墨で書かれた文字は、ほとんど消えかけている。
それでも一行だけ読めた。
> 『音守神社』
「音守……。」
真琴が呟く。
「そんな神社、聞いたことがありません。」
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祭壇の下を照らすと、小さな箱が隠されていた。
桐箱だった。
鍵は錆びて壊れている。
開ける。
中に入っていたのは、一冊の和綴じ帳。
表紙には、
> 『音守日記 明治十二年』
と書かれていた。
悠真と真琴は息をのむ。
昭和より百年近く古い記録だった。
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最初のページを開く。
達筆な文字が並ぶ。
> 『山より歌が聞こえる夜あり。』
次のページ。
> 『歌を聞きし者、山へ歩む。』
さらにページをめくる。
> 『歌は人を誘うにあらず。』
悠真は読む手を止めた。
その続きには、
> 『山の底に眠るものが、人の声を欲するなり。』
真琴は静かに息を吐く。
「明治には、もう分かっていたんですね。」
「だから神社を建てた。」
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最後のページだけ、筆跡が変わっていた。
震える文字。
> 『巫女、美紗。』
悠真は目を見開く。
「美紗……。」
さらに読む。
> 『最後の歌守に選ばれる。』
> 『山閉じの儀、執り行う。』
その先だけが墨で黒く塗り潰されていた。
誰かが意図的に消している。
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その時だった。
社の外から、小さな鈴の音が聞こえた。
チリン。
二人は同時に振り返る。
誰もいない。
風も吹いていない。
しかし鈴はもう一度鳴る。
チリン。
悠真は外へ出る。
石段の下。
夕闇の中に、美紗が立っていた。
今までよりはっきりと姿が見える。
美紗は静かに首を横へ振った。
そして社ではなく、
さらに山の奥を指差した。
そこには獣道が続いている。
誰も通らなくなって何十年も経った道だった。
美紗は初めて、はっきりと声を出す。
「……本当の入口は、あっち。」
そう言い残すと、美紗の姿は夕霧に溶けるように消えた。
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悠真は和綴じ帳を胸に抱える。
地下坑道は入口ではなかった。
あれは封印された場所。
本当の始まりは、さらに山の奥にある。
山を渡る風が、一瞬だけ歌に変わる。
だが今度の歌は、美紗のものではない。
山そのものが、二人を奥へ誘っていた。
――第二十七話「歌守の社」へ続く。




