第810話 死して戦う者
クリフは、低く唸るような声を漏らした。
それは怒声でも咆哮でもない──肺から空気が漏れているだけのような、不気味な音だった。
次の瞬間、その巨体が再び動く。
「来るぞ!」
龍神の警告と同時に、クリフが拳を振り上げる。
やはり速度は遅いが、その動きには躊躇など一切なかった。
振り下ろされた拳が橋を叩き割り、轟音があたりに響く。石床が砕け、爆発のように破片が吹き飛ぶ。
衝撃波が周囲へ広がり、俺たちは咄嗟に飛び退いた。
「っ・・・!」
沙妃が吹き飛ばされそうになるが、未菜が腕を掴んで引き寄せる。
その直後、クリフは砕けた橋の床を掴み、巨大な瓦礫をそのまま投げつけてきた。
「うわっ!?」
青空が腕を振り回し、鉤爪で瓦礫を切り裂く。
だが、その隙を待っていたかのように、クリフが突進してくる。
やはり速度は遅い。見えるし、避けられる。なのに――怖い。
まるで、巨大な雪崩が迫ってくるかのような圧力だった。
エルが槍を突き出す。
水を纏った刺突が、クリフの肩を深く貫いた。
見た目はさほど派手ではないが、普通ならある程度のダメージを受けそうなものだ。
しかしそれでも、クリフは怯まず止まらない。
肩を貫かれたまま前進し、そのまま腕を振るう。
エルは咄嗟に後退したが、衝撃だけで吹き飛ばされた。
「姉ちゃん!」
モールが風刃を連続で放つ。
鋭い斬撃がクリフの胸や腕を切り裂き、青黒い肉を抉る。
そこまでされてもなお、クリフは攻撃を止めない。
「こいつ、やっぱり痛覚が・・・!」
「いや、違う!」
龍神が叫ぶ。
「あいつには、痛覚はあるんだ。ただ、“傷を負って動きを止める”って概念自体がないんだ!」
クリフが拳を振るう。
俺は、それを斧で受けた。
鈍く重い衝撃は、技術ではなく純粋な質量と魔力の暴力だ。
受け止めた瞬間、腕の骨が軋む。
そのまま押し込まれ、足元の橋が割れた。
「姜芽!」
モールの風が飛ぶ。
風圧で体が後ろへ引かれたことで、なんとか押し潰されずに済んだ。
だが、クリフは追ってくる──ただ真っ直ぐに。
獲物を壊すまで、止まらない獣のように。
未菜が魔弾を放つ。
数発が直撃し、クリフの顔面で炸裂した。
普通なら視界を潰せる威力だろうが、クリフは怯みもしない。
顔を焼かれながら、そのまま未菜へ向かう。
「っ・・・!」
未菜は扇で結界を張る。
そこへ、クリフの掌底が叩き込まれた。
防壁が軋み、さらにもう一撃。
三撃目で、結界が砕けた。
未菜は後方へ飛び退き、その鼻先をクリフの拳が通過した。
拳圧だけで頬が裂け、血が舞う。
「避けてもこれか・・・!」
青空が毒づく。
そこへ、メニィの術が展開された。
青白い炎の鎖が地面から伸び、クリフの両脚へ巻き付く。
「今です!」
一瞬、クリフの動きが止まる。
その隙を逃さず、龍神が雷を落とした。
雷撃がクリフを呑み込み、巨体を焼く。
さらに俺とエルが同時に踏み込む。
斧と槍を、左右から同時に叩き込む。
肉が裂ける感触がし、確かな手応えを感じる。
だが――。
「え、まさか・・・!?」
クリフは、その状態で動いた。
腹を裂かれ、 肩を砕かれ、 全身を雷で焼かれながらも──腕を伸ばしてくる。
その手が、俺の首を掴みかける。
しかしそこで沙妃のブーメランが飛来し、その指を弾いた。
俺は転がるように後退する。
自然と息が荒くなる。強い、というより――怯まず、動きが止まらない。
倒れても、傷ついても、焼かれても、こいつは前へ来る・・・ただ、それだけを繰り返している。
クリフは低く唸りながら、再び立ち上がった。
片腕は半ば千切れ、胸には穴が空き、顔面も焼け爛れている。それでもなお、 紫の目だけがぎらついていた。
まるで、「敵を殺す」 という本能だけで動いているかのように。
「すごい執念を感じます」
キョウラがポツリと呟いた。
「でも、この方から感じる執念は・・・ちょっと変わっています。何というか・・・自身の使命を果たそうとしているけど、本来の目的を忘れている、とでも言いましょうか。信念は確かなものですが、それを向ける相手が違うことに気づいていない・・・そんな感じです」
つまりは、本来の目的を見失い、それでもなお自身の使命を果たすために戦っている、といったところか。
なんだか悲しいが、そうだとすればなおさら退くわけにはいかない。
こいつはもう死んでいる。なのに動いているのだから、その意味でもアンデッドと同じだ。
かつてアンデッドを狩っていた者が、自身もアンデッドになるとは・・・哀れというか、皮肉というか。
「クリフ・・・」
龍神やエルのみならず、亮も・・・かつて彼の同業者の1人であった男も、クリフに憐れみの目を向ける。
だが、その手には鞭を握りしめ、表情も戸惑いや躊躇いを感じさせない。
彼を「楽に」してやろうと考えていることが、明らかだった。




