第十五話 兄の日記
「次は、あなた。」
その文字は、一瞬で消えた。
悠真は何度もスマートフォンを確認する。
通知履歴にも残っていない。
スクリーンショットも撮れなかった。
画面には普段どおりの待ち受け画像だけが映っている。
「また証拠が残らない……。」
悠真はスマートフォンをポケットへしまった。
もう驚きはなかった。
歌に関わるものは、最初から人間に記録されることを拒んでいる。
そんな気がしていた。
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その日の午後。
真琴は悠真を自宅へ招いた。
住宅街の一角にある、小さな一軒家。
仏壇には、一人の青年の遺影が飾られていた。
穏やかな笑顔。
榊 恒一。
六年前、歌を聞いて亡くなった真琴の兄だった。
真琴は線香を一本供え、小さく手を合わせる。
悠真も黙って頭を下げた。
「兄の部屋です。」
案内された部屋は、六年前から時間が止まったようだった。
本棚。
机。
ギター。
壁にはライブハウスのポスター。
「兄は音楽が好きだったんです。」
真琴はギターケースをそっとなでる。
「だから最初は、歌が聞こえることを喜んでいました。」
その言葉に、悠真の胸がざわつく。
自分も最初に歌を聞いたとき、美しいと思った。
怖いより先に、心を奪われた。
「……同じだ。」
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真琴は机の引き出しから、厚い大学ノートを取り出した。
「日記ではありません。」
「調査記録です。」
ページをめくる。
そこには日付ではなく、人名が並んでいた。
平成八年。
平成十五年。
平成二十三年。
令和元年。
令和五年。
時代を超えて、何十人もの名前が書かれている。
その横には、すべて同じような症状が記録されていた。
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一日目。
時計。
機械音。
眠れない。
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二日目。
人の声。
風。
雨。
歌になる。
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三日目。
世界中が歌になる。
死亡。
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悠真はページをめくる手を止めた。
「全員……同じ。」
「ええ。」
真琴は静かにうなずく。
「兄は亡くなる直前まで、この法則を調べていました。」
「そして一つだけ、誰にも共通しないことを書き残しています。」
真琴は最後のページを開いた。
そこには、乱れた文字で一文だけ書かれていた。
> 『歌は人によって違う。』
悠真は眉をひそめる。
「違う?」
「兄はクラシック音楽が好きでした。」
「だから兄には、オペラのように聞こえたそうです。」
「私は童謡に聞こえました。」
「あなたは?」
悠真は少し考えた。
「懐かしい歌だ。」
「聞いたことはない。」
「でも、子どもの頃から知っていたような気がする。」
真琴は静かにノートを閉じた。
「それが歌の怖いところです。」
「聞いた人が、一番心を許してしまう音になる。」
部屋の空気が凍りつく。
歌は脅かすためではない。
誘うために歌っている。
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その夜。
悠真は帰宅し、机に向かった。
ノートへ今日の出来事を書き始める。
「二日目。」
「人の声が歌になる。」
「病院の男性が死亡。」
ペンを置き、席を立つ。
コーヒーを淹れて戻ってくる。
ノートを見る。
自分が書いた文字の下に、見覚えのない一文が増えていた。
> 『三日目は、もうすぐ。』
悠真は凍りつく。
慌ててページをめくる。
他には何もない。
インクはまだ乾いていない。
まるで今書かれたばかりだった。
「誰だ!」
部屋を見回す。
誰もいない。
玄関も窓も鍵がかかっている。
静寂だけが広がる。
その静寂を破るように、スマートフォンが震えた。
真琴からだった。
「今、兄のノートを見返していて気づきました。」
真琴の声は震えている。
「兄も同じことを書いています。」
「え?」
「『ノートに知らない文字が増えた』って。」
悠真はゆっくり、自分のノートを見つめる。
増えた文字は、いつの間にか消えていた。
紙には何も残っていない。
真琴が小さく息をのむ。
「相沢さん。」
「はい。」
「……呪いが予定より早く進んでいます。」
その言葉と同時に、部屋のどこからともなく、小さな子守歌が聞こえ始めた。
それはもう、機械音ではなかった。
誰かがすぐ耳元で歌っているように、はっきりと聞こえていた。
――第十六話「聞こえない配信」へ続く。




