第二十話 あと二十四時間
午前零時。
時計の針が重なる。
その瞬間、部屋中の音が消えた。
冷蔵庫のモーター音。
エアコンの送風音。
壁掛け時計の秒針。
外を走る車。
雨音さえも消え失せる。
静寂ではない。
世界から「音」という存在だけが抜き取られた。
悠真は息を吸う。
胸は動いている。
しかし、自分の呼吸すら聞こえない。
耳がおかしくなったのではない。
音そのものが存在しなくなっていた。
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十秒ほど経った頃。
暗闇の中で、一つだけ音が生まれる。
少女の歌だった。
優しい。
どこか懐かしい旋律。
歌が流れ始めると同時に、世界中の音が少しずつ戻ってくる。
雨音。
風。
家電の作動音。
まるで少女の歌が、世界へ音を返しているようだった。
悠真は初めて気づく。
「違う……。」
「あの子は呪いじゃない。」
「音を守ってる。」
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朝七時。
真琴から電話が入る。
声は疲れ切っていた。
「眠れましたか?」
「無理だった。」
「真琴さんは?」
「私もです。」
少し沈黙が流れる。
「夢を見ました。」
真琴は静かに話し始める。
「白鳴隧道じゃありません。」
「もっと昔です。」
「山の中で、大勢の人が歌っていました。」
「その歌を、一人の少女が泣きながら聞いていたんです。」
悠真は目を閉じる。
同じ夢だった。
「俺も見た。」
電話の向こうで、真琴が小さく息をのむ。
「歌が見せている記憶かもしれません。」
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午後。
二人は新聞社の資料室へ向かった。
昭和五十二年のトンネル工事資料。
古い設計図。
地質調査報告。
その中に、一冊だけ表紙のないノートがあった。
工事主任の日誌だった。
最後のページには、震えた文字でこう書かれている。
> 『坑道の奥から歌が聞こえる。』
ページをめくる。
その続きには、
> 『作業員が一人、歌に呼ばれて消えた。』
さらに最後の一文。
> 『埋めろ。誰にも知らせるな。』
その後のページは、すべて切り取られていた。
「事故じゃない……。」
悠真がつぶやく。
真琴は静かにうなずく。
「隠されたんです。」
「何かを。」
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その時。
新聞社の古い固定電話が鳴った。
ジリリリリ。
誰も出ようとしない。
受話器を取る。
無音。
数秒後。
少女の声が聞こえた。
> 「急いで。」
電話は切れた。
発信履歴は残っていない。
電話交換機にも記録はなかった。
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夕方。
二人は白鳴隧道へ向かう準備を始める。
カメラ。
懐中電灯。
予備電池。
ロープ。
地図。
真琴は兄のICレコーダーをバッグへ入れた。
「これだけは持っていきます。」
「兄は最後まで、この歌の正体を知ろうとしていました。」
悠真は静かにうなずく。
「今度は終わらせよう。」
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夜。
午後十時。
山へ向かう車の中。
ラジオは切っている。
それでも歌は聞こえる。
以前とは違う。
少女の歌だけではない。
その奥から、無数の低い声が重なってくる。
まるで何百人もの人間が地下で歌っているようだった。
真琴がハンドルを握る手に力を込める。
「聞こえますか。」
「うん。」
「増えてる。」
「……時間がありません。」
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午後十時五十八分。
白鳴隧道へ到着する。
夜空には月が出ていない。
風も吹かない。
静かな山。
それなのに、トンネルの奥から歌だけが流れてくる。
昨日までの美しい歌ではない。
その奥に、重く濁った無数の声が混じっている。
悠真はライトを点ける。
トンネルの入口には、白いワンピースの少女が立っていた。
少女は歌っていない。
泣いていた。
そして二人を見ると、ゆっくりと首を横へ振る。
「来てはいけない。」
そう伝えているようだった。
しかし次の瞬間。
トンネルの奥から響いた大合唱が、山全体を震わせる。
少女は苦しそうに胸を押さえ、その姿が少しずつ薄れていく。
悠真は思わず叫んだ。
「待って!」
少女は最後に一度だけ口を動かした。
声は聞こえない。
けれど、その唇は確かにこう動いていた。
「逃げて。」
その直後、トンネルの奥の闇がゆっくりと脈打った。
まるで巨大な生き物が、長い眠りから目を覚ましたかのように。
悠真と真琴は、その闇を見つめたまま動けなかった。
――第三章「埋もれた歌」へ続く。




