第801話 死ぬ理由、生きる理由
俺たちの足音に気づいたのか、男は急いでフェンスを登ろうとした。
しかし、登り切って飛び降りる前にキョウラが追いつき、杖を伸ばして男の前に白い障壁を作り出し、落下を防いだ。
そしてキョウラはフェンスから男の手を離させ、引きずり降ろして押さえつけた。
「バカな真似はやめなさい!」
怒るように言うキョウラに、男は絶望と驚きが入り混じったような顔で必死に反論した。
「離せ・・・!なんで止めるんだ!」
「あなたこそ、なぜ命を捨てようなどと!」
すると、男は怒りと悲しみ、絶望、その他もろもろの感情が合わさったような複雑な表情をして、喚いた。
「私はもう、死ぬしかないんだ!わざわざここまで来たんだ・・・このまま死なせてくれ!」
すると、キョウラのみならず青空と沙妃も一歩前に出た。
「バカね・・・ここまで来れる幸運と勇気があるんなら、生きることだってできるでしょうに!」
「何があったのか知らないけど、死ぬなんて絶対にダメ!そんなこと・・・私たちが許さない!」
亮たちも何か言いたげだったが、キョウラたち3人で男を押さえられているからか、前に踏み出すことはなかった。
代わりに、エルが「ひとまず話を聞かせてくれ」と言った。
男は、「言ったところで何になるんだ・・・!」と言ったが、エルは「とにかく、まずは事情を説明してほしい」と言った。
そのことから、何となく「キョウラたちとは思想が違う」ということが感じ取れた。
何とか男を落ち着かせ、話を聞くことができた。
まず、男の名前はゼイール。
とある町に住む守人であり、妻と娘と3人で穏やかに暮らしていた。
裕福ではないものの、幸せな家庭を築いていた。
しかし、1ヶ月前に妻が町の外で異形に襲われ、亡くなったことから歯車が狂い出した。
ゼイールは妻の葬儀を教会でしてもらったのだが、その際に費用がかかると言われた。
その額、実に700万。
「まさか!町の人なら、葬儀は基本無料ですし、有料だとしても、そんなにかかるはずは・・・!」
キョウラはそう口走ったが、慌てて口を閉じてゼイールに話を続けさせた。
ゼイールには200万の蓄えがあったが、それを全部吐き出しても500万足りなかったため、誰かから借りることにした。
しかし、町には一度にそんな額を貸してくれる知り合いはいない。
そこで、最近町にやってきたばかりだという金融業者に申し込んでみた。
その結果、業者はすんなりと金を貸してくれ、葬儀費用を払うことができた。
しかし、その業者は・・・まあ早い話が闇金の類いで、借りてからわずか10日後には利息として50万、さらに10日後には55万を払えと迫ってきた。
無論、そんな額を払えるはずもなく、当然の如く闇金業者からの嫌がらせや家への押しかけ、脅しが始まった。
ゼイールは、娘ともども怯える日々を過ごすこととなった。
そして、今からちょうど3日前には借りてから1ヶ月が経過し、利息の合計は160.5万、元金と合わせると660.5万という額に到達。
すると、闇金業者たちはゼイールの娘であるシフォンに目をつけ、金を返せないのなら娘の身を切り売りしろと言い出した。
ゼイールがそれを拒否すると、奴らは家に押し入ってきて、無理やり娘を連れ去った上、ついでに家も売れ、家財道具も片っ端から売り払え、何ならこの場で差し押さえるなどと言い出した。
無論ゼイールは抵抗したが、多勢に無勢で何なく押し切られてしまい、自身は大して金にならないだろうという理由で放り出された。
そうして、家族も家も金もすべて失ったゼイールは、この上はもう死ぬしかないと考え、最低限の準備をしてこのラド・テナの割れ目までやってきた。
誰にも見つからず、そして迷惑をかけることのないよう、目立たない格好をして町を出て、道中の異形やアンデッドをどうにか撃退しつつ、ここまでたどり着いた。
さっき地面に置いていたのは、旅立つ際に持ってきた「最期の荷物」で、一呼吸置いた後に先に崖に投げ込み、その後自分も落ちるつもりだったらしい。
「・・・なのに、計画は失敗した。あなたたちが来たから、私は死ねなかった。660万なんて金、返せるわけないのに。娘も妻も、もう帰ってこないのに・・・」
ゼイールは涙をこぼし、「死にたい・・・死んで、楽になりたい・・・」と漏らした。
「そのような事情があったのですね・・・しかし、それはとんでもない間違いです」
キョウラは、もう怒ってはいなかった。
その代わり、真剣な顔で彼を見つめた。
「あなたが死んだとて、業者が諦めるわけではありません。むしろあなたの親族や友人、あるいは無関係の人にまで返済を迫るでしょう。それに、あなたが自ら命を絶ったと知ったら、娘さんはどう思うでしょうか」
そこで、亮が初めて口を開いた。
「あなたの気持ちは理解できる。だが、金は命より重いものではない・・・絶対にな。あなたが死んだところで、誰も得はしない。何より、あなた自身がさらに苦しむことになる」
亮は話した・・・殺人者の間に伝わる考えを。
彼らの、「絶対に自ら命を絶ってはならない」という掟の成り立ちに関わる思想を。
「どんな理由があれ、自ら命を絶てば、相応の報いを受けることになる。それがいかに辛く、苦しいものであろうと、逃がれることはできない。・・・無論、これは殺人者の間に伝わる思想だがな」
そこでキョウラが口を開き、自身が「僧侶」、本物の聖職者であることを明かした。
そして彼女は、改めて怒った顔をする。
「この割れ目・・・そしてここに至るまでの道には、多くの自殺者の魂が漂っています。死んでも楽になどなれず、むしろもっと苦しみ、嘆き、悲しみ、成仏できず、この世をさまよう・・・そんな魂たちを、私は見てきました。あなたもそうなりたいのですか?」
ここから飛び降りても、絶対にいいことは何もない。
死んで地獄から逃げた先にあるのは、更なる地獄だけ。
苦しみから目を背け、命の理に背いた者に待つのは、残酷で恐ろしい宿命。
キョウラのみならず、青空や未菜、モールといった殺人者たちがそう言った。
「・・・」
ゼイールは言葉を失い、数秒の後・・・声を上げて嗚咽した。




