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第四章 異文化理解

第三十一話 一次面接三回目

「ふむ。素人質問で恐縮だが、地球人は紙の資料を用意しないのか?」


 理系の端くれである僕にとってはトラウマのような形式で質問が飛んできた。尚、相手は異世界人なのでガチの素人であるとする。


「僕らの世代ではもう紙はほとんど見なくなりましたね……、昔の資料も完全データ化したので」

「文字というのはただの意思疎通の為の手段ではなく、それそのものに価値があるとわたしは考える。故に全てが仮想空間上に存在するというのは恐ろしさを抱くものだ。そもそも都市部の機能もそうだが集中すればするだけ崩しやすく脆いものとなる。故に君たちも過去から学び、過去を疎かにするべきではないとわたしは思うのだ。これはあくまで持論だがね。しかしわたしの持論とは経験に基づくものでもある。歴史はお好きかな? お好きでなくとも知るべきことであるとわたしは思うが。故に詳しくは資料にまとめておこう」

「はい、お気持ちだけで」


 何度か対話をすることで、分かってきた。この人は本当に話が長いけれど、話自体は論理的に展開されていて分かりやすい。ただ……一度話し始めるといつ息継ぎをしてるのか聞きたくなるくらいに止まらない。


「ふむ……もう少し時間をいただけるか?」

「でしたらまた後日に致しましょう」

「いえ結構。わたしの中で問いかけねばならないことはもう残り僅かなのだ。契約に関しては八割方同意している。しかしその前段階のこの手続きがどうも拭えぬ嫌悪感があるのだ。故にわたしはわたしとの対話を必要とする」

「二週間後の午後はいかがでしょう?」

「それほど時間を必要とする問いかけではない。しかし感情は総じて論理と相反するもの。そもそもわたしは君たちに評価をされる側であることも理解しているのだ。故に君たちの都合に合わせられなければ地球で働くに当たって支障があることは容易に推測できる。故に同意しよう」


 こうして今日の面接も無事に終わった。彼らは本当に違う時間軸で生きているんだな。


 今日の雑学、ケェユー族は別に早口ではない。



第三十二話 放浪賢者 

「ラァ先輩の出向ってまだ1ヶ月先ですよね」

「うん。そーだよー!」

「僕、ならラァ先輩に振られるんじゃ? って最初思ったんですよ」

「ケェユーじゃなかったらそうしてたかもねぇ」

「つまりこの面接、1ヶ月はかかると皆さん思ってるんですね」


 向かい側のラァ先輩、隣のマオ先輩。それから部長と愛子さん。その全員を見渡すと、みんな同じような顔をしている。笑おうとして笑い損ねたような顔。苦笑いだ。


「長命種と言ってもエルダウとケェユーの価値観は違う。エルダウは他の種族と共に暮らすんだよ。あくまで街に暮らす種族」

「どの街にも一つはエルダウの家があるものです」

「そもそも俺らは建築家だからね。でも、ケェユーは基本的にケェユーだけで暮らす。長命種の時間感覚のままで困らないってこと」


 ラァ先輩とマオ先輩の語りはすごく穏やかで、郷愁というものを初めて実感した気がする。二人ともすごく優秀な人だから普段から異世界人だということを実感する機会はすごく少ない。けれどそれは、二人が僕らに合わせてくれているのだと突きつけられた。


「ケェユーは、ケェユーの村や街を作るのよね」

「てか、同じ分野を研究する奴らが集まって暮らすんだよ。基本的には一族総出で100年以上かけて謎を解き明かすことが多いんじゃない? たまーに旅に出てるのも見るけど」

「私も幼い頃にリユロオスに会いました。その方は世界の仕組みを調べていると仰っていました」


 部長もラァ先輩も物知りだな。僕はそもそもこの部署に来るまで、というかマニュアルを読み切るまでケェユー族を知らなかったのに。

 

