第二十三話 声の墓
鉄扉の向こうは、地下坑道とは思えないほど広い空間だった。
懐中電灯の光は、十メートル先で闇に飲まれる。
天井がどこにあるのか分からない。
壁も見えない。
まるで山の内部が空洞になっているようだった。
しかし、悠真が最初に気づいたのは景色ではなかった。
「反響がない。」
試しに足を踏み鳴らす。
ゴッ。
確かに靴は地面を叩いた。
だが、音は一度だけ鳴って終わる。
洞窟なら返ってくるはずの反響が、一切ない。
まるで空間そのものが音を吸い込んでいる。
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「……だから『声の墓』なのか。」
悠真が呟く。
真琴は壁へライトを向けた。
そこには、無数の文字が刻まれていた。
昭和五十二年。
平成三年。
平成十九年。
令和元年。
年代だけではない。
名前もある。
何百人分もの名前。
そのすべての横に、同じ一文字が刻まれていた。
『聴』
「犠牲者……。」
真琴が声を震わせる。
「みんな歌を聞いた人たち。」
悠真は壁をなぞる。
指先に、わずかな凹凸が伝わる。
その瞬間だった。
壁の奥から声が聞こえた。
「……帰りたい。」
老人の声。
続いて、
「助けて。」
若い女性の声。
「お母さん。」
幼い子どもの声。
無数の声が壁の中から漏れ出してくる。
悲鳴ではない。
叫びでもない。
**「最後まで口にできなかった言葉」**だけが残っている。
悠真は思わず壁から手を離した。
「これ……。」
真琴が静かに答える。
「歌に飲まれた人たちの声。」
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二人はゆっくりと奥へ進む。
床に、古びたヘルメットが落ちていた。
工事用だ。
その近くには、錆びた水筒。
懐中電灯。
安全帯。
すべて昭和のまま時間が止まっている。
真琴がヘルメットを拾う。
内側に名前が書かれていた。
『大西 恒一』
「工事責任者……。」
新聞資料で見た名前だった。
その時、ヘルメットの中から小さな紙切れが落ちる。
折りたたまれたメモ。
慎重に開く。
そこには鉛筆で、震える文字が残されていた。
> 「歌ではない。」
その下に続く。
> 「あれは、人の声を集めて歌を作っている。」
悠真の鼓動が速くなる。
「人の声を……。」
真琴が続きを読む。
> 「歌は餌だ。」
> 「美しく聞こえるように、奪った声を混ぜている。」
その瞬間、二人はすべてを理解した。
少女の歌は最初から存在していたわけではない。
呪いは、犠牲者の声を取り込みながら、より美しい歌へ変化してきたのだ。
だから人によって違って聞こえる。
その人が心を許す音へ変わる。
そして近づいてきた者から、また新しい「声」を奪う。
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「だから録音できないんだ……。」
悠真は呟く。
「録音されるのは音だけ。」
「歌そのものは、生きている。」
真琴はゆっくりとうなずいた。
「兄は、このことに気づいたんです。」
その時だった。
少女が苦しそうに胸を押さえる。
「……来る。」
かすかな声。
その直後。
空洞全体が震えた。
壁一面に刻まれた名前から、一斉に声が漏れ始める。
「助けて。」
「帰りたい。」
「寒い。」
「聞こえる。」
何百もの声。
いや、何千もの声。
そのすべてが、ゆっくりと一つの旋律へ変わっていく。
少女は耳を塞ぎ、泣き叫ぶ。
「歌わせないで!」
だが止まらない。
声は集まり、重なり、やがて天井の闇へ吸い込まれていく。
その闇の中で、何か巨大なものがゆっくりと息を吸った。
生き物の姿は見えない。
だが、確かな存在感だけがある。
悠真は全身が凍りつく。
「あれが……。」
真琴は唇を噛み締めた。
「あれが、歌を作っている。」
闇の奥で、巨大な「息」が一つ響く。
そして、それまで聞いたことのない、低く濁った歌声がゆっくりと流れ始めた。
それは少女の美しい歌を飲み込み、山全体を震わせるほどの不気味な響きだった。
悠真は少女を見た。
少女は涙を流しながら、震える指で空洞のさらに奥を指差した。
そこには、錆びついた巨大な鉄の扉が静かに立っていた。
扉には、たった一行だけ文字が刻まれていた。
> 「開けた者が、次の歌になる。」
――第二十四話「封鎖区画」へ続く。




