53早い男
190センチで、体重も100キロを軽く超えているだろう大男だ。
大江戸線車内は暑い、とでも言うのか3月初旬の木枯らしの吹く中、伸縮性に富んだスポーツ用のTシャツ1枚に、膝丸出しの短パンを履いていた。
靴はけばけばしい色使いの外国製のバッシュだ。
紺の短パン以外は、原色が全身を彩っている、ような男だった。
対する美鳥は黒づくめの上、今は細い艶やかな膝も見えるスカート姿。
黒いパンプスは、よく磨かれているので、逆に通学用ではないことは判るが、靴自体は似たようなデザインだ。
「お嬢ちゃん、強いんだってね」
大男は、脂肪分の薄い、骨ばった顔に、ニカリと笑顔を作った。
腕は筋肉部位がはっきり判るほど、鍛え上げられている。
足も美鳥の胴体よりも太いふくろはぎを、血管が走っているのが見えている。
「あなた、脂肪が少ないわね」
ぼそり、と美鳥が話す。
「鍛えてるからな」
と、男はムン、と力瘤を造り上げた。
「その体じゃあ、戦えない、って言ってるのよ」
筋肉が丸見え、という体は、体脂肪を節制することで出来上がっており、脂肪という熱源を持たないため、すぐにエネルギー切れになる。
ボディビルの大会などでは、エネルギー切れの失神なども日常的だ。
「俺以外なら、確かにそうかもな!」
言うと同時に、男は突風のように動き、美鳥に殴りかかった。
数羽の蝶がそれを受け止め、美鳥は男の懐に飛び込んで投げよう、とするが。
男の襟を掴もうとした美鳥の手が、空を切った。
男は一瞬で美鳥の背後に回り込み、美鳥の細い首にボンレスハムのような腕をグイと差し込んだ。
ほんの一瞬の出来事だ。
早い?
美鳥も動きの遅い方ではない。
だが、この男は、美鳥がスローモーションで動いているかのように、美鳥の前から消え失せ、その巨体でタイトロープを歩くように最小歩数で美鳥の背後に回り、美鳥が何の反応も出来ないうちに、腕を美鳥の首に回し、片手で美鳥の頭を持って、プロレスのスリーパーホールド裸締めの形に持って行ったのだ。
この速度は、相当の達人でも持っていない…。
その速度が、この男の影、なのだろうか…?
男の体に、美鳥の蝶が貼り付いていく。
相手がどれだけ早かったにしろ…。
美鳥は思った。
あたしの蝶が、動きを鈍らせていくだけよ!
男の木彫りのような固い腕を蝶が固定し、美鳥はスルリ、と男の裸締めから抜け出した。
「おやおや。
可愛らしい影だね。
お嬢さんによく似あう。
だが戦いに可愛らしさを求める辺りが、女の子の限界かな。
こんな玩具は、筋肉で粉砕するまでさ!」
言うと、男は、ボデイビルのサイドチェストのポーズ、左腕を前に降ろしたまま力を籠め、右腕で左腕を掴み、胸筋を膨らませて、前の足をくの字型に折り曲げるポーズを、ガチリと決めた。
それだけで、美鳥の蝶が粉々に砕け散った。
なに、あれは?
皮膚から、何か破壊性の毒油でも出てる、っていうの?
さすがに自分の蝶が、こうもあっさり砕かれたのは初めてだった。
気味の悪いボディビル男だが、確かにこれは強い奴のようだ。
「悪いがお嬢ちゃん、君には少し眠ってもらうとしよう。
僕は、賞金を手に入れないといけないのだからね。
我々はチームではあるが、金を手にするのは首を取ったものだけ、そう言うルールなんだ。
お嬢ちゃんに構っている暇はない」
言うと、男はボクシングのファイティングポーズをとり、美鳥に連打を放ち始めた。
まず懐まで踏み込んで、コンパクトなアッパー、それを美鳥がバックステップで交わすと、一歩前に出ながら顎を狙ったフック、そしてフックを放った腕の肘で、美鳥の顔面、鼻を潰しに出る。
無駄な動きがまるでなく、相手が小柄な少女でも迷わず顔面に肘を撃ち込む。
男は、相当に場慣れした無情な戦士のようだ。
美鳥は、蝶でフックや肘を受け止めながら、逆にボディに膝を撃ち込むが、100キロ越えのゴムを膝蹴りしたようなものだ。
なんら、相手にダメージは与えられない。
スピードが速いのは初撃で判ったので、何とか動きについては行けるが、いかんせん肉弾戦で美鳥に勝ち目があるような体格ではなかった。
膝蹴りが、強烈な弾力ではじき返されたとき、男はニィと笑って、美鳥の横顔を拳で横殴りにした。
蝶で防いで、男から距離をとる。
本当なら蝶で男を固めたいのだが、どういう理屈か、蝶は男に通じない。
あの速さと、蝶を壊す筋肉の謎を解かないと、ちょっと勝てそうにないわね…。
美鳥は冷静に考えていた。
男が、一気に距離を詰めてくる。
早い!
美鳥は思ったが…。
男の奥で、小田切誠がサラリーマンと戦っているのが見えた。
そうか!
美鳥は、筋肉男の手品の種を発見した。