「俺もマオも広義的にはリユロオスになっちゃったのかな」

「少し感慨深いです」

「リユ……リユ、ロオ、スって、旅人ってぇ意味だよね?」

「私は少し違うように思います」


 どこが違うのかはうまく説明できないのか。ほんのり眉を下げるマオさんの瞳がキラキラ瞬く。睫毛も光を反射すると青いのか……知らなかった。


「リユロオスは知識を求める人よ。大体プラトンやニュートンのような哲学者だと思えばいいわ」

「あー、確かにそうかも。でももっとしっくり来る表現もありそう」


 ラァ先輩の言葉に、またみんな難しい顔で考え込む。手は止まらないけれど、珍しくおしゃべりがやんだ。


「ゲームの魔術師とかどう? 放浪賢者的な」

「「あー」」


 ラァ先輩の説明は僕ともう一人にとってはとっても分かりやすかった。部長、ゲームするタイプなんですね。


 今日の雑学、イーガチュウで引力を発見した人の名前はリィ・アイザァ・ニィタオ。



第三十三話 後輩

「あら課長、ようこそおいでくださいましたわ。ご連絡くださればお迎えにあがりましたのに」


 連絡もよこさずいきなり来てんじゃねぇよ。ってことかもしれない。

 繁忙期も中盤の9月、黒崎課長が視察に現れた。そもそも視察って本来課長がすることなのか? とか今思えば色々ツッコミたいことがある。


「こんにちは、国際人事部諸君。視察をするが、私のことは放っておいてくれたまえ」

「そんなまさか! 課長のおかげで今がありますもの。とてもそんな真似はできませんわ」


 黒崎課長が現れてすぐ、愛子さんがデスク移動を開始した。入り口まで迎えにあがった部長に連れられて、やっぱり奥のデスクを勧められている。これもしかして定期イベだったりします?


「いつもの茶葉を切らしておりまして、申し訳ございませんわ。こちらをお召し上がりくださいね」

「結構!」


 好奇心は猫を殺す。なんとこれはイーガチュウにも同じ諺がある。詰まるところ僕はとんでもない愚か者なのだ。


「愛子さん」

「誰かさんのお陰で茶葉買ってる余裕がないんよね」

「葵クン、ショオマオタイガンシンラオマオミィガンシンですよ」


 愛子さんはとってもいい笑顔で教えてくれた。この人嫌味を言う時必ず方言使うのなんでなんだ。そしてラァ先輩が声だけを殺して笑っている。あんなに笑ってても入力をミスらないんなんてすごいな。


「いい部下たちだね」

「ええ、全く。助けられています」


 ふっ、と微笑んでいる二人はやっぱりどこかよく似ていた。喧嘩するほどなんとやら、かな。長い付き合いらしいし。


「愛子サン、部長のお飲みものが私にはドゥーツァに見えるのですが」

「うん、そぉだよ」

「あ、やっぱりそうなんだ」


 ドゥーツァ。直訳すると毒茶である。ダイエット効果が非常に高く、カフェイン含有率も高い。寝たら詰む時には相棒になるお茶だけど、問題は……。


「課長、ぜひお召しくださいな。苦いのはお好きでありませんか?」

「日和らんとちゃっちゃ飲んで帰ってくれはる?」

「私の記憶ではドゥーツァの適量は5ミリ程度だったと思うが」

「部長は逞しい方ですから」

「背が高いからいけはるんちゃう? 知らんけど」

「お前と私の身長差はたった5センチでなかったか?」

「まぁ、私の身長まで覚えていただけているなんて! 光栄ですわ」

「きっしょ、何覚えてんの」


 愛子さん本当に勘弁してください。僕が悪かったです。

 部長、わざわざデスクの天板に足組んで座るのはなんでなんですか。普段椅子ですら足組んでるところ見たことないですよ。というか大学時代の先輩相手にこれなんですか、部長! 親しみの込め方が邪悪すぎます、部長!

 普段は流石東卒(とうそつ)という知性溢れる感じなのに、二人揃うとイメージがガタガタ崩れていく。僕の憧れの元第一志望……地球一の大学なのに!


 今日の雑学、ドゥーツァはこの世の何より苦い。



第三十四話 防音デスク

「疲れた……」

「葵、お疲れ!」


 今日は面接を三件もした。僕は3件、ラァ先輩は5件。僕が本当にヘトヘトで疲れ果てているのに、なんで笑ってんだこの人。


「二件目の途中でなんか叫んでなかった?」

「うぇ……聞こえてたんですか」

「隣だったからね」


 国際人事部の部屋は、ざっくりと三つに分かれている。真ん中が普段僕たちが画面をちょんちょんしているノーマルデスクエリア。入り口から見て右側が防音デスクエリア。左側は仮眠室、給湯室、応接間などの生活エリアだ。


「防音甘い……。というかこの部署なんだか全体的に古い設備が多くないですか?」

「上の皆々様の覚えめでたい、期待の新部署(ルーキー)ですもの」

「改設当時の設備をね、押し付けられてるのぉ」

「メアリーホリデーは2100年改設です」


 37年前。計算しやすくて何よりだけど、現実的な数字が出るとげっそりする。仮眠室以外に仕切りがない理由が分かってしまった……。100年代の流行って全部開放的なんだよな。


