第十三話 救急車
午前零時七分。
玄関の前には、小さなICレコーダーが置かれていた。
見覚えのない機種だった。
黒い本体には傷が無数につき、長い間どこかへ放置されていたように見える。
赤い録音ランプだけが、静かに点滅していた。
悠真は手を伸ばしかける。
だが真琴の言葉を思い出し、手を止めた。
> 「音を記録しようとしないでください。」
しかし、これは自分が録音したものではない。
誰かが置いていったものだ。
数秒迷った末、ハンカチ越しに拾い上げる。
液晶画面には、録音時間だけが表示されていた。
03:00:00
ちょうど三時間。
再生ボタンを押す。
ザーッ……。
ノイズ。
何も聞こえない。
早送りしても、無音のままだ。
最後の一秒。
「カチッ」と録音が終わる音だけが鳴った。
そして。
女の声が小さく囁いた。
> 「三人目。」
悠真は息を止めた。
慌ててもう一度再生する。
今度はノイズしか流れない。
「また……消えた。」
レコーダーの電池を抜く。
その瞬間、本体の液晶がひとりでに点灯した。
画面には数字ではなく、一文字だけが表示されていた。
「聞」
数秒後、液晶は暗くなった。
二度と点かなくなった。
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翌朝。
ニュースをつける。
画面では交通事故が報じられていた。
夜間、山道で乗用車が崖下へ転落。
運転していた二十五歳の男性が死亡。
映像が現場へ切り替わる。
悠真の心臓が止まりそうになった。
事故現場は、白鳴隧道へ向かう旧道だった。
キャスターは淡々と話す。
「事故原因は現在調査中です。」
「運転操作を誤った可能性があります。」
画面の片隅に、男性のSNSアカウントが映る。
悠真は見覚えがあった。
数日前。
「歌が聞こえた」と投稿していた人物だった。
三日後。
やはり死んでいる。
偶然ではない。
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午後。
悠真は真琴と待ち合わせ、事故現場近くを訪れた。
警察の規制線はすでに撤去されている。
崖の下には、車の破片が散乱していた。
真琴がしゃがみ込み、小さなプラスチック片を拾う。
「ドライブレコーダーです。」
警察が回収し忘れた破片だった。
メモリーカードは奇跡的に無事だった。
「映像が残っているかもしれません。」
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その日の夕方。
新聞社のパソコンで映像を確認する。
事故直前。
男性は鼻歌を歌いながら車を運転している。
時刻は月曜日、午前二時四十七分。
突然、男性が黙った。
耳を澄ませている。
「……また聞こえる。」
その声だけが録音されていた。
数秒後。
男性は助手席を見る。
誰もいないはずの場所を見つめ、青ざめる。
「やめろ……。」
ハンドルが大きくぶれる。
その瞬間。
映像が激しく乱れた。
ザーッ――。
車がガードレールを突き破る直前で、録画は終わっていた。
真琴は映像を止める。
「見えましたか?」
「何が?」
「助手席です。」
悠真は首を振る。
「何も。」
真琴は画面を拡大する。
そこには、ほんの一瞬だけ。
白い髪のようなものが映り込んでいた。
顔はない。
人影ですらない。
ただ、白い何かが助手席に座っているように見えた。
「兄の映像にも、同じものが映っていました。」
「少女じゃないのか……?」
真琴は静かに首を横へ振る。
「私は最初、少女の霊だと思っていました。」
「でも違います。」
「少女も……見ていただけなんです。」
その言葉に、悠真は息をのんだ。
「じゃあ、歌っているのは誰なんだ。」
真琴は答えなかった。
答えられないのではない。
まだ答えを知らないのだ。
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帰宅する頃には、雨が降り始めていた。
ワイパーが一定のリズムでガラスを拭う。
ギッ……ギッ……。
昨日まではただの機械音だった。
今日は違う。
歌だった。
低く。
ゆっくり。
まるで誰かが子守歌を歌っている。
悠真はラジオの音量を上げる。
ニュース。
天気予報。
DJの笑い声。
すべてが、歌に溶けていく。
もう区別がつかない。
「……二日目。」
真琴の言葉が蘇る。
「人の声も歌になります。」
その夜。
眠りにつこうと目を閉じた悠真は、自分の呼吸音が歌になっていることに気づいた。
吸う息。
吐く息。
そのたびに、誰かの旋律が胸の奥で鳴り響く。
もう耳を塞いでも意味はない。
歌は外ではなく、自分の中で歌い始めていた。
――第十四話「静かな病院」へ続く。




