新宿へ
「どうやらみんな、片付いたらしいな」
レディが、気絶したキャスケット帽の少年のコートの襟を引きずって、歩いてきた。
美鳥は、素手だ。
「誠!
あの男を地上に捨てて頂戴!」
誠が言われるまま、190センチの身長を持つボディビルダー並みにシェイプされた男を持ち上げようとしたが、カブトが、
「ちょっとちょっと!
殺しちゃわないの!
その辺に捨てちゃダメじゃんか!」
とゴーグル男の息の根を止めようとしながら言う。
「あんた、今、地上にどれだけ影繰りが影繰りが溢れていると思ってるのよ。
賞金5000万に引き寄せられて、千人単位で集まっているのよ。
こういう時、敵には群集心理が生まれるわ」
「群集心理?」
カブトが、ポカンと繰り返す。
さすがに心理学の知識までは無いらしい。
「血を見ると、逆上するのよ。
仲間一人が死んだ、となれば連中は連携して、どうあっても首を取ろう、と殺気立つわ。
それよりも、連中と二度戦うことになろうが、生きて返した方がこっちの利益になるって訳よ」
「そういう事?」
カブトは不満そうに、兄に聞いた。
レディは一瞬、目を泳がせて、
「ああ。
そんなデータもあったかもな。
誠、頼む」
誠は五本の腕を出し、一瞬で彼らを青山1丁目界隈に放り出した。
「よし皆、次の代々木で駅を出て、新宿三丁目の、俺の知り合いの腕の良い洋服屋に向かう。
そこで俺たちは変装をし、それから美鳥の仕事を助けるんだ」
レディにしてみたら、美鳥に巡り合えたのは願ったり叶ったりだ。
誠の力を覚醒させる。
それのみがレディの目的で、そのためには、よりたくさんのピンチに陥り、思わず人を殺してしまうぐらいが丁度いい。
代々木が荒れているのと良いんだけどな…。
その時、誠のスマホが鳴った。
「もしもし小田切です…、
え、静香ちゃん、どうしたの?
え、東京オペラホール?
今日6時からの辻井伸行のリサイタル?
うん、辻井惟行は大好きだけど…。
えっと今、僕は…、ええ! もう新宿の東京オペラホールにいるの!」
今日の新宿はまずかった!
いや、これはあくまで内調の周りだけの話で、新宿ならそう危険はないか…。
断ろうとする誠の耳を、美鳥がグイ、と引っ張った。
「誠、あんた女の子から誘うって事が、どういうことだか判っていないの!」
「いや、でも、もし静香ちゃんに危険があったら…」
「誠、あたしたちがサポートするわ。
必ず、18時にオペラホールに行きなさい!」
レディはスマホを見て、
「ん、まだ6時間以上あるし、余裕だろ」
レディは、むしろ好都合と思っていた。
好きな女の一人もいたら、このぼんやりした誠も、少しはジャッキするだろう。
「誠。
任せろ。
俺たちがお前のデートをガードしてやるよ!」
まぁ、変装がお楽しみ、ってところだけどな。
とレディは心で笑った。
行きつけの新宿二丁目の服飾店は、完全男の娘専門店だった。
「んー、思ったほど臭くねーか?」
ユリコは東口の駅ビルを出て、金髪リーゼントの頭で周囲を見渡した。
平日昼間の新宿では、さすがにユリコは少々浮いていた。
金髪リーゼントの美少女、というだけで何事か、と思っても無理はないが、使い古した金属バットをズズと引きずり、白Tにツナギの上半身を後ろに垂らした姿なのだ。
彼女ならば油に汚れたツナギも、そう言う新手のお洒落なのかと勘違いさせそうではあったが…。
だが…。
交番とかあったらマズいよな…。
小百合は思い、
「みんな、影、纏うべ…」
と身の回りに影を集めた。
影繰りは、そもそも影という謎の物体のようなものを操る存在だ。
一種の精神統一で、影を纏う事が出来る。
そして、影を纏った影繰りは、全体に薄暗く己の存在を煤けさせることができる。
人というのは、明るいものに目が行くものだ。
この影一枚のフィルターがあるだけで、普通人は無意識的に影繰りから目を逸らす。
気配を断つ、と言ってもいい。
小百合たちは、影を纏った状態で新宿東口の駅ビルを出、ライオン像の前に歩いていった。
小百合は相変わらず、薄い唇でガムを噛んでいる。
コンビニの9:00~17:00のシフト中以外は、常にガムを噛んでいるのだ。
漆黒の長いストレートヘアと左耳の男物のダイヤモンドのピアス、そして男物のチェック柄の分厚いシャツとジーンズのおかげで、小百合は本人も意図していないボーイッシュさを手に入れていた。
靴も男物のアウトドア風の茶色い革靴だ。
ユリコも、さすがに小百合の私服姿を一目見た時には瞠目した。
やる気満々じゃん!