「防音デスクって、今考えたら無駄ですね」

「周りが見える必要ないもんねぇ」

「話し相手は画面越し!」

「そもそも、数が多過ぎるのではと考察します」

「「「それはそう」」」


 マオさんの言うとおりだ。普通のデスクが6個に対して、なんと防音デスクは12個。そもそも防音デスクは普通のデスクより二回り大きいのに。正直邪魔というか無駄というか。


「というかアレ何台か壊れてますよね?」


 部長がそっと目を逸らす。気づいてはいたんですね。愛子さんを見るとにっこり微笑まれる。気づいてはいたんですね。

 マオさんの横顔を見つめる。こちらを向いてくれない。正面のラァ先輩はホログラムを天井に投影し始めた。首痛めますよ。


 今日の教訓、設備見直しは定期的にすべき。



第三十五話 始末書二枚目

「疲れた……」

「お疲れ様です」

「葵今日も叫んでたねー!」


 この頃、面接がある度に何かしら叫んでいる気がする。このままだとメアリーにストレス過多状態とか、限界のレッテルを貼られてしまいそうだ。


「リィ族って……なんであんな傲慢なんですか」

「あー」

「人を見下した感じでしか話さないし、とにかく自信満々だし。別にスキルが高いわけでもない人まで自信あるのはなんなんですか」


 一度溢れてしまった愚痴は止まることがなくて、あれもこれもと口から飛び出していく。日々のストレス、不満を全部解消してやりたい。そんな気持ちで何も考えずに話した。


「葵君」

「それは違うよ」


 部長が僕を呼んだのに、愛子さんがそれを遮った。そもそも二人ともあまり人の話を遮らない。特に愛子さんは今までに一度もしたことがない。


「人間は群体じゃないよ」


 いつもの話し方とは違って、力強い言葉だった。ホログラムも全部避けられて、黒色の瞳が真っ直ぐに僕を見つめている。


「人間は変化するからまだ生き残っている。生まれた環境や周りの価値観だけでその人が出来上がるわけじゃないの」


 僕は目を見開いた。そうしてようやっと、自分がとんでもないことをしてしまったのだと気がついた。僕の隣にはいつも()()さんがいる。


「あ、ぼ、く……。すみませんでした!」


 立ち上がって頭を下げる。管理されている室温で出るはずのない汗がじっとりと僕を濡らす。マオさんは一つも怒っていなかった。


「いいえ、リィ族に地球人を見下す人が多いのは本当のことですから。謝る必要はありません」

「違います。僕は僕の尺度でリィ族を決めつけた。個人の行いを全体に被せるなんて、絶対にやってはいけません。本当にすみませんでした」


 この日は少し、寒さを感じた。



第三十六話

「はい、こちら国際人事部の木春(こはる)です」


 今日は珍しく部長がいない。またあのカッコいい車(ヒノ・メルセ)でイーガチュウに行っているのだろうか。それとも上層部との会議かな。


「かしこまりました。部長にはこちらからお伝えいたします。はい、はい、失礼致します」

「愛子、今の誰から?」

「黒崎課長でぇす。ほら、あの人部長と直接話すの

嫌だから」

「あーね。てっきり俺の出向の話かと思ったのに」

「まだ連絡がつかないのですか?」


 ラァ先輩の出向はざっくり10月からとだけ決まっている。詳しいことは近づいてから、と言われて帰ってきたらそのまま音信不通らしい。なんというか、社会人の世知辛さを感じる。


「大手出版社だかなんだか知らないけど、人を舐めるのも大概にしてほしいよねー」

「ラァくん、こっちから正式に抗議もできるよ」

「いいよいいよ。舐められてるのは会社じゃなくて俺だし」


 国交が回復してから大体60年。留学生や移住者も増えてはいるけれど、まだ溝は深い。ラァ先輩とマオさんはずっと偏見や差別と戦っているのかもしれない。そこに悪意があるかどうかはまた別の話だけど。


「アスカ出版は地球有数の老舗企業です。上層部は……。世代というものもありますから」

「マオちゃんのそれは正論だけど、だからって大人しくする必要ないから。そもそも向こうがラァくんを欲しがったんだよ」


 僕は出向の話はあくまで雑談の中で知っただけだ。詳しいことは分からない。アスカ出版という名前はよく知っているけれど、会社の中は知らない。この話では僕は本当に部外者だ。


