ゲームキャラ
狼男は、いかにもレトロゲームめいたカクカクした動きで単調に、片腕を前に出す、引っ込めて頭を突き出す、の二つの動きを、同じ時間、同じタイミングで繰り返している。
動きを見ても、川上には何の兆候も発見できなかった。
なにしろ、5頭身のゲームキャラだ、兆候も思惑もない。
そして、不意にその立っている足場からほぼ2メートルを超える射程で大パンチを、1メートル射程で小パンチを繰り出す。
また、屈んでローキックを放ち、その射程はほぼ0.5メートルだった。
ジャンプして跳び蹴りもある。
その射程は3メートル…、と川上は嫌な脂汗でべとべとになりながら、相手の射程を覚えていった。
格闘技とは、ある意味では射程を見切るところからスタートする。
相手の射程外から踏み込んで攻撃をする。
困ったら、安全圏まで逃げて態勢を整える。
そういった駆け引きのうちに、勝った負けた、があった。
だが、ゲームキャラの射程はメチャクチャだ。
一瞬で、自分一人分の射程が動いてしまう。
ヘックス画のレトロゲームは、その一コマ分が射程になる、とは、現代人の川上には理解が及ばなかった。
操作する方は、十時キーを一回押せば良いだけだ。
普通の格闘だったら、ゲームキャラのせいぜい小パンチ程度の距離を頭に入れれば相当の大技も交わせるのだが、キリュウは全く予備動作もなく、跳び蹴りで最大3メートルの射程を潰してしまう。
だいたいが、人間は地下鉄で飛び蹴りは出来ない。
天井に頭がぶつかるからだ。
特に大江戸線の天井は2、1メートルという低さで、少し背が高い男子であったら天井に手が付くだろう。
だがキリュウはただ、上半身が天井に消えるだけで、足は無条件に飛んできた。
当然、狭い地下鉄車内なので飛び蹴りを川上が交わせば壁に当たるのだが、ゲームでは壁に当たる事ではダメージは受けない。
くるりと振り向き、何事も無かったように、また川上に向かって腕を構える、頭を前に出す、動作を繰り返すだけだ。
攻撃を交わせている、というだけで相当の奇跡だったが、吉岡先生いわく、耳だけではなく、身体能力も向上するかもしれない、という話だったので、もしかしたらそのおかげで回避できているのかもしれない。
これから逃げきれるのか…。
川上は喘ぎながら思った。
川上自身、自分がどんな影繰りと戦うことになるのか想像したことはあった。
ミオとレディのダンサーチーム、美鳥の蝶、そのほかにも何人かのエース影繰りがいて、予備軍である川上たちは、影の戦いがどんなものであるのかを、常にイメージしようとしたものだ。
とはいえ、自分の影も判らないままでは、それは常にやられるシュミレーションでしかないのだが。
川上も、蝶をどう避けよう、とかミオのボクシングファイトを避けながらレディの分銅をかわす方法、とかを夢想はした。
教師の言うには、そういう戦いの動きを頭に描くことで、いざ影繰りになったときに混乱せず戦いに身を投じられるはず、という事だったが、今の川上に、そんな事の何割が役に立っているのか、全く理解できなかった。
だいたいが耳で音を拾うという自分の能力が、全く役に立っていないのだ。
あと何分、こうして逃げ切れるだろう。
キリュウは、シュ、と屈んでローキックを放った。
大パンチの2メートルを想定して逃げている川上には、50センチの射程は避けやすい。
ただ、敵もそのぐらいは理解しているはずだ。
キリュウが射程の短い、ローキックを時折混ぜてくるのは、たぶん、まだ見ていないダッシュを、いつか使う際のフェイントだと川上は思った。
ダッシュで、ちょこまかと逃げている川上の距離を一気に潰し、勝ちを得ようと狙っているのだ。
冗談じゃない!
向こうは、ただ現実世界で格ゲーを楽しんでいるだけかもしれないが、こっちはそれで死んでしまうのだ。
しかし、相手の息遣いも聞こえない相手には、川上の耳は何の役にも…。
ん…。
川上は、不意に、ゲームのキャラを相手にしていても仕方がない事に気が付いた。
そうだ、敵は…。
川上は、微かに視線を飛ばした。
そう、今右斜め45度に建っている背の高いオタク男…。
これこそが、キリュウではなく、川上の本当に戦っている相手なのだ。
耳を動かさないよう注意しながら、男の息遣いを探った。
興奮しているのか、少し短いストロークの息。
と、同時に聞こえてきていた。
カチ、カチ、とコントローラーのボタンを押す音だ。
ローキックはABどちらかのボタンと、同時に十字キーを打って発動する。
大パンチや小パンチも同じ原理だ。
たぶん…、川上は自分の格ゲーをしたときの事を思い出してみた。
たぶん跳び蹴りは、少し複雑な操作ではなかったか。
十字キーを斜めに入れるとか、ABボタンを同時に入れるとか、少し難しいアクションが必要になるはずだ。
読めるかもしれない…。
川上は、少し顔を紅潮させた。
跳び蹴りだけでも読めれば、今までよりは、楽に逃げることは出来るかの知れない…。
川上は、微かな希望を胸に抱いた。
「君は、どうも戦う気がない様子だね…」
オタク男が呟いた。
「逃げるだけの子ならば、もう勝負は付けちゃった方が良いのかな…?」
冷水を浴びたように、川上は青ざめた。
初めから戦う気が無い事を、オタク男に気づかれてしまったのだ!




