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『月曜の歌』  作者: こうた
第三章 埋もれた歌

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第二十五話 少女の名前

鉄扉の亀裂から漏れ出した歌は、坑道全体をゆっくりと満たしていく。


最初は小さな旋律だった。


だが数秒後には、何百人もの人間が同時に歌っているような大合唱へ変わる。


その中に、一つだけ違う声が混じっていた。


泣き声だった。


少女は耳を塞ぎ、その場に膝をつく。


「……いや。」


かすれた声。


今までで一番はっきりと聞こえた。


悠真は少女の前へしゃがみ込む。


「君は誰なんだ。」


「どうしてここにいる。」


少女は震える指で、自分の胸を押さえる。


何度も口を開こうとする。


しかし歌が邪魔をする。


低い大合唱が少女の声だけを飲み込んでしまう。


真琴は兄のICレコーダーを少女へ向けた。


「お願い。」


「話して。」


レコーダーの赤いランプが静かに点灯する。


録音できないはずだった。


それでも真琴は構わなかった。



---


突然、坑道の歌が止む。


ほんの数秒だけ。


少女はその隙を逃さなかった。


小さく息を吸う。


「……み……」


途切れる。


もう一度。


「……み……さ……」


そして、三度目。


少女は涙を流しながら、自分の名前を口にした。


美紗みさ


その瞬間。


坑道全体が激しく震えた。


まるで「名前」を呼ばれたことを嫌うように。


天井から砂が降り注ぐ。


真琴は驚いた表情で少女を見る。


「名前……。」


「初めて聞けた。」


美紗は小さくうなずいた。


「思い……出して……くれた。」


その言葉は途切れ途切れだった。


まるで長い年月、話すことを忘れてしまった人間のように。



---


悠真は優しく尋ねる。


「昭和五十二年の事故なのか。」


美紗は首を横に振る。


違う。


「じゃあ……工事の人じゃない。」


また首を振る。


そして、美紗はゆっくりと坑道のさらに奥を指差した。


「もっと……前。」


真琴と悠真は顔を見合わせる。


昭和ではない。


さらに昔。


「この山には、工事より前から何かがあった……。」



---


その時だった。


美紗の足元に黒い影が集まり始める。


影ではない。


声だった。


壁から漏れていた無数の声が黒い霧となり、美紗の身体へ絡みついていく。


「やめろ!」


悠真が手を伸ばく。


しかし手は影をすり抜ける。


美紗は苦しそうに胸を押さえた。


「名前を……呼ばないで……。」


「え?」


「名前を呼ぶと……見つかる。」


遅かった。


坑道の奥から、今まで聞いたことのない低い振動音が響く。


ドォン……。


歌ではない。


巨大な何かが、ゆっくりと立ち上がった音だった。



---


真琴が懐中電灯を奥へ向ける。


光は途中で飲み込まれる。


しかし、その一瞬だけ見えた。


闇の中に、無数の白い仮面。


人の顔ではない。


口だけが異様に大きく開いた面が、壁一面に浮かんでいた。


そして、そのすべてが同時に息を吸う。


「……!」


悠真の全身に鳥肌が立つ。


仮面は歌っていない。


**歌うための「口」**だった。



---


美紗が震える声で言う。


「歌は……あれ。」


「私は……違う。」


「ずっと……止めてた。」


悠真は理解した。


だから日曜の夜しか歌が外へ漏れなかった。


美紗が何十年も、たった一人で封じ続けていたからだ。


しかし、その力も限界に近づいている。



---


その時、兄・恒一のICレコーダーから再びノイズが流れた。


ザーッ……。


そして、聞き覚えのある声。


> 「真琴。」




兄だった。


真琴は息を止める。


> 「封印は壊すな。」




数秒の沈黙。


> 「封印を……」




ノイズが激しくなる。


言葉が途切れる。


そして最後に、はっきりと一言だけ聞こえた。


> 「替われ。」




レコーダーは沈黙した。


坑道にも静寂が戻る。


悠真と真琴は、その言葉の意味を理解できなかった。


だが美紗だけが、小さく首を横へ振った。


「……だめ。」


「もう……誰も……。」


その願いと同時に、巨大な鉄扉の亀裂がさらに広がる。


鈍い音が坑道へ響く。


封印が、ゆっくりと壊れ始めていた。



---


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