「まっ、メールは入れてあるし気長に待つよ。俺そういうの得意だし」


 いつもは美人とか儚いとか思うのに。今日のラァ先輩の笑顔はすごく格好良くみえた。


「ラァくん、珍しくボロ出したね」

「はい、とても珍しいことです」

「え」

「今時の子はメールって言わないんだよ」

「はあっ!?」


 ねぇ〜? なんて振らないでくれ。マオさんもしれっと頷かないで!! 僕は何も言わずにホログラムを天井に展開した。

 

 今日の雑学、テキストのこと、昔はメールって呼んでたんだって。



第三十七話 変化

「おぉ! 久しぶりに会えて嬉しいぞ! 葵!」

「お久しぶりです、カイ・シィド・レイ・ミィファ・ソォウランさん」

「ああ、よろしくな!」


 久しぶりに直接会ったカイさんは、やっぱりすごく大きい。けれど角が外されていて、服装もスーツになっている。この人、スーツが似合う。なんというか男らしい男って感じなんだよな。

 今日は、カイさんが正社員になるための最後の関門。人事面談の日だ。


「カイ・シィド・レイ・ミィファ・ソォウランさんが良ければ、来年から総務課で働いてもらいたいと、上層部は判断しました。ご希望はありますか?」

「いや、願ってもないことだな。部長殿も苦労をされただろう。感謝している」

「いいえ。あくまであなたの頑張りが正当に評価されただけですわ」


 カイさんはいつもは眠たげな目を大きく見開いて、部長をじっと見ている。マオさんよりも薄い青。水色と灰色が混じった瞳いっぱいに部長が映っている。……ん?


「そう、か」

「ええ!」


 普段は吊り上がった特徴的な目が柔らかく細められる。部長の笑顔、本当にお人形みたいに綺麗だ。テーブルにホログラムが展開されて、正社員登用に関して必要な情報が並べられていく。

 カイさんの瞳はそのホログラムを通り越して、部長の手を見ているように感じる。白くてほっそりとした手が髪を耳に掛け直すのを、熱っぽい瞳がじっと捉えている。……んん?


「ところで部長殿。リーとお呼びしてもいいか?」

「え、」

「えっ!?」


 シィエン族は原則名前を略さない。人生が進むごとに名前も家も家族も。何もかもが変わる彼らにとって、名前だけが今の自分を証明するものだから。

 ただし、愛する人に対しては呼び捨てや愛称をつけることもある。

 今日、僕は初めて人が恋に落ちた瞬間を見た。


 ちなみにここはうちの部の応接間だ。もちろん防音は甘い。



第三十八話 恋バナ

「最高〜!! リーさん、相手はイケメンですよぉ!!!」

「や、め、て!」

「部長! 部長! 私も! 私もとても興味深いです!」


 リア(レン)に対する女性の執着は恐ろしい。恋愛話というのは、もしかしたら世界平和を実現する鍵になるのかもしれない。


「ふーん、同い年だしちょうどいいじゃん!」

「子持ちの既婚者よ!?」

「うわ、地球人ー! 相手はシィエンだよ? 独り立ちして20年! 子供いない方がやばいって」


 シィエン族は人生を通して名前が変わっていく種族だ。その名前を聞くだけで、その人がどんな風に生きてきたのかがなんとなく分かるほどらしい。

 カイさんの場合は、カイが親から貰った本名。まぁ、ゲーム的に言えば真名だ。それ以降の名前は全部、パートナーと一緒に決めた家名らしい。

 生まれた時は親の名前と親の家名を名乗るから、カイ・レン。10歳で独り立ちしてからはカイ。その後、パートナーが出来るたびにカイ・シィド、カイ・シィド・レイ、カイ・シィド・レイ・ミィファ……と家名が増えていく。

 カイ・シィド・レイ・ミィファ・ソォウラン。最後のパートナーも、子供の巣立ちをきっかけに今は風が分かれたとのこと。

 僕らの基準で考えると彼は離婚4回、子供二人。とんでもない色男だ。


「私は地球生まれ地球育ち! ある程度は仕方ないでしょ!?」

「シィエンの結婚は一時的なものです。部長、何事も経験してみてこそ人生ではないでしょうか」

「そ〜だ、そ〜だ!! 付き合っちゃえ〜!」


 今日の雑学、カイさんはシィエン族の中では平均身長。



第三十九話 百合の花束

「こんにちは、リー」

「……こんにちは」

「今夜の予定は決まっているのか? 良ければ俺と少し出かけないか」


 直球ー!! 間違いなくデートの誘いだ。部長の目の色に合わせた花束まで持ってきている!

