乗っ取り
静香は、ケーキに夢中のようだ。
何ページもあるケーキメニューから、パンケーキ、パフェの辺りまで熱心に見返している。
タコは、ただ静香の首筋で揺れているだけだ。
誠に、顔の一部と足1本が、わざと見えるように存在している。
誠が気がついた事は、もう判っているはずだった。
あとは…。
どういう方法で人質を使うのか、だ。
判りやすくは、静香を抑えているのだから大人しく殺されろ、と脅すとか、或いは、タコの能力で何かをするか、だった。
「ねぇ、誠君。
これ美味しそうじゃない?」
それは、艶やかに光るピンクの何かでコーティングされた、まるで工業製品のような輝きを放つケーキだった。
「味が想像できないな」
誠も覗き込んだ言った。
「ムースケーキのようよ」
誠は、美味しそうだ、とあいずちを打ったが。
敵がどう出るのか、判断がつかない。
もしタコに聴覚や視覚があるのなら、別に射程内にいさえすれば、スマホを見るふりをしながらいくらでもコントロールが出来そうだ。
問題は、タコに何ができるのか、と、どう敵本体を見つけるか、だ。
それには、静香の微妙な変化を感じるしか、今のところやりようは無いのかもしれなかった。
「そうだなぁ、僕はパンケーキにしようかな?」
と、あえて数ページ先のパンケーキをめくると、静香は、
「それだとケーキセットが使えなくなっちゃうのよ」
と教えてくれた。
ケーキと好きな飲み物を合わせるのなら、ケーキセットの方がおよそ200円ほど安くなるようだ。
今のところ、静香の様子に変化はない。
敵が、ただ静香を、誠の目の前でむごたらしく殺したい、のでなければ、何らかのメッセージを誠に届けるはずだったが。
「このアーモンドのケーキも…」
と、パウンドケーキを語っていた静香が、不意に。
「…小田切誠。
判っていると思うが、この娘は俺が乗っ取っている。
返して欲しければ、今から足元から這い上ってくるタコを、受け入れるのだ」
声は静香だったが、全く聞いたことのない喋り癖がある。
別人の、そして男性の声だと思われた。
「乗っ取るのか?」
誠が聞くと、
「そうだ。
お前は素晴らしい成果を上げた。
その成果は、俺が乗っ取る」
おそらく、タコは人間の精神に侵入し、人のコントロールを可能にするようだ。
簡単に思えるが、実際は相当に難しい技術を必要とするような影に思えた。
中距離の射程でも、人そのものを、全て乗っ取るなど無理なのではないか…?
確かアクトレス教官の弟さんが同じような能力だったはずであり、最後は乗っ取ったつもりの人に銃で撃たれた、と言うようなことを聞いたことがあった。
「…とっても美味しそうなのよねぇ。
誠君、だから半分ずつシェアしましょう」
気づいていない…!
静香ちゃんは、影繰りでは無いからか、今、身体を乗っ取られたことを、全く覚えていないようだ。
意識ごと、分断するように人の体を乗っ取るものらしい。
だとすれば、静香ちゃんには、相手の情報は何も残されないことになる。
完全犯罪、な訳だ。
近くにいるのかもしれない…。
誠は、考えを改めた。
とても何十メートルも離れた場所からコントロールしているとは、思えなかった。
少なくとも、誠と静香の状況が判る位置にはいるはずだ。
むろんタコがそういう情報をもたらす、とも考えられるが、喫茶店には他の客もおり、もしかしたらアクシデントが起こる可能性も否定できない。
もし隣の客に、静香の話が突然に変わった瞬間を見られたら、全ては台無しになるかもしれないのだ。
それを考えると、むしろ敵はカフェの中、と考える方が自然かもしれない。
ある程遠距隔でも、静香をカフェに誘導するぐらいの精神コントロールはでき、そして自分の巣穴とも言うべきカフェに誘導したら、本格的な攻撃を開始する、と言う方が自然に思える。
誠は、颯太と真子をカフェに呼んだ。
窓際の席に初老の男性が一人、文庫本を開いている。
誠たちの横のテーブルには、コンサート目当てだったらしい年齢差のある二人の女性が、親しげに話を弾ませていた。
親子?
SNSで知り合った友達?
少し読めない2人連れだ。
カウンター席に女性がスマホを片手に時間を潰してい、その後ろの観葉借物の脇に、少し年齢のいったカップルらしい2人が、静かな会話を楽しんでいた。
1人、の男と女が一番クサいが、二人連れ、も除外は出来ない気がする。
特に、人格の乗っ取り、などという高等で繊細な影を、誰のサポートも受けずにこなせるのか、が疑問だ。
乗っ取りをしているうちは、おそらくかなり無防備になるはずだからだ。
アクトレス教官が弟に接近戦の戦い方を教えなかった筈は無い。
普段ならば、分厚い近接戦闘用の影をまとえたのではないか?
だが、乗っ取りに際しては、銃で簡単に撃たれるほど無防備になるのだ。
そして…。
「あたし、このアプリコットのムースケーキにしようかしら。
お勧め、って書いてあるし」
敵は、乗っ取りは最小限にとどめている。
おそらく、かなりの負担になるのだ。
だが彼は、これから誠の体を完璧に乗っ取り、しかも異変が気付かれない程度には静香の精神もコントロールしなければならない。
もしウェイトレスが異変に気がついた、なんてことになったら台無しであり、そこで誠の意識が戻れば、たぶん報復されるのは当然考えているはずなのだ。
隣にボディガードがいる、と考える方が自然、かもしれなかった。
そして、このカフェで、2人連れの男は、1人しかいない…。