その、男の子っぽいどころではないファッションの二人に対し、ハマユは引きずるようなシルクのカーディガンを羽織り、黒っぽいパンツルックで宝塚スターのように着飾っている。
180の身長なので、これは目立つ。
原宿で何度かしつこく男に言い寄られた、と当人は憤慨していたが、小百合は何かのスカウトだったのでは、と思っている。
芸能人でも、スポーツでも、ハマユの身体的才能と整った顔立ちは、共に一目瞭然だったからだ。
平日午前の新宿ライオン像前の広場には、数人の男が所在なく佇む以外は人気が無かった。
「しかし、つまらなそーな街だな」
昭和の頃にはスタジオアルタともてはやされた新宿の顔も、昨今は少々年季が入って見えている。
人の波は渋谷に向かい、外国人観光客は、この辺は素通りしてゴールデン街に向かっていく。
ユリコが見回しているのは、そんな年月に洗われ、煤に汚れた、薄黒い繁華街だった。
「おやおや、いけないねぇ、金曜日のお昼前だって言うのに、若い女の子たちがこんな場所に居ちゃあ…」
少々トロンとした、ぬめるような話し方で、少し茶色い色の入った眼鏡をかけた中年男性が小百合たちに話しかけてきた。
小百合はコンビニで、大人たちはユリコやハマユよりもよく見ていた。
こういう脂ぎった親父は、2種類しかいない。
金を出してスケベな事をしようとしているか、金を出さずにスケベな事をしようとしているかだ。
そして、そう言う親父に対して小百合の行う対処方法は1種類しかなかった。
小百合が、噛んでいたガムを、ぺと、と右手の甲に貼り付けた時…。
「お前! 悪人だな!」
背後から、黄色い声が聞こえてきた。
は! と戦意を削がれて小百合が男越しに奥を見ると、小学生の男の子が、叫んでいた。
餓鬼かよ…。
と、小百合は髪をサラリ、と掻き上げるが、
ん、この餓鬼、影を纏っているのか…!
と改めて二度見した。
髪を片に付かない程度に切りそろえた、お母さんの愛情をいっぱい受けていそうな男の子だ。
「勇気! 悪人を発見したのか!」
バタバタと子供の足音がライオン広場に賑やかに鳴り響く。
眼鏡の、頭の先に寝癖を立てた地味っぽい子と、小学生では大柄だろう、少々固太りの男の子、それにピンクの可愛らしいカーディガンを着たタイツスカートの女の子、スポーティなジャンパー姿の女の子、計5人の幼児たちが、眼を怒らせて、仕立てたような濃いブラウンの背広を着た中年男を取り囲んだ。
「ちょ…、僕たち…」
小百合は言うが、男の奥で子供たちは、
「我ら光が丘少年倶楽部、行くぞ! 皆!」
言うと同時に、驚くことに小学生たちは、一瞬で変身を完遂した。