 なんとこれで今週5回目の誘い! ちなみに今日は金曜日!


「ごめんなさい。今日は予定があるの」

「そうか。ならこれだけ貰ってくれ」

「……ありがとう」


 部長、恋愛には奥手なタイプなんだ。警戒心バリバリって感じでなんか、なんか……可愛い。

 カイさんは部長に花束を渡すとニヒルに微笑んで去っていく。ふわふわの赤髪がご機嫌に揺れていた。


「あれぇ? 部長ぉ、今日残業ないですよね?」

「あっれー? 部長ー、今日予定なんてあるんですかー?」


 愛子さんとラァ先輩がニヤニヤしながら部長を囲む。まだ花束を握ったまま、部長は珍しく心底嫌そうな顔をした。


「あんまり揶揄うと怒るわよ」

「部長を嘘つきにするわけにはいかないでしょー」

「そぉですよぉ〜! 部長部長(ぶっちょお〜)


 ニマニマ、ニヤニヤ。愛子さんにつんつん突かれたり、纏わりつかれたり。身長差があるから振り払うのは簡単だろうけど、愛子さんに甘い部長はそうできない。


「ええそうね。嘘つきになれないから全員強制残業よ」

「へっ!?」

「ありがとうございます、部長!」


 言葉の不穏さにひっくり返った声が出た僕に対して、他の三人は何故かめちゃくちゃ喜んでいる。これ、前にもあった気がする。



第四十話 個人差

「部長ぉ〜」

「ほら、お眠り〜」


 飲みの場にされてしまえば、当然こうなる。さっさと潰された愛子さんは聞きたいことは何も聞けずに沈んだのだった。

 

「ラァ君、これもどうぞ」


 にっこりと微笑みながら差し出したのは、ナッツの盛り合わせだ。食べるのに時間がかかる食べ物で的確に封じている! というかそれ一人分じゃないですよね、部長!


「は、ははは……」


 僕は笑うしかできない。これは犬が腹を向けるのと同じ行為だ。マオさんはラァ先輩の隣でご飯を食べてる。


「そんなに嫌ならもぉ聞きませんよぉ……」

「……ごめんなさいね。お水飲む?」


 しばらくして、愛子さんが部長の膝に懐いたまま何事かを唸った。前髪が乱れて、おでこが見えている。眉毛は黒いんだ。


「可愛いパッツンが乱れてるわよ」

「部長のせいですよぉ」


 部長は優しく愛子さんの頭を撫でるけど、前髪を直そうとはしない。不思議に思っていると、マオさんが教えてくれる。


「部長は髪を整えるのが苦手なのです」

「部長ぉ、いっつも下ろしっぱ! 雑! 素体の無駄遣い!」

「ははは……女性は大変ですね」


 チミチミとビールを飲みながら、そう言えば部長が苦笑した。


「女性というか、愛子ちゃんが偉いだけよ」

「褒めても退きませんからぁ!」

「毎日可愛いおべべ着て、お化粧して、髪の毛巻いて……とっても偉いからそのまま寝てていいのよ」


 ついに愛子さんは動かなくなった。部長は優しく優しく愛子さんの頭や背中を撫でながら、もう片方の手でジョッキを傾ける。わぁ、9杯目が空に。


「てか部長、去年よりすっぴん率高くない? 口紅だけなの普通にバレてるからね」


 いやいや、ラァ先輩!! 食べるの早いな。食べ終わってすぐに、ものすごく失礼な言葉を投げたぞこの人。

 というか、化粧してなかったんだ。僕は気づかなかった……。


「私もアラサーなのよ……本当に朝起きれないの」

「やっば! 地球人って劣化早いね」

「部長は何時に起きてらっしゃるのですか?」

「……35分」

「7時35分ですか?」

「8時35!」


 その時、戦慄が走った。始業時間が9時ちょうどで、部長はいつも5分前に席に着く。部長の家から会社までは大体5分らしい。駐車して、そこから部署までにかかる移動も大体5分。この人起きて何分で家を出てるんだ!?


「部長、俺より身支度早いじゃん……」


 そっ、と目を逸らした部長。そういえば、マオさんと愛子さんは髪型が変わったり、爪が変わったりするけど。部長はいつも同じだなぁ。……服も。


 今日の教訓、結局大事なのは清潔感。

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