第十九話 残響
車内は静まり返っていた。
ラジオは消えている。
それなのに、あの低い大合唱だけは耳の奥に残っていた。
歌ではない。
祈りでもない。
まるで何百人もの人間が、一つの言葉を永遠に繰り返しているような、不気味な響きだった。
「……聞こえてる?」
悠真が小さく尋ねる。
運転席の真琴は、ハンドルを握る手を震わせながら頷いた。
「ええ。」
「これは初めてです。」
「兄の日記にも書かれていません。」
つまり、呪いは変化している。
いや、進化している。
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その夜。
悠真は自宅へ戻った。
玄関の鍵を閉める。
部屋は暗く、静かだった。
ようやく歌が止んだ。
そう思った。
しかし、その静寂そのものに違和感があった。
「……静かすぎる。」
冷蔵庫の音がない。
エアコンの送風音もない。
外を走る車の音も聞こえない。
窓を開ける。
住宅街には人が歩いている。
犬もいる。
車も走っている。
それなのに。
何一つ音がしない。
世界から音が消えていた。
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悠真は恐る恐る手を叩く。
パンッ。
確かに叩いた。
手のひらは痛い。
だが音だけが聞こえない。
「……嘘だろ。」
耳が聞こえなくなったのか。
スマートフォンで動画を再生する。
画面の人物は笑っている。
字幕も流れている。
しかし音はない。
完全な無音。
数秒後だった。
突然。
無音だった世界へ、一つの声が流れ込んできた。
少女の歌だった。
それを合図に、世界中の音が一斉に戻る。
車。
テレビ。
風。
すべてが同時に鳴り始める。
悠真は耳を押さえてしゃがみ込んだ。
「うああっ!」
あまりにも大きい。
いや、大きいのではない。
全部が歌になっている。
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翌朝。
真琴が駆け込んできた。
新聞を握り締めている。
地方欄には、小さな記事が載っていた。
> 『旧白鳴隧道周辺で行方不明者相次ぐ』
記事によれば、この一週間だけで三人が消息を絶っている。
全員、最後に目撃された場所は山道。
遺体は見つかっていない。
悠真は記事を読み終える。
「死んでない?」
真琴は静かに首を振る。
「今までは必ず遺体が見つかっていました。」
「今回は違う。」
「消えてる。」
その言葉に、二人は顔を見合わせる。
死ではない。
連れ去られている。
どこへ。
答えは一つしかなかった。
山の中だ。
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午後。
真琴は新聞社の古い地図を机へ広げた。
昭和五十二年以前の地図。
現在の白鳴隧道の真下に、細い坑道が描かれている。
工事用の地下通路。
しかし、そこに赤字で手書きされていた。
「立入禁止 歌声確認」
悠真は眉をひそめる。
「誰が書いた?」
真琴は首を振る。
「分かりません。」
「でも、この地図は新聞社にも一枚しか残っていませんでした。」
さらに地図の余白には、小さな文字がある。
> 『三時まで入るな。』
その文字は、兄・榊恒一の筆跡だった。
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夜。
悠真は机の上へ地図を広げる。
時刻は午後十一時五十分。
窓の外では雨が降り始めていた。
静かな雨音。
だが、その音はもう雨ではない。
何百人もの人間が、小さく歌っている。
悠真は目を閉じた。
その瞬間。
脳裏に、白鳴隧道の奥が浮かぶ。
崩れた壁。
その向こうに続く暗い坑道。
そして、そのさらに奥から聞こえる、大合唱。
少女の歌ではない。
もっと古く、もっと深い何か。
その声に混じって、一人の少女が泣いていた。
「助けて……。」
悠真は勢いよく目を開ける。
息が乱れている。
これは夢ではない。
歌が見せた記憶だ。
真琴へ電話をかける。
「分かった。」
「何がですか?」
「少女は歌ってるんじゃない。」
「閉じ込められてる。」
電話の向こうで真琴が息をのむ。
「……私も、同じ夢を見ました。」
二人は確信する。
白鳴隧道の地下坑道には、まだ誰も知らない秘密が眠っている。
そして、その秘密は三日目が終わる前に暴かなければならない。
時計を見る。
時刻は午後十一時五十九分。
秒針が静かに動く。
カチ。
日付が変わる。
悠真に残された時間は、もう二十四時間もなかった。
――第二章 最終話「あと二十四時間」へ続く。




