第809話 壊れた狩人
クリフの体の変化が終わると共に、手に持っていた剣がぼろぼろと崩れ始めた。
燃える刃は黒い灰となって散り、柄すらも霧のように溶けて消えていく。
「なんだ・・・!?剣が・・・!」
モールが息を呑む。
だが、異変はそれだけでは終わらなかった。
クリフの体が、ゆっくりと膨張していく。 筋肉が軋むように盛り上がり、青黒く変色した皮膚の下を、どす黒い血管が脈打つ。
そして何より――重い。
そこに立っているだけなのに、空気そのものが沈み込むような圧迫感があった。
「第二形態・・・いや、正体を現したって感じね!」
青空が顔をしかめる。
クリフは、誰の言葉にもまともに答えない。というかもはや、答える知性そのものが残っていないのかもしれない。
彼はゆっくりと立ち上がり、握った拳を見下ろした。
その動きは、さっきまでとは正反対だった。
瞬速の踏み込みも、鋭い剣技もない。
ひどく鈍重で、重々しい。
だが――。
「気をつけろ!」
龍神が叫ぶ。
次の瞬間、クリフが地面を踏み抜いた。
轟音が響き、橋全体が揺れ、石片が跳ね飛ぶ。
俺は咄嗟に踏ん張ったが、それだけで体勢を崩しそうになる。
ただ踏み込んだだけで、この威力か・・・。
クリフはそのまま、最も近くにいた未菜へ突進した。
その速度は遅く、動きがはっきりと見える。さっきまでとは比べものにならない。
だが、その分重い。
あたかも巨岩がそのまま突っ込んできたような威圧感だった。
「っ・・・!」
未菜は扇を広げ、防御結界を展開する。
その直後、クリフの拳が叩き込まれた。
爆音が響き、透明な壁が一瞬でひび割れ、未菜ごと後方へ吹き飛ぶ。
「未菜さん!」
沙妃が叫ぶ。
未菜は空中で無理やり体勢を整え、着地した。だが、扇を持つ腕が震えている。
「っ・・・!防いだはずなのに!」
「パワーのある攻撃は、下手に受け止めるとむしろ体をやられることがあるからな!」
龍神が舌打ちする。
その間にも、クリフは止まらない。
今度は、青空へ拳を振り下ろした。
やはり速度は遅く、避けるのは難しくない。青空は身軽に横へ跳んで回避したのだが、拳が橋に直撃すると同時に衝撃波が発生した。
それにより、青空の体が吹き飛んだ──直撃していないのに。
「これは・・・ただの怪力じゃない・・・!魔力を持ってて、範囲攻撃ができるようになってます!」
メニィが叫ぶ。
そこへ、エルが槍を突き出した。
水を纏った鋭い刺突。
今度こそ――そう思ったが。
鈍い音が鳴る。
槍はクリフの脇腹へ突き刺さった。
しかし、その刺さり具合は浅い。
そして、クリフはひるみもしなかった。
むしろそのまま腕を振るい、エルを殴り飛ばす。
エルの体が橋の床を転がる。
「姉ちゃん!」
モールはエルを横目で見つつクリフに視線を移し、風刃を放つ。
続けて亮の鞭が風を裂き、龍神の雷撃が叩き込まれる。
だが、それでもなお煙の中からクリフは歩いてきた。
皮膚が焼け、裂け、黒い血が流れても止まらない。
「こいつ、怯んですらない・・・!」
空が目を見開く。
「硬くなって、同時に痛覚も死んだのかしら?」
「いや、違う。あいつはもう・・・“止まる”って概念そのものを失ってるんだ、きっと」
龍神が低く言った。
クリフが再び踏み込む。
一歩一歩は遅くとも、そこから放たれる圧力が異常だ。
橋が軋み、空気が震える。
その拳が、今度はモールへ向かう。
「っ・・・!」
モールは風術で加速し、ギリギリで回避した。
しかしその直後、クリフの拳が欄干を砕いた。
鉄が飴細工のように曲がり、吹き飛ぶ。
「うわ、すごい力だな・・・!」
モールの顔が引きつる。
確かにあれだけのパワーがあるのなら、直撃すれば人間も異人も原形を留めないだろう。
「近接戦は危険です!遠距離から攻めましょう!」
メニィが叫び、術を唱える。
青白い光弾が連続で放たれ、クリフへ降り注ぐ。
爆発が起き、煙が立ちこめる。
だが、次の瞬間には煙を突き破ってクリフが現れた。
「ずいぶんと硬いな」
俺は思わず呟く。
と、クリフが不意にこちらを見た。
いや、“見た”というよりは・・・獲物として認識した、とでもいうような感じだ。
青黒い肌。紫の目。無表情な顔。
そこに、かつての団長の面影はもはやほとんどない。
だが、それでも。
「・・・」
ほんの一瞬だけ、クリフの動きが止まった。
その視線の先にいたのは――エルとモール。
多少なりとも知性か、あるいは生前の記憶が残っていれば、2人に何か言葉をかけただろうが・・・もはやそんな見込みはない。
そんな俺の考え通り、クリフは2人を睨みつけたまま飛び上がり、掴もうとした。
エルたちは左右に散開し、それを回避する。
「モール・・・!」
エルが無表情で言葉を繋ぐ。
「このままでは、私たちが殺される!団長を・・・彼らと共に討とう!」
モールは一瞬辛そうな顔をしたが、すぐに唇を噛み、頷いた。
「僕らが団長の立場なら、こんなになった自分を殺してくれって言うだろう──それはきっと、団長だって同じだ。なら!」
彼は短剣を握りしめ、刀身に風を纏わせる。
エルもまた、槍に水を纏わせて構える。
この戦いは、エルとモールだけのためではなく──クリフ自身のためでもある。
彼だって、こんな形でかつての仲間たちを襲うなど、望んでいないはずだ。
無論、冷酷なことではある。だが、時には冷酷さが情けになることもあるのかもしれない。
俺はそんなことを思いながら、エルたちと他の仲間たちと共に武器を構えた。